大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
亀甲貞宗

国宝亀甲貞宗を、東京国立博物館にて見て参りました。
江戸初期、最高の刀工とうたわれた正宗の実子とも養子とも言われる貞宗の一振りです。
父正宗と似た作風ですが、父より穏やかで整っています。
刃紋は乱れ刃です。
鎌倉時代〜南北朝時代14世紀
亀甲の由来は、茎(なかご、持つ所)に亀甲菊花紋の彫り物があるためです。
1698年、尾張徳川家から、わんこ将軍綱吉に贈られました。

【2018.02.08 Thursday 20:07】 author : いづな薫 
| 刀剣 | comments(0) | trackbacks(0)|
上杉三十五腰展


静岡県三島市の佐野美術館に、上杉三十五腰展を見に来ています。
平日300休日900人の来館者だそうです。

【2018.02.03 Saturday 13:50】 author : いづな薫 
| 刀剣 | comments(2) | trackbacks(0)|
西郷どん「新しき藩主」
島津親子のロシアンルーレット、これはもちろん創作である。

今回、切腹を命じられた赤山靱負(あかやま ゆきえ)は、島津家の親戚である。
しかも、本家島津家に継ぐ家格である。

西郷隆盛の父・吉兵衛が、赤山の介錯をしていたが実際は剣の達人加藤親平と言う人物が担った。
赤山靱負の血の付いた肌着を、西郷吉兵衛が家に持ち帰り、息子の西郷吉之助に多大な影響を与えたことは真実である。

赤山靱負(あかやま ゆきえ)の父久風は、藩主島津斉興に仕えた人物である。
父久風は、当然斉興派だが、息子の靱負は斉彬についた。

靱負は斉彬派の藩士たちとともに、斉彬を藩主にすべく運動する。
一方、斉興派も久光を藩主にすべく動きだす。
斉彬派が、斉興派家老調所広郷(ずしょひろさと)を自殺においこんだのが、前回である。

島津斉興はこれを知り激怒。
斉彬派の藩士を13人切腹、遠島に処した。
これが、赤山靱負(あかやま ゆきえ)や大久保正助(利通)の父・利世
である。

赤山家の御用人をしていたのが、西郷の父で、吉之助にとって、赤山靱負(あかやま ゆきえ)は師であり兄のような存在である。
赤山靱負(あかやま ゆきえ)は西郷吉之助より4歳年上で27歳で自宅で切腹して果てた。

西郷吉之助は、父から赤山の血の付いた肌着を受け取り号泣したと言われている。
犠牲を払い誕生したのが、藩主島津斉彬。吉之助らの待望の藩主である。
鎌倉時代から続いた島津氏28代め当主、藩主として11代めである。

幕府から茶道具渡されると、隠居勧告。
斉興が今回渡されていた。
あの茶道具は、茶入れで朱衣肩衝(あけのころもかたつき)である。
赤っぽい飴色で、僧侶の衣に似たことからこの名前がある。
千利休の師、武野紹鴎が所有し、後に徳川家康が持ち紀州徳川家に渡り、再び徳川宗家に戻った。

茶入れは、濃茶を入れておく容器である。濃茶は一服の茶を皆で回し飲みする。
薄茶は棗(なつめ)に入れる。
茶入れの蓋の内側には金が貼られている。
毒を感知するためである。


【2018.01.31 Wednesday 10:30】 author : いづな薫 
| 西郷どん | comments(0) | trackbacks(0)|
家庭で作る、咳止めシロップ



家庭で作る咳止めシロップのご紹介です。
薬屋に行けば、薬剤が売っているのです。
けれども、極力薬は飲まない主義の我が家では、風邪をひいて咳が出る時、この咳止めシロップを使います。
1歳以上の子供やお年寄りにもおすすめです。1歳以下の赤ちゃんははちみつはダメです。

材料

きんかん 2〜3個
生姜 1かけ
大根 3〜4cm
はちみつ 適宜

作り方

容器に、きんかんと、薄切り大根&生姜を入れひたひたになるまではちみつを注ぐ。
一晩おけば出来上がり。
お湯に溶いて飲むと、咳を鎮めるだけでなく、とっても美味しいです。

