大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 篤姫 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
篤姫最終回+近代医学史
おかつ(篤姫)に再会できたのは、史実では兄だけでしたが、ドラマでは母の幸も江戸にやって来てホロリ。

小松帯刀は大坂医学校の病院に入院し、オランダ医ボードウィンの治療を受けています。
以下の当ブログにも記事あります。
http://cafe.kenshingen.fem.jp/?day=20081002

いづな、医学史に大変興味があり、ドラマセットの病院も見入ってしまいました。
当時最新設備のあったこの病院では、歴史的有名人が幾人か入院しています。
明治3年には、ドラマにもあった様に、小松が結核で亡くなります。
前年の2年には、長州の大村益次郎が京都で刺客に襲われ入院。
右大腿部切断術を施しましたが、敗血症で亡くなっています。
大村益次郎が子守をした恩師緒方洪庵の子・緒方惟準によって執刀されました。
この病院は、現:大阪大学医学部の前身で、大阪における医学教育、近代医学の黎明期の舞台となりました。
後に引越し、跡地にはやはり病院の、現:大阪医療センターが建ちます。
ここでも、いづなが最も敬愛する作家で、幕末の物語をたくさん書いた司馬遼太郎さんが終焉を迎えています。

 小松のいる病院で、顔を合わせた、お近とお琴。
正室、側室の争いが嫌いないづな、この2人は心地よかったです。
小松とお近、小松と篤姫、2つとも何とも良い組み合わせでした。
しかし、瑛太さんほんとーに、演技上手いです!!

20:30に小松没、あと40分で篤姫没までの13年間をやるのね。
大久保似ているなーと思いつつ、瓦版屋と写真屋が同じかよ。
篤姫、縫い物をしていましたが、勝にも羽織を縫ってあげたようです。
デートを繰り返すほど仲良しだったそうな。
篤姫は、明治16年11月20日逝去。享年49歳。
ドイツ人医師ベルツは血栓であったろうと診断しています。
エコノミー症候群ですか…!泣

 とにもかくにも、元気でポジティブな篤姫、楽しゅうございました。

【2008.12.14 Sunday 22:47】 author : いづな薫 
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篤姫感想 「明治前夜の再会」
頭がすっかり天地人になっているいづなですが、篤姫感想行きます!

篤姫、小松帯刀と会いましたね。
彼の恋物語は創作ですが、篤姫を好きな小松をいづなは好きでした。
 「斉彬さまの養女にならなかったら、一緒になって下さいましたか。」
の小松のセリフにじーん。
 「夫に相談しないと。」と、篤姫。
全く持ってどこまでも切ない男だのう、尚五郎は!!
 まあ、そこがいいんですが。笑 
 
 小松は、薩摩藩が他藩に先んじて版籍奉還を行うことを言っていましたが、彼自身も早々に領地返還しています。
小松清廉(きよかど)の名前にふさわしい清廉な人柄ですね。
 明治元年には参与(幕府政治を廃し王政復古の大号令時に置かれた官職)、総裁局顧問、翌2年外国官副知事となり重職に就きますが、明治3年に死去。
 
 来週は小松が亡くなりますが、お守り握っていたりするんでしょうか。
大久保利通、似ていましたね〜。
 原田さん、骨格も大久保に似ているような気がします。

【2008.12.07 Sunday 21:44】 author : いづな薫 
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篤姫感想「無血開城」
江戸無血開城は数日前、駿府で官軍と幕臣山岡鉄舟との間で内容の打ち合わせが行われている。
だから、西郷が会見場で考えを変えたわけではないが、彼にとって斉彬の手紙はあれ位の威力はあるだろうね。

公方さま出て来ましたねー!
「ひたむきに生きよ。」
ん〜良い言葉です。
頑張る気になるよ〜。いづな、実は仕事中。笑

来週は小松、江戸に下るのですね。
足が悪いため躊躇する小松に、最後になるなら、会いに行けと言う幾島。
幾島はこの時老年だが、まだ若い小松に命の期限が迫っているのは酷な話ですな。
老年だって酷だが。
小松が死ぬ前にしたいことは、妻やお琴&子供ではなく、篤姫に会うことなのかな。
昔は好きな相手と結婚出来るわけではないので、彼の気持ちは分かる。
しかし、全くもって、切ない男じゃのう〜。

