大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 米沢 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
お墓参り

今日は、山形県米沢市にある謙信公御廟所に来ています。
出張がてら、お屋形さまのお墓参りです。

廟所の前の門のハリには、謙信公の出家したときの名前、不識庵と書かれている。

上杉輝虎公之閟宮(ひきゅう、神の廟)と刻まれた石碑。神の下り給う神聖な場所である。

お屋形さまは、この奥で今も甲冑着たまま眠っている。


合掌すると、忽然と勢い良く抹香が燃え出した。

【2017.06.23 Friday 11:37】 author : いづな薫 
| 米沢 | comments(2) | trackbacks(0)|
上杉鷹山公
ヒストリア「上杉鷹山」の感想を書こうとしたが、番組で紹介されなかった史料も書きたくなった。
上杉鷹山公、日本近世史上屈指の名君である。
10歳で九州の高鍋藩の次男から名門上杉家の世子(世継ぎ)になり、米沢藩第9代藩主となった。
その頃、東北では凶作が続き農民は逃げ出し米沢藩は膨大な借金を抱え、藩を幕府に返上しようかと言うほどだった。

鷹山の強い指導力、深い学識、謙虚で愛情ある人格・思想形成は、藁科松伯(わらしなしょうはく)と細井平洲(ほそいへいしゅう)のふたりの儒学者を除いては語れない。
藁科松伯は、藩主重定の侍医であり、のちに鷹山の侍医にもなった人物である。
この松柏が江戸で名高い学者細井平洲を、鷹山の師として招くことを成功させた。
良き師を得たとは言え、鷹山が藩主になり藩政改革に乗り出したのはわずか17歳である。

かつて、戦国一お金持ちだった上杉家、謙信公の莫大な遺産は吉良上野介の頃まであった。
この吉良上野介の妻が、なんと景勝(兼続の殿)の孫。上杉家のお姫様である。
そして、吉良夫妻の息子・綱憲(つなのり)が世子のいない上杉家に養子に入ったのである。
この綱憲(つなのり)が、米沢城に豪華な建物や舞台、江戸の麻布御殿など好き勝手に作り、ただでさえ金のかかる参勤交代をよけい派手にした。さすが吉良の息子。
しかし、この頃は散財する金がまだあったのである。
鷹山が藩主になる40年前のことである。
その間、幕府の軍役、天候不順による大凶作で財政事情は極度に悪化。
上杉家には囲い金とか、御貯え金と呼ばれる、いざと言う時のために貯めておくお金があった。
それも使い果たし、借金せねばならない状態となったのである。
謙信公が豊かな富と審美眼で集めた、超一級品ぞろいの美術品、刀剣も質草になってしまった。泣
8代藩主重定の宝暦8年(1758)、借り入れ金は2229両にも及んだと言うから、備前長船派の太刀をはじめいかに豪華な美術品があったかが窺い知れる。

鷹山は自らの生活費を7分の1に削り、一汁一菜、木綿ばかりを着ていた。質素なことは下士以上であったと言う。
奥女中も50人から9人に削減。
身を切る覚悟なく既得権益を守り増税を叫ぶ、現代政治家のバカ共とは余りに違いすぎる。

江戸で島津家の馬行事に招きにあずかり、諸家は近習でさえ美麗な着物を着ているのに、鷹山だけが木綿の袴で見苦しかったと言う記録まで残る。
鷹山は、およそ格式に価値を見出さない人物である。
上杉家が、栄華を誇っていたのは昔の話である。
番組でも言っていたが、鷹山は、「米沢藩はかつてのような格式ではなく、小藩である。」
景勝の頃は120万石あった石高は、いまや15万石。なのに家臣は以前のまま5000人もいた。

鷹山は必要とあらば改革を断行し、どんな困難な状況でも覆す不屈の闘志の持ち主であった。
鷹山は、寒冷な東北でも育つ桑の木を育て養蚕業を盛んに、京都から機織職人を招き、材料から製品化までを藩内で行うシステムを作り上げる。
多過ぎる家臣は田畑に労働に行き、武家の妻女は機を織る。
城内の庭に鷹山が自ら田畑を作り、側室お豊の方らも機織を勤めたことが知られている。
これは米沢織と呼ばれ、今でも米沢市議会3月定例会初日には米沢織の着物で議員たちが登庁する。