【2018.01.26 Friday 13:21】 author : いづな薫 
| 武将キッチン | comments(0) | trackbacks(0)|
西郷どん「子どもは国の宝」
島津家でお由羅騒動が 始まっている。
お由羅とは、島津斉彬の父、斉興の側室である。
江戸の町人出身の女性である。
薩摩屋敷に奉公にあがり、斉興の目に留まり側室になった。
江戸には、斉彬の母で斉興の正室の周子(かねこ)がいるので、薩摩に連れて行った。
別名、御国御前(おくにごぜん、国許薩摩にいる夫人)と呼ばれた。
斉彬の母周子(かねこ)は33歳の若さで亡くなったため、お由羅が正室のような扱いを受けるようになる。
薩摩藩内には、世継ぎの斉彬を押す勢力と、お由羅の子久光を押す勢力が争っていた。

斉興は、世継ぎの斉彬ではなく、側室の子久光を藩主にしようとした所から争いが始まった。
斉彬は、藩政を傾けたひいおじいさん、薩摩藩8代藩主重豪(しげひで)の影響を強く受け、蘭学に傾倒し、アルファベットを練習したりしていた。
重豪(しげひで)は、学問所を創設し、武士のみならず、農民町人にも学問の機会を与えた。
農業や、天文学、医学など学問を大いに奨励し、文化、教育振興に尽くした人である。
が、これには、多額の藩の金を使い込んでいたのである。

文教に金を使う間にも、桜島が噴火したり、江戸薩摩藩邸が火災に遭ったりして、災害のためにも大いに金を使った。
借金額は500万両で、今の金で1兆2500億円にも上った。
斉彬は、学問好きで藩政を傾けた重豪(しげひで)に似ている。
斉興はそう警戒したのである。
お由羅の子久光を藩主にと思ったが、事件が起こった。

斉彬が、親しい関係にあった幕府老中・阿部正弘らと協力し、薩摩藩の密貿易を幕府に告発する。
父斉興、家老調所らの失脚を図ったのである。
密貿易は、公然の秘密だったが、露見した以上は処分は免れられない。
斉興派の家臣で500万両もの借金を返した家老調所広郷が、自殺に追い込まれた。

一方斉彬の方も不幸が続いた。
4人の側室がいたが、男子は生まれてもことごとく夭折した。
女子だけ3人が育った。
子供がどんどん死んだので、「お由羅の呪いか?」なんて囁かれるようになったのである。

斉彬派は、お由羅と久光暗殺計画を立てた。
しかし、これが斉興に事前に露見してしまう。
斉彬派の家臣たちは、13人が切腹、他約50名が遠島・謹慎となった。
西郷どんが師と慕った赤山靭負(ゆきえ)にも切腹の沙汰が下ったのである。
次回、西郷父が介錯。
赤山の死は西郷に強い影響を与えている。

斉彬派の家臣のうち4人は脱藩し、斉興の叔父にあたる筑前福岡藩主・黒田斉溥のもとに逃げ込んでいる。
斉溥が幕府に訴え、幕府がお由羅騒動の仲介をすることになった。
幕府老中・阿部正弘、越前福井藩主・松平慶永伊予宇和島藩主・伊達宗城がその任に当たっている。
その結果、斉彬が第11代藩主になったのである。

感想
今回のタイトル、「子供は国の宝」。
まーた安倍御用のNHKがしらじらしいことを。


【2018.01.24 Wednesday 21:05】 author : いづな薫 
| 西郷どん | comments(2) | trackbacks(0)|
過去のページへ

戦国カフェオリジナルグッズショップです。 戦国カフェオリジナルグッズショップへ
    いづなへメール

 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、サッカー日本代表、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

   当サイトは、コピー、転載、ダウンロード、直リンク、持ち出しは禁止です。
◆ 著作権はすべて、
いづな薫に属します。
 過去のページへ


   にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
   にほんブログ村。
   ランキングはお休み中