PS.上記で、「けっこん」と打ち込んだら、「血痕」と出た。さすが私のキーボード。笑

繁忙期に突入し、コメントお返事など溜め込んでいます。
済みませぬ。時間を見つけて書きます。


【2008.11.30 Sunday 22:05】 author : いづな薫 
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篤姫感想 「大奥の使者」
 昨年新しく出て来た史実が、使われましたね。
篤姫の手紙を幾島が西郷に届けたエピソードです。
篤姫ファンミーティングに行った時、プロデューサーが、次回幾島に注目して下さい!と仰ってました。
 幾島の気迫も見ものでしたが、西郷の気持ちも、わかるんだよね〜。
歴史は、当時の価値観や考え方で判断しなければなりません。
 当時、政権交代に武力を使うのはごく普通の考えです。
 人間は動物と違い、思想に左右されて行動する生き物です。
武士は死ぬ事を美学とするし、坂本龍馬や小松帯刀のような柔軟な考え方の人ばかりではありません。
 西郷も、武力行使をするけれども、私欲は微塵もなく、古い武士たちと心中しようとしている観があります。
 江戸総攻撃は回避されたのは、篤姫の手紙ばかりではなく、薩長と徳川の日本国内乱に乗じて、
外国が侵略することを怖れたためであるとされています。
 国内で争っている場合ではないのです。
 あと、安全に江戸や横浜で貿易したい英国公使パークスが、江戸城総攻撃に難色を示したことも理由です。
  まあ、ドラマなので、篤姫のおかげでいいですが。

 病身の家老・小松帯刀、かっこ良かったですねー。
そこを通しなさい!
と言って倒れる小松、もうなんと言うか、ご家老様ステキハート
我ながら妙な感想。笑
小松に会ったら、西郷の決意が揺らいでしまいますよね。
 あと、番組最後で紹介した滝山のお墓に行ったことあります。

ココにちょこっと書いてます。
http://cafe.kenshingen.fem.jp/?eid=917711
 
 昨日から商用で遠出しており、篤姫にどうにか間に合うように帰りました。
夕方東京駅で新幹線を降り、イタ飯夕食を食べ、にんにく臭いまま丸善(書店)に入る。
上杉&直江関係の本を物色してました。
 皆様のコメントお返事、遅れまして申し訳ございませぬ。
メールやコメント、歴史ブログボタン押して下さる皆様に感謝ですハート

【2008.11.23 Sunday 21:34】 author : いづな薫 
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篤姫ファンミーティング

篤姫ファンミーティング(篤姫コンサート)に行って来ました。
サイトご常連のまりもさんになんと御招待していただき、楽しんで参りました。
篤姫のドラマ中で使われた曲の演奏や、宮崎あおいさんと松坂慶子さんの生トーク、番組裏話で楽しめました。
家定役の堺さんは優しくて、そして周りをよく観察している方だとか。
幾島が、あの西郷隆盛を怒鳴り付ける話だとか。(次回放送)
 篤姫の書いた嘆願書を幾島が、西郷に持って行きます。
これは、昨年確認された史実で、その時話題にもなりました。
 嘆願書を持参した幾島が西郷を怒鳴りつける姿、亡くなる時の小松帯刀や、堺公方さま再登場の映像もありました。
 
 篤姫ファンミーティングに行ったのは18:00〜。
その前にスタパで、なんと天地人の謙信臨終シーンに立ち会ってしまいました。悲しい
 いや、まだ亡くなってなかったですが。
寝床から起き上がって廊下元気に歩いてたし。撮影合間だから当たり前か。
寝ている謙信のツルツル頭に、ズラゆえのギャザーが寄ってたし。笑
ああああでも、わが愛する謙信の死はやはり悲しいでござるよ。

【2008.11.20 Thursday 22:17】 author : いづな薫 
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篤姫感想「母からの文」
平和主義の帯刀と、革命家の西郷&大久保、袂を分かちましたね。
現代日本では、政権交代に武力行使なんて考えられませんが、当時の武家政治を大きく変革させるには常套手段でもありました。
 侍と言うのは、死を恐れません。
死を恐れない、つまり戦が簡単に起きるということです。
実際、明治になると、旧士族の反乱もあちこちで起きています。
 小松の考えも分かるが、武力討伐を目指す西郷大久保の考えも、また一理ありです。