藩を返上を考えたほどの莫大な借金は、鷹山が亡くなる頃、返済し終わり、財政は黒字に転じた。

最後に、鷹山の家族について触れる。
正室は先代藩主重定の息女幸姫(よしひめ)だが、30歳で病没した時、10歳ほどの体格しかなく心身発育に障害のある人だった。
鷹山は幸姫(よしひめ)をとても大事にし、人形遊びにも心良く付き合った。
幸姫(よしひめ)が亡くなった時米沢にいる実父重定のもとに、10歳くらいの体格の着物が遺品として送られて来た。
それを見て、父・重定が驚いたと言う。
どうして、実父が知らなかったのかこちらが驚くような話である。
この重定、凶荒で農民も藩財政も甚大な被害を受けているのに、豪華な新御殿南山館を建設し
あろうことか火災で焼失、2万両が灰燼に帰した。

鷹山は重定が病に倒れた時も米沢に帰り、高鍋藩の実父・秋月種美(あきづき たねみつ)が倒れた時も、鷹山は懸命の介護を行っている。
家族にも、領国の民にも、深い愛情を注いだのが上杉鷹山という人物である。

受けつぎて国の司の身となれば忘るまじきは民の父母

藩主となったからには、領民の父母である気持ちを忘れてはいけない。
鷹山が、17歳の時藩主になる強い決意を詠んだものである。

また、養子の治広に家督を譲る時、贈ったのが「伝国の辞」である。

一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれなく候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれなく候
一、国家人民のために立たる君にし君のために立たる国家人民にはこれなく候

世界に広めたい素晴らしい名言である。
そして、鷹山は引退し大殿様(おおとのさま)と呼ばれた。

米沢の上杉家御廟所、謙信公ほか歴代の藩主が眠っている。
向かって左にある鷹山公の廟所の隣り奥まった位置に、鷹山の実子で治広(10代藩主)養子となった顕孝の廟がある。
藩主として望まれていたが、19歳の時天然痘で他界。
自らを律し続けた鷹山公が、墓地は「自分のそばに」と願った。
両親である鷹山公とお豊の方の深い悲しみがしのばれる。
お豊の方が81歳の長寿で逝き、4ヵ月後の早朝、鷹山公も睡眠中静かに息を引き取った。72歳。

愛情深く果敢な行動力で民を救った、偉大な大殿様(おおとのさま)は、今も藩祖謙信公のおそばで眠っている。

無性に、米沢に行きたくなった。

【2012.03.23 Friday 21:30】 author : いづな薫 
| 米沢 | comments(4) | trackbacks(0)|
義の後継者 上杉鷹山
昨夜のNHKヒストリア「ただ、人を助けたい〜直江兼続と「義」の後継者たち〜」で、上杉鷹山公に触れていたので、書く。
 
 このブログでも触れてきたが、直江兼続は、上杉家を衰退させたとして、奸臣(悪い家臣)と言われた時期があった。
 150年前に生きた兼続を再評価し、財政難の上杉家を立て直したのが、
米沢藩第9代藩主・上杉鷹山である。

 日本の近世史上、屈指の名君である。



 ジョン・F・ケネディが、尊敬した人物としても知られている。
ケネディ元大統領の就任演説は、上杉鷹山の精神に似通うものがある。
国が成り立つために、構成員である国民と国との自助と互助が必要との精神を表している

 ケネディの後で申し訳ないが、私も歴史上尊敬する人は誰か?と尋ねられたら、上杉鷹山公を挙げる。
謙信公も尊敬しているが、いろいろな面で好きなので、尊敬するとひとこと言ったら、鷹山公である。

 鷹山公は、江戸の高鍋藩邸(九州の大名)で生まれ、10歳で上杉家に養子に来ている。
その頃、米沢藩は大変な貧乏で、重税に農民は逃亡し、上杉家に金を貸してくれる商人はおらず、
幕府に藩を返してしまおうかと言ったくらいであった。
 殿様以下家臣すべて、浪人になろうと言うのである。

 この鷹山公からさかのぼること100年前、上杉家では一大事がしゅったいしていた。
 3代藩主綱勝(景勝の孫)が後継ぎを決めないで急死し、末期養子(死んでから決めた養子)を認められたが、
石高を30万石→15万石に半減にされてしまったのである。

