大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 ちび勝&上杉景勝 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
上杉景勝と女性の家族 2


 上杉景勝という、人物を考える時、妻妾より密接な女性がふたりいる。
母・仙洞院(仙桃院)と、姉である。
母の仙洞院は、周知の如く上杉謙信の実姉で、2つか6つ違いだと言われている。
仙洞院は謙信の政敵であった長尾政景に嫁いだ後、4人の子を成し、夫を不慮の事故(舟遊び中溺死)で失っている。
 そして、謙信が仙洞院景勝親子を春日山に呼び寄せ、共に暮らしている。
未亡人と独身の仙洞院と謙信、姉弟でありながら、夫婦の如く景勝を育てたように思えてならない。
 景勝への愛情あふれる手紙や、字の手本がそれらを物語る。
春日山には、謙信と仙洞院の実母、虎御前も健在だった。
景勝は、謙信のほか母や祖母の愛情を受けて育った。

 そして、景勝の姉についてである。
名は伝わっておらず、戒名の頭3文字は母と同じ「仙洞院」である。
景勝は、この姉と仲が良かったと推測できる。
 ドラマでも出て来ていたが、上条政繁がその夫である(異説あり)。家来扱いだったが、本当はお義兄さんである。

景勝は姉夫婦に相談事をしたり、アドバイスを求める書状を遺している。

異性の家族に強く愛された人間は、成長してからも、家族以外の愛情におぼれず、さして必要ともしないと言う。
 謙信が独身だったのには諸説あるが、僧侶である宗教上の理由と、母や姉に強く愛されたことが由縁しているだろう。

 天地人では、夫婦愛を描く都合上、兼続夫婦、景勝夫婦を軸としていた。
兼続に関しては、妻子との深い家族愛があっただろうと古文書、記録などから推測できる。
 しかし、景勝は正室側室含め信憑性のある記録は極わずかしかなく、判断しがたい。
 殿様なのに、記録がないということが、冷たい関係を証明しているとも言える。
記録の分量を見ても、景勝には母と姉の方が、妻妾のそれより密接である。
 景勝は、生涯に渡り母と姉を慕い続けたと言っていい。
 
 仙洞院は、景勝正室側室亡き後なお5年生き、86歳の大往生だった。
景勝は55歳になっていた。
姉も元和8年(1622)におそらくは70歳を超えて亡くなり、体調を崩した弟・景勝が半年後、69歳で亡くなっている。
 没した地は3人とも米沢である。
 景勝は、生涯のほとんどを母と姉と生きたのである。

【2009.11.03 Tuesday 19:50】 author : いづな薫 
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上杉景勝と女性の家族 1
 
 
 最近、天地人で景勝夫人やら側室やらが出て来たが、どうにも影が薄い、景勝が。笑
 
わずかに残る史実の妻妾たちとの関係とも違う、私から見れば”なんちゃって景勝”なのである。
 フィクションなので、どう書こうと自由だが。

 今日は、ちょいと上杉景勝の夫人たちについて書いてみる。
正室と側室、計2人。以上
 至って簡単である。
 いったい何人いるのさと言う大名、将軍が多い中、謙信を真似をしたか、彼は女性にさして興味を示さない感じだ。

 正室は、ご存知風林火山の息女で、1558年生まれ景勝と2歳差である。
 (菊姫生年は異説あり。景勝は弘治元年11/27生まれ、この日は西暦で1556年1/8に当たる。)
 最初、長島一向宗の願証寺の左尭と婚約している。

 長島一向一揆を織田信長がブッつぶしたため破談スペード、信玄も死に武田家衰退する中、菊姫は行かず後家になる所だった。
 そこで、妻がいなかった景勝と婚約するのである。
周知の如く、実子なし。

 周りから、跡取りがないと家がつぶれるだろ!と、やいのやいの言われなかったら、謙信同様、景勝も生涯独身だったかもしれない。
 謙信は、誰に頭を下げることなく生きているので、宗教その他の(注1)理由で独身でいても、さして問題じゃなかった、たぶん。
 (注1)失恋説とか、衆道好みだったとか、謙信女性説とか・・・etc