 時を遡ると薩摩・島津氏は、1600年関ヶ原戦で情報戦にしくじり、熟慮できないまま西軍に付いています。
 幕府から距離的に遠いと言うのは、管理が行き届かず有利ですが、政治工作や情報戦には圧倒的に不利です。
 薩摩は関ヶ原の失敗を繰り返さないように、幕末までの260年間、政治と戦略について研究していました。
 幕府が力を失いつつある幕末、京都にいる西郷からの豊富な情報が、本国薩摩にもたらされ、遠国でありながらついに倒幕に成功しています。
 今回の篤姫でも言っていましたが、今この時をおいて倒幕の機会なしと判断したはずです。 

 大奥の、天璋院を心から想う重野、フェアな滝山、天然な唐橋、面白かったですな。
 小松、とうとう足に包帯巻きましたね・・・。
だんだん病が重くなり、政治の舞台からは遠のいていく小松がかわいそうです。
 お近は利口で、いい奥さんですな〜。
今まで、篤姫のことが好きな小松が好きだったが、小松夫婦の愛もまた、良かったです。

来週の予告、あのでっかい慶喜を篤姫が守ってあげるハートと言ったのと、感動して涙ぐむ慶喜が、
可笑しかったです。
笑う場面じゃないんだが。
幕臣にも大奥にも嫌われてた慶喜、篤姫様の言葉がうれしかったか?笑

ハート日々メールや、日本史ボタンを押して下さる皆様、本当にありがとうございます〜。
いづなの励みです。

【2008.11.09 Sunday 21:57】 author : いづな薫 
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龍馬の血痕
坂本龍馬が、近江屋で襲われた時、龍馬の背後に一幅の掛け軸が下がっていたと言う。
 その掛け軸下部にはシミがある。人間の血痕である。
龍馬のである可能性も非常に高い。
 その他に屏風があり、こちらにも点々と血がはねている。
血痕からB型の血液型が出たそうだが、それが龍馬なのか、それとも違うのか。

 掛け軸も屏風も、京都国立博物館に現存する。
 
 いづなは、以前この掛け軸と屏風をぜひ見たいと博物館でごねたことがある。笑。
残念ながら見逃したが、今年の夏公開していたらしい。

 ご興味のある方は、京都国立博物館HPで以下を検索すると出て来る。
  梅椿図 板倉槐堂筆(血染の掛軸) 
書画貼交屏風(血染の屏風) 

【2008.11.07 Friday 08:41】 author : いづな薫 
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龍馬みやげ
「竜馬暗殺その1」で、暗殺現場となった近江屋に移る前、竜馬が材木商・酢屋に隠れていたことを書いた。
 何度も言うが、酢屋さんは酢屋ではない、材木商である。
この酢屋さん、実はいづなのお気に入りのお店で、今でも趣味のいい木工製品を売っている。
以下、酢屋さんで求めた おしるこ椀
木目の風合いが優しくて、かわいいでしょ〜。


酢屋さんの前には、坂本龍馬寓居跡の石碑が立っている
その住所は、なんと”龍馬通り”である。
京都市中京区河原町通三条下ル龍馬通東入ル。

こちらは、龍馬が会合などに使った料亭明保野亭の今。
三年坂下ってすぐ右にあります。
今は「あけぼの亭」と書き、やはり料理屋さん。
左写真:清水焼など、素敵な京土産を扱う「井和井」も併設。
井和井は、新京極にもあります。
以前は東京駅の中にもあって重宝したが、今は撤退。
右:ここで気に入って買った器。休日に自家製アイスクリームを盛って食べてます。

【2008.11.06 Thursday 08:34】 author : いづな薫 
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龍馬暗殺 その3
近江屋跡に建つ龍馬と中岡慎太郎遭難の碑

 龍馬暗殺の犯人は、分からない。

現場には、ロウ色の鞘と、先斗町の料亭瓢(ひさご)亭の焼印のある下駄が残された。
 ロウ色の鞘を、現場に駆けつけた伊東甲子太郎が新撰組・原田左馬助のものだと証言している。
 瓢(ひさご)亭は新撰組のひいきの店だ。
瀕死の重傷を負い、なおも2日生きた中岡慎太郎が、「こなくそ!」と刺客が言い、斬りかかって来たと証言している。
 「こなくそ」は四国弁である。
それで、伊予出身の原田が疑われたが、原田に嫌疑をかけた伊東甲子太郎自身も下手人に上がっているので、この説もどうかなとも思う。