 それだけでも大変なのに、迎えた養子の実父がなんと、吉良上野介。最悪。
 幕府高家として大いばりな吉良上野介、上杉家藩政にことごとく口出しし、膨大な出費をさせるのである。

 高家とは何か?
高家とは、江戸幕府で儀式を司り、礼儀作法を諸大名に教える。
 当然、高額な授業料が支払われる。
 平和な時代になると、ヒマなので、儀式がどんどん入り組んでうるさくなる。

この吉良上野介、謙信公の遺産を使ってしまった人物でもある。
謙信公の莫大な遺産は、吉良の時代まで一部残っていたのである。
 
 上杉家家臣の中には、鷹山公を、どうせ養子殿様だと侮る者も多かった。
しかし、鷹山公は、
「謙信公時代の大国でなく、今は小藩なのだ。」
と言い、自ら城の庭に畑を作り食用の鯉を飼い、木綿を着て、一汁一菜で暮らしていた。
 家来の中には、田畑を耕す鷹山を見てバカにしたり、畑を壊すものまでいたと言う。
 
 作家の童門氏も解説で仰ってたが、鷹山公は、格式に価値を見出さない人物である。
 禄を幕府に返上しなければならないほどなのに、
「大国であった謙信公以来の高い格式を持つのは、分不相応だ。」だと、鷹山公は説いている。

 米沢藩は海がなく魚が取れず、蛋白源が不足する。
だから鯉を飼う。
 台所の洗い水が庭の池に入るようにし、野菜くずなどが流れ込むよう設計する。
 そこで育った鯉を、人間が食べるのである。
そして、市場に出回る魚も買う権利に順番が決められており、妊婦など弱者が優先されたと言う。
 改革目標はただひとつ、藩内の病人、お年寄り、妊婦、子供、身体障害者、社会的弱者を労わるまつりごとを行うこと。
 民を富ませることを、至上命題に掲げたのである。
 
 天明2年(1782)から5年間にも渡って、日本列島が冷害と凶作に見舞われる、天明の大飢饉が起こる。
 みな自藩の食料だけでは足りないので、近隣の藩に救いを求めることになる。
しかし、近隣諸国みな凶作なので、どうにもならない。
 日本中に餓死者が大勢出る中、
持ちこたえられる食料備蓄があったのは、300藩中わずか4藩に過ぎない。

 その中に、31歳の鷹山が治める米沢藩が入っていたのである。

 上杉鷹山、その肖像画は、柔和で優しげな人物にしか見えない。
 この線の細い人物の中に、どんな絶望的状況にも負けない、熱いエネルギーがたぎっていたかと思うと、何とも不思議な感じがする。

 閉塞状況の中、わずかなチャンスを見逃さない確かな眼力。
果敢な行動力。
 彼の政治理念は、「藩主は、領民の父母である。」と言う、民を愛する心から発しているのである。

 上杉神社稽照殿に残る鷹山公の鎧は、とっても大きい。
 江戸時代に生きた鷹山公は、これを着て戦うことはなかったが、彼の愛と志の大きさなのかもしれない。

 上杉鷹山は、20万両もあった借財を、晩年にはほとんど返済する。
17歳で藩主となり改革を始め、72歳で没するまで、民を愛し民のために奔走する生涯であった。

 なせば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり

鷹山公の言葉を含む「上杉家文書」は、国宝。我々の宝である。




【2009.11.26 Thursday 22:48】 author : いづな薫 
| 米沢 | comments(4) | trackbacks(0)|
ウコギ
今日は、ウコギのおにぎりを作ってみた。
 ウコギとは、直江兼続や、上杉鷹山が垣根や食料として奨励し、米沢の地に植えられた植物である。
最近の研究では、殺菌や免疫など体を守る成分が生鮮野菜に比べとても多い事がわかっている。

ビタミンC、ビタミンE、カルシウム、γ-アミノ酪酸・ポリフェノールを多く含み、米沢藩の健康を支えた食物である。
その効能は、抗菌・血圧を下げる・鎮静・排尿などに効果があり、神経痛・疲労回復・強壮・冷え性にも効くそうな。


 ウコギを美味しく食べるレシピです。
ウコギご飯ですが、とっても簡単。
炊き立てのご飯に、ゆでたウコギを刻み混ぜるだけ。
焼き味噌をのっけていただくと、本当に美味しい。


 焼き味噌の作り方

刻んだ胡桃とねぎ、味噌を、油でいため、ゆず、砂糖、カツオ節、など入れる。
 材料は適当でいいんです。

右は、14歳の謙信が初城主となった栃尾城(新潟県)ゆかりの、「栃尾の油げ」。
焼いて、だし汁と水菜を入れひと煮立ちすれば出来上がり。
 ウコギは薫り高く、焼き味噌も栃尾焼き油げも香ばしくて、非常に美味いです
!