 景勝も大変な女嫌いで身辺に女性を近付けないため、兼続が側室を男装させて近付けたら、子供が生まれたなんてとんでもない話もある。
 
 正室菊姫死去後、2ヵ月半で、玉丸は生まれる。
生母は四辻大納言息女とあり、名前、生年月日、いつから側室になったのか一切不明である。
 正室と側室が、京と米沢同時にいた時期があるのは確かである。
もしも後妻なら、四辻さんは正室になっただろう。
 この時代の公家はいたって貧乏だが、大納言と言えば、景勝より上の位である。景勝は中納言。

 玉丸は、慶長9年(1604)5月5日午前8時に米沢城で生まれている。 
景勝は伏見にいて、その3ヶ月前、菊姫を看取っている記録が残る。
これが、菊姫の信用できる2つの記録のうち一つ。
 景勝は8月21日伏見を出発し米沢に帰るが、この時既に、側室も亡くなっていた。

 2人の妻妾をバタバタと亡くしたが、景勝は子供を愛し、教育はしっかりやった感がある。
 の上達を褒めたり、プレゼントをしあったり、もっと大名たちと付き合えと諭したりする書簡が残っている。
 謙信と幼少の景勝の間柄に、似ていて可愛い。

【2009.10.28 Wednesday 22:31】 author : いづな薫 
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上杉景勝のお願い


【2009.10.17 Saturday 18:35】 author : いづな薫 
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スタジオパークからこんにちは 景勝登場
その感想 虎穴夫婦の場合。


【2009.07.22 Wednesday 23:39】 author : いづな薫 
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戦国グッズ、大量更新!

作りためていた、『戦国カフェオリジナルグッズ』を新発売します。
お店は、右のバナーからお入り下さい。
 御なじみのストラップの他、Tシャツ、エコバッグをご用意いたしました。
いつも使っているエコバッグがぼろくなったので、自分も使いたいと思い作りました。
 大きくて、大変丈夫です。
よろしければ、ご愛用下さいませ。

忙しいのに、何やってんだか、笑。あ〜自分が3人ほしい。
でも、グッズ作りのお仕事が一番楽しかったりします、笑。

【2009.05.23 Saturday 16:25】 author : いづな薫 
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秀吉×景勝 in 落水
VS


今日は、越前・落水城(勝山城)で秀吉と景勝が会った話に触れる。
このお話は、近年の研究では創作説が強いので、それを踏まえてお読み下さいませ。

 天正13年8月、秀吉は、わずかなお供を連れて、越後領内の落水城に現れる。
 落水城主・須賀盛能(すがもりよし)に景勝に会いたいと会見を申し入れたと言う。
 須賀は景勝に連絡を取り、如何にするかを談判。
景勝は、会うと決め、秀吉、三成、景勝、兼続で、面会した。
今後、秀吉に協力することなどを話し合ったと言う。

 希代のひとたらしだった秀吉と、義を重んじ勇気ある景勝から生まれたお話かもしれません。
 この城は春日山城の出城で、今でも曲輪や井戸、堀など謙信時代の遺構が現存する。
 
 皆様は、風林火山の時に、大熊朝秀(おおくまともひで)と言う人物が出て来たのを覚えていらっしゃるだろうか。
 謙信が27歳の時、家臣同士の土地争いに嫌気が差し、「そんなに争うなら、私の土地をくれてやる!」とを言い、家出(出家)して高野山に行くシーンがありました。
 その時の、争っていた家臣が大熊朝秀、俳役は大橋吾郎さんだったかな。
 ここまでは、ドラマ風林火山の話で、以下は史実。
謙信は、景勝のパパ(義理の兄)に説得されて、春日山に戻るんですが、謙信留守中反乱を起こした大熊を、戻って来た謙信が落水城近くの駒帰(こまがえし)と言う海べりで撃破しています。
 ちなみに、大熊はその後武田信玄に仕えました。
その子、長秀(ながひで)は、御館の乱の時、上杉景勝と武田勝頼の同盟にあたり、武田側の交渉役になっています。

【2009.05.18 Monday 20:51】 author : いづな薫 
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上杉景勝ステラ

喜び勇んで、破らないようにせねば。うそうそ、笑

昨夜は、上越で地震がありましたね。
何事も被害のないことを祈っています。

今朝、道を歩いていたら、仕事の電話がかかって来て歩きながら仕事。
そこへ、救急車のサイレンが聞こえて来た。だんだん近付いて来るサイレン。聞こえなくなる電話。
小走りしで救急車を避けながら、電話をかけていると、救急車もこちらに来るではないか!
大音量のサイレンに追いかけられ、逃げ回り、朝から汗だく。
どうして、付いて来るのよ〜!