 薩摩藩が暗殺の黒幕、と言うのもよく話題に上がる。
武力討伐をしたい薩摩にとって、平和解決を望む龍馬が邪魔になったという説である。
 大政奉還の直後、薩摩を動かす主要人物3人、西郷・大久保・小松がそろいも揃って、帰国。
何のための帰国かと言えば、大政奉還した幕府を武力で潰すため、挙兵準備である。
政権は返されたものの、朝廷は為政者としての能力に欠け、幕府に再度ゆだねるようと言う案まで出ていた。
 これは倒幕を目指して着々と準備を進めて来た薩長にとって、屈辱以外の何物でもない。
 
特に、薩摩は一藩でも幕府を潰さんとする勢いがある。
 しかし、薩摩藩内も一枚岩ではなく、藩主父久光の他にも保守派(反倒幕派)が結構いる。
西郷大久保は、藩外外交においては薩摩の顔で力もあったが、久光を始め藩内保守派に対しては、力はない。
身分の低い出身であるため、発言力が弱いのである。当時の封建社会においてどうしようもないことである。
 西郷らが武力討伐を狙っても、容易に軍隊を出してもらえない事情はいくらでもあった。
 そこで西郷らの良き理解者であり、出身身分が高く、家老でもある小松帯刀が必要になって来る。
彼の反倒幕勢力へ説得に期待したのである。
 小松の説得もあり、藩主忠義が兵を率いて上洛している。
 小松はこの頃、西郷大久保とは倒幕に関して袂を分かつが、足痛のため藩主上洛にも随行出来なくなってしまう。
 しかし、龍馬暗殺がテーマなので、今は小松に関し割愛する。
 
 薩摩倒幕派は、龍馬の存在如何に限らず、幕府を潰す気でいたはずである。
 龍馬は平和解決を目指したが、暗殺してしまわねばならぬほどではなかったと思う。
 私個人で言えば、薩摩黒幕説は消えると考える。

 整理すると暗殺犯人で名前が出ているのは、御陵衛士の伊東甲子太郎、新撰組・大石鍬次郎・原田左之助、薩摩の中村半次郎、京都見廻り組頭・佐々木只三郎などである。
 今では、見廻り組説が有力とされる。

 ともかく龍馬は、1866年薩長同盟、1867年には船中八策を起こし、後藤象二郎が藩主山内容堂を説き伏せ、土佐藩の進言で大政奉還を成功させた。
 数度死闘を繰り返した薩長が同盟を組むのは驚きであったが、それを仲介した龍馬の存在もまた、奇跡である。
 注:船中八策(せんちゅうはっさく)とは、龍馬が起草した新国家体制の基本政策。

 龍馬の墓は、京都東山・霊山護国神社にある。
龍馬は中岡慎太郎と並び、同日共に難に遭った下僕・藤吉の墓も近くにある。
ちなみに防犯カメラ付きで、お花や折鶴、メッセージ版であふれている。
誠に、アイドル並みである。笑

【2008.11.05 Wednesday 22:47】 author : いづな薫 
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篤姫感想「龍馬死すとも」

スターバックスで、
エスプレッソチョコレートトリュフを注文してみました。
寒い季節向きの濃厚なココアです。
それを飲みながら、移動途中に見た「篤姫」の感想です

何度見ても読んでも、龍馬の死は悲しいです。
小松叫んでましたな。
近江屋襲撃は、刺客が階段を上がりきった所からでしたね。
大政奉還では諸国40藩の家老など重臣が集められました。
幕府は薩摩に対してだけは、穏健派の小松帯刀を特に指名します。
討幕の他なしの西郷や大久保が来たら、確かに危険ですな。
彼らがお由羅事件から始まり、月照や数多くの仲間の死を経験し、革命的思想を持ったのは容易に想像できます。
薩摩藩は1867年6月、既に討幕を決断していたといわれます。
10月6日、西郷、大久保、小松は岩倉具視と会談。
8日には、明治帝の外祖父である中山忠能と三条実愛(さねなる)に倒幕の密勅を要求しています。
この勅状が、大政奉還の同日に降下。
まさに、慶喜は危機一髪の所で薩長の切っ先をかわしたのです。
薩長、慶喜双方の息を呑むような緊迫感が感じられます。

1867年10月14日慶喜が大政奉還を上奏し、翌15日、帝より許しを得て大政奉還が成りました。
一月後龍馬は不慮の死をむかえますが、最後の将軍・慶喜によってその構想は実現しました。

龍馬暗殺その3をUPしたいのですが、時間切れ。
では、職場に戻ります〜。


【2008.11.04 Tuesday 10:09】 author : いづな薫 
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