 米沢の町を歩くと、そこかしこに見られるのが、ウコギの垣根である。
とげがあって触ると痛いが、家を守る垣根として優秀。
 それでもって、春先に出る、新芽がことの他、美味い。
米沢で伝統的な御料理をいただくと、もれなく、ご飯に混ざって出てくる。
 ウコギの天ぷら、おひたし、アイスクリームなども定番。

米沢で親しくなったおまんぢゅう屋さんの御宅で、ウコギのおひたしをご馳走になった。
 摘んだばかりのウコギは、本当に香りがいい。
私の歴史友達ゆきさんは、ウコギのフリットを首都圏のレストランで食べたそうだ。
 数年前までは、東京では物産展で見かける程度だったが、今では、天地人効果かレストランのメニューにまである。


 上の写真は、いづなの庭のウコギである。
東京は暖かいので、米沢より早く旬が過ぎてしまうが。
東京で食べ、その後米沢に行って食べるのが、私の春の恒例行事である。

【2009.06.04 Thursday 21:59】 author : いづな薫 
| 米沢 | comments(0) | trackbacks(0)|
かねたん&殿




 昨日のトークショー絵が好評だったので、調子に乗って描いています。笑
日本史ボタン押してくださった方、メール&コメント下さった方、心よりお礼申し上げます。

 本日は、殿が米沢の御廟所や林泉寺にお参りしたニュースを拝見しました。
 素敵な映像見せて下さったお友達の朧さま、感謝です!

 殿が、謙信公のお墓や、景勝公のお墓に丁寧にお参りする姿は、しみじみと感動しました。
 感無量です。じーん。
 何度訪れたか知れませんが、謙信や景勝、鷹山のお墓がある限り、いづなもまた参ります。笑

【2009.05.15 Friday 21:30】 author : いづな薫 
| 米沢 | comments(6) | trackbacks(0)|
景勝&菊姫トークショー in 米沢
先日の上杉まつりの続きです。
川中島合戦のブログに書いていませんが、殿もご挨拶にいらっしゃっていました。

 さて、今更ながらトークショー日記です。
天地人メンバーで公園や屋形船で花見したと言う、相変わらずな仲良しぶり。
特に仲良しなのは、上田衆だそうです。
 
 司会者の、「景勝&菊姫が夫婦としてどんな愛情を育んでいくんですか?」の質問に、
 「台本どおりです。」の殿の答え。笑

 武田家滅亡時、菊姫と殿の和解シーンがありましたが、姫いわくあんな風に言ってもらえるのは、幸せです。との事。
 気の強い嫁と、優しい殿の組み合わせだとも仰ってました。
プロデューサー氏は、この夫婦は、子供が出来なかったのが悲劇だと語っておいででした。

 景勝に、他に子供が出来ますからね。
まあ、当時の考えからしてみれば、一夫一婦の間に子供が出来るとは限らないので、現代風な価値観でドラマを仕立てているからでしょう。
 
 戦国時代の女性は悲惨な立場の人が多く、ドラマでは少し変えていると殿が仰っていました。
 私もこれには大賛成です。
歴史学を考える場合、当時の価値観で考えねばなりません。
しかし、ドラマなどフィクションは、視聴者が感情移入出来ないといけないので、現代の価値観に合わせるべきだと思います。
 
 殿は、美人の山形県知事から青い花束をいただき、姫はピンクの花束、プロデューサー氏はオレンジでした。
 ちなみに知事は、川中島合戦の時に、いづなのすぐ近くに座っていらっしゃいました。
 殿は終始にこやかに、会場のあちこちに何度も手を振って下さいます。
 最後の”かねたん”が登場し、殿がかねたんの頭上の空気穴?から覗いているのが可笑しかったです。
 最後に、殿と手をつないで退場。大きいのにヨチヨチ歩くかねたんに爆笑。