いづなが足を止めた所のマンション前で、救急車も停まった。
ご病人はこちらね?おだいじに。

逃走終着地点にあった書店店頭で、偶然“景勝さま”を見つけました。
これも、景勝さまのお導き?笑



【2009.05.13 Wednesday 09:55】 author : いづな薫 
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バニー景勝 その2
以前、上杉景勝が卯年で守り神が文殊菩薩と言う話をしました。
 その説明を「バニー景勝」と言うタイトルで以下にブログを書いたら、面白い反響がありました。
バニー景勝は、ここです
http://cafe.kenshingen.fem.jp/?day=20090406

 まず、ご常連のかな様が、バニースタイルの景勝を連想したと話してくれました。
 そしたら、いづなの夢にバニー景勝が出て来ました。(あくまで、うちの景勝ですが。)
そして、これまたご常連の朧様の夢にバニー景勝が出現したそうです。

と言うわけで、描いてみましたハート





まもなく越後では、某実業家がこんなお店が開店させたそうです。ハート

【2009.04.27 Monday 21:38】 author : いづな薫 
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景勝のボーイフレンド


上杉謙信、武田信玄のボーイフレンドを以前描いたが、今日は上杉景勝です。
 前から描こう書こうと思っていたが、とうとう描きます。

 残念ながら、直江兼続じゃありません。
清野長範(きよのながのり)くん、と言います。

 生年は、謎で1573年とも、兼続と同じ位だとも言われています。
会津蘆名氏の家臣、平野常弘の次男です。
 伊達政宗に会津蘆名氏が滅ぼされ、浪人していた所を、上杉家の家臣木戸元斎と言う人にスカウトされます。
 蘆名氏から上杉家へ人質として来た、と言う説もアリ。
とにかく、上杉家で面倒を見てくれた木戸とすぐにデキたらしい汗

 小悪魔清野、景勝に拝謁したら、景勝が気に入っちゃって、今度は景勝に乗りかえるハート
昼夜、御そばを放し給わず。ハートハートハート」だったと言うから、すごいっ汗!

 清野くん、大変な美男子だったそうだが、才気煥発で、上杉家会津時代1万1千石、
米沢時代でも3333石いただいたそうな。
兼続を別とすると、一番の出世頭だろう。
 兼続みたいに股肱の臣でもなければ、もともと上杉家に仕える家系でもない。
 だけど、ぐんぐん出世しているのである。

 景勝逝去の時は、献身的に看病したとか。(すでに2人ともジジイだが。笑)。
当時、死ぬ時に同じお坊さんにお経をあげてもらうと、生まれ変わってもまた逢えると信じられていた。
そこで、景勝くん、清野くんに、同じお坊さんにお経をあげてもらってねハートと言い残し、ポックリ
 
 上記に述べたように、清野は家臣としても有能で頭角を現す。
なんと直江兼続が清野に宛てた手紙が2通、現存している。
 これを、いづなはサイトご常連でお友達の”とまとさん”と話していた。

とまとさん  「兼続の手紙には、なんて書いてあったの?」
いづな    「軍事的な事とか、御用材(建築材料)をそろえてね、と言う政治的なことです。」
とまとさん  「俺の殿に、手を出すな!!じゃないのぉ〜?」

上手いな、とまとさん。

【2009.04.21 Tuesday 18:44】 author : いづな薫 
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景勝の陣羽織
景勝の赤い肩の陣羽織、印象的ですね。
あれの元になったと思われる、陣羽織があります。
伊達政宗所用で、肩と裾が逆です。
仙台市博物館に現存しているので、機会があったら御覧下さいまし。
”伊達男”などと言う、言葉まである、伊達政宗、本当におしゃれで斬新です。


 戦国カフェオリジナルグッズご注文して下さった皆さま、心よりお礼を申し上げます。
 到着まで1週間ほど、お時間下さい。
着いたら、虎穴や景勝を可愛がってやってください
ハート

【2009.04.16 Thursday 12:52】 author : いづな薫 
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 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、サッカー日本代表、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

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