殿は、グレーのスーツに黒に近いダークグレーのシャツ、黒のネクタイ、黒い靴。
ふわりとした髪が素敵でした。

今回、ステージ近くまん前席だったので、出演者皆様のご様子は、じろじろあんまり観察していません。笑
殿のふさふさした、暖かそうな?まつ毛が印象的でした。ハート




【2009.05.14 Thursday 19:24】 author : いづな薫 
| 米沢 | comments(4) | trackbacks(0)|
上杉まつり
さて、5月2、3日の上杉祭り日記です。
まずは、5月2日夜・「武てい式」。

 御廟所でお会いした、美男の謙信がお祭りにお出になるので、早速会場へ。
う〜ん、観客席で拝見するより、御廟所でお会いした時の方が、めちゃくちゃ近くて感激した。
 もちろん、ツーショットで写真も撮ったチョキ
 
 出店で買った焼き鳥やら牛串、おにぎり、お振る舞いの玉こんにゃくなど頂いているうちに、太鼓の音がする。
 上杉二十八将が、呼ばれる合図である。
謙信が、神の水である五沽水を汲み、家臣たちに分け与えます。
 敵を討つぞー!、の意思が込められるそうです。

 砲術隊の火縄銃が、ものすごい轟音でした。
米沢には、鉄砲隊が現在2つある。
 お城付近でしか鉄砲を撃たない、上杉鉄砲隊と、新潟の「謙信公祭」にもおいでになる、稲富流砲術隊である。
 
 景勝&兼続の時代になり、上杉家でも軍事面で鉄砲が重要視される。
 鉄砲の生産地、堺や近江国友村からの職人を高禄200石で召抱え、白布温泉で秘密裏に鉄砲を製造させていた。
 兼続は、藩士たちに火縄銃の撃ち方を熱心に練習させ、「鉄砲稽古定」なんて本も書いている。
 徳川方の一員として参加した、「大阪冬の陣」では、上杉の鉄砲隊が効果を上げ、徳川秀忠より礼状が贈られている。
 ちなみに戦いが始まる意味の「火蓋を切る」の語源は、火蓋が開いて火縄が点火され、弾丸が発射されることから出た言葉である。


 替ってここからは、翌3日の「川中島合戦」です。
30匁(口径27.5mm)の大筒が火を吹き、これまた轟音であたりが真っ白。笑

 霧が晴れると、上杉&武田入り乱れて武者が大勢戦っています。

 
いづなの目の前で行われた、城外乱闘(場外乱闘)にみんな大歓声。


 ヒマそうな直江君。なぜか川中島合戦に参加。
もっとも激戦だった第4回川中島の時、彼は数えで2歳(今で言う1歳)です。


 討ち死にした、武田家軍師山本勘助と武田典厩信繁(信玄の弟)。
 何だか妖しいふたり。笑


 第4回川中島合戦が時系列で演じられて、実に迫力ある祭りでした。 
演技者&関係者の皆様、大変楽しめました。ありがとうございましたハート

 川中島合戦を最後まで見て、30分後に始まる、トークショーへ。
勝手知ったる米沢の町、空いている時なら楽に移動できる距離だが、何せ10万人の大混雑。
人をかき分けかき分け、走らにゃならんのだジョギング 

【2009.05.08 Friday 23:03】 author : いづな薫 
| 米沢 | comments(1) | trackbacks(0)|
コロッケとまんぢゅう

米沢牛コロッケ、カレーパン、メンチと、まんぢゅうの山
米沢に来た時は、お気に入りの美味い物を何種類か買う。
これらもそのひとつ。

この日、景勝さんも買ったとか。
私は、家族へのお土産に買って帰りました。
特に、米沢牛コロッケは、父が好きなので。
どんな大家族なんじゃ!? いや、ひとり頭の割り当てが多いんです。笑
自分への土産は、古文書とお酒。
 
 駅までお車で送って下さった、親切なおまんぢゅう屋さんに感謝しています。
 帰りの新幹線の中、酒は飲むわ、大量コロッケの匂いぷんぷんのとんでもない客のいづな。笑
 隣に座った一人旅の女性が、牛肉どまん中(米沢の名物弁当)を食べているのを見て、「美味しそうですね」と話しかけ、初対面なのに盛り上がる。
 酔っていないつもりが、明らかに酔っ払いの行動。笑

【2009.05.07 Thursday 21:06】 author : いづな薫 
| 米沢 | comments(6) | trackbacks(0)|
謙信公に会いました!
前田慶次郎めぐりの後、午後は与七くんのお墓のある、関興庵へ。
与七くんが養子に行った、大国家のお墓


その後、禅透院へ。
ここに、何があるかって?
景勝の彼氏、清野くんのお墓があるんですよー!
死ぬ時、同じお坊さんにお経を上げてもらってね、とお願いされたのに、違うお坊さんにした小悪魔清野に、合掌。
清野くんってだれ?の方は、以下をご覧ください。
http://cafe.kenshingen.fem.jp/?day=20090421


次は、上杉家御廟所(墓所)へ。
なぜか仕事の電話がかかって来てしまい、御廟所で仕事。とほほ。
しかし、この後がすごかった!!
 
 いづなは以前、御廟所で出待ちすると書いた。
この日、とうとう出たぁー!!!
 
いづなの少し後を、白い頭巾に陣羽織の人が歩いていらっしゃるではないか!!

 いづな  「今年の、謙信さんですか?」ドキドキハート
 謙信   「はい。」
 いづな  「お写真、撮ってもいいですか?」バクバクハート
 謙信   「はい。」
 
 夜のお祭り、武てい式に出る謙信公だそうです。
何で、ドキドキバクバクなのかと言えば、この謙信公、長身でとってもハンサム!!

 この日はホテルで早く寝るはずだったいづな、
容姿端麗な謙信登場に途端に予定が変わる!
 夜のお祭りも、寒さの中がっつり最後まで見ました。
暖かいショールを貸して下さったK様、御礼申し上げまする。

下の写真は、ご自分のお墓にお参りする、謙信公。笑

後のお姿が、たまらなくかわいいっすハート
ちなみに、本当に上杉家の方ですハートハート

 祝とうとう、ランキング1位になっています。そろそろやめようかと思っていたんですが、笑。
 ひとえに皆様のおかげでございます、厚く御礼申し上げます。

【2009.05.06 Wednesday 08:41】 author : いづな薫 
| 米沢 | comments(4) | trackbacks(0)|
前田慶次郎と、直江兼続の史跡
米沢駅を降り、サイトご常連兼友人のビビアン様と待ち合わせる。
我らは、ビビアンさんの愛車で、上杉まつりの前に前田慶次郎史跡めぐりに出発!
行った人→ビビアン様、K様、いづな
駅を降りた途端、米沢駅東口が黄色い旗の山
 ビビアンさんも車で来る途中、その黄色い旗に「工事中か!?」と驚いたと仰る。
 よく見ると、コレ


と言うわけで、慶次郎の供養塔がある善光寺
慶次郎の力石、隠棲後は里の人と力比べでもしたんでしょうか。


同じく善光寺内の。慶次郎の供養塔


慶次清水
慶次郎の屋敷、無苦庵の近くにあり生活用水だったとされる、湧き水。
今も、綺麗な水が湧いています。


直江石堤
直江兼続が、洪水から城下を守るために築かせた堤防。
堤防は江戸時代になってから、何度か大雨で決壊、1812年の改修には米沢藩士延べ1万2000人を動員したと言う。
現在、市の史跡。
米沢藩、血と汗の結晶である。


龍師火帝の碑(りょうしかていのひ)
米沢市南の最上川猿尾堰(さるおぜき)左岸にある大きな石。
龍と火、弥勒菩薩の種字(梵字)が刻まれる。
龍師は風雨を司る神で、火帝は火の神を表わす。
兼続が、猿尾堰を守り干ばつ、洪水が起きないように鎮守として設置したと言う。
龍と火の文字が薄っすらと見える。
 この石、高さ1m、幅3m、厚さ1mである。
その巨岩が、台風などで猿尾堰(さるおぜき)が決壊し、川底に沈んだと言うから、かなり荒れる場所なのである。 
今でも天災は恐いが、昔は、比べ物にならないほど恐ろしかったであろう。


【2009.05.05 Tuesday 21:16】 author : いづな薫 
| 米沢 | comments(4) | trackbacks(0)|
過去のページへ

戦国カフェオリジナルグッズショップです。 戦国カフェオリジナルグッズショップへ
    いづなへメール

 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

   当サイトは、コピー、転載、ダウンロード、直リンク、持ち出しは禁止です。
◆ 著作権はすべて、
いづな薫に属します。
 過去のページへ


   にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
   にほんブログ村。
   ランキングはお休み中