大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 『天地人』感想 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
天地人最終回感想  「愛を掲げよ」
上杉&伊達ツアーをしていたため、今頃感想です。

 直江家食事も少し豊かな物になったら、息子が亡くなってしまいましたね。
兼続夫妻、子をみな亡くした時の心境は400年経った今でもいかばかりであったかと、思う。

天地人の政宗、ヤンキーで猜疑心が強い人物に描かれていましたが、
私が一昨日仙台で感じた政宗は、兼続同様、おのが国のために尽くした領主である。
62万石の大身の政宗を幕府が恐れ、城普請など容赦ない賦役が課せられ伊達家は多額の借金に苦しむ。
政宗は幕府の機嫌を取りながら、新田開発や治水工事に力を入れ、民の暮らしを立ち行くよう苦心している。
 ヤンキーでは勤まらない、大変な名君である。
 
 歴友のゆきさんと話していたんだが、遠山はどうしたんでしょうかね???

 上杉の殿はまだ、お船のことが好きなんですかね。
馬のまねをしたのには、笑いました。
お船、有能で人間的魅力のある人物であったと私も思っている。
北政所同様、好きである。
お船は、兼続の没後20年余りを生きる。
景勝も息子定勝に、「まつりごとは、お船に聞け。」と遺言している。
彼女は、上杉家の実質、家老で、京や江戸にあった時は、外交官の役目であったろう。
 お船と兼続、ドラマでは八海山へ旅していた。
史実、”入り鉄砲出女”の江戸幕藩体制が出来る前、女性は自由に旅をした。
 お船は夫亡き後、高野山、奈良、京都を旅行している。
 
一方、ドラマの三成の言葉。
「日本国を見つめる目を持たねばならぬ。負けるのは一時の運、正義は我らにあり。我らの正義を後の世に伝えよ。」
そう言う、三成と親友であったと言う兼続。
 死にゆく三成との約束をし、兼続が、敵であった徳川家の若者たちに武将達の生き様を語る姿が心にしみた。
敵も味方もなく、は若い世代にしっかりと語り継がれてゆく。

  旅に出たお船と兼続、高砂の翁みたいで素敵でしたね。
本物の兼続もさぞや越後に帰りたかっただろうなと、感慨にふけりながら見ていた。
私は越後に行くたび、車窓から越後の美しい景色が見えると、
還りたくて還れなかった兼続の気持ちになるのである。

 兼続、景勝の400年前の物語を、今年一年ビジュアルで見せていただいた。

 戦ない世を夢見て、70度の戦を闘った謙信、
 謙信の義の精神を受け継いだ、景勝と兼続。

 直江兼続、同僚、友を戦で失い、子供を病で失い、越後を失い、なんと苦難多き生涯かと思う。

 多くの大切なものを失いながら、
兼続は、謙信の義を受け継ぎ、戦がなく民が幸せに暮らせる世を夢見て奮闘したのである。

 歴史とは、人が理想に向かって努力した軌跡である。

謙信、兼続、景勝、

彼らが夢見た未来に、いま私たちが、立っている。








【2009.11.24 Tuesday 11:00】 author : いづな薫 
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天地人感想 「大坂の陣へ」
 淀と兼続の娘を失った話には、イマイチ感情がこもってなかったが、兼続&毛利輝元のセリフは、
重みがあり良かったです。

「負けたことを悔いても始まりませぬ。
生きていれば、辛い事もままならぬ事もあり、それでも慈愛の一念を持っていれば、天はいつか良き報いをくれます。」

 私は、史実のさらに苦難の多かった兼続を想い、聞いていました。
 互いに4分の1の領土になった毛利と上杉、新たな生き方を模索する二人が感慨深いです。

 仙洞院、若いな〜景勝と同じくらいに見えるんですけど。笑
仙洞院86歳、景勝55歳。
たぶん景勝が生まれる前から居るであろう侍女2人も、えらく若いし。笑
いつもながら、NHKって女性の年齢が変です。

景勝も”ええっびっくり”て顔していましたが、

「仙洞院が謙信公のご遺言は真実ではなく、母の願いだった」と言うセリフに、引き込まれました。
 その願いに、十分そなた(景勝)は答えた、とも。
 仙洞院は、子供可愛さに跡継ぎを選ばなかった所が良い。
 ここが、淀とは雲泥の差がある。
 為政者及びその側の者は、男であろうと女であろうと、当たり前のことだが一個人である前に公人である。
 自分可愛さに保身に走り、子供可愛さに地盤を譲る政治家が今でもいるが。

 少し大きくなった玉ちゃん、キューピーみたいで可愛いですな。
 景勝と一緒に剣の稽古をしている時、景勝がしゃがんでふたりで突きしている所で笑いました。
 親子とも可愛すぎハート
回想で出て来た、謙信が景勝をおぶっているような乗馬シーンも可愛いな〜。
 謙信と景勝、景勝と定勝(玉丸)、シングルファーザーの系譜が継承されているよ。

「国家安康・君臣豊楽」の鐘について。
京都方広寺に今も残るこの鐘、よくもまあこんな小さな文字に気が付いたなって位のものです。
 機会があればせひ、御覧にお出かけくだされ。
 家康がイチャモンをつけた銘文は、呪詛とは考えにくい。
 巨大鐘に字がびっしり書かれ、「国家安康・君臣豊楽」の部分に、白くしるし付いています。
鐘は東大寺の梵鐘より大きく、高さ420cm 外径280cm厚さ27cm重さ82.7tもあります。

【2009.11.08 Sunday 23:10】 author : いづな薫 
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天地人感想 「哀しみの花嫁」
謎の婿養子・本多政重の回でしたな。

加賀藩の記録によれば、政重は、「直江山城守兼続婿養子の時、前妻は兼続女也、
後妻は兼続弟小国大和守実頼女と也」とある。
読み方、解釈:女→むすめ、小国→大国
 スパイ説もあります。

 家康と榊原ら極悪グループに、掃き溜めに鶴の秀忠登場。
 なんであんなに、家康ら特に榊原を極悪に書くんだろうか。笑

 雨で決壊の猿尾堰(さるおぜき)、今は、のどかな散歩コースですが、昔は巨石が沈むほど荒れたそうです。
 兼続が祈願した、巨石・龍師火帝の碑がその地に建っています。
こちらで、詳しく書いています。
http://cafe.kenshingen.fem.jp/?day=20090505

 治水工事の教えを請いに兼続が伊達政宗を訪ね、政宗が、気が向いたら詳しい者を派遣するかもよ、と言う。
 詳しい人って、政宗本人だったのね?笑

 オレの故郷をこんなに変えやがって!でも、ひとつの天下をなしている、と街づくりをほめる政宗。彼らしいほめ方が良い。
 最初の頃はヤンキー過ぎてでどうしようかと思いましたが、天地人の政宗も好きになりました。

 直江姉妹は、残念なことです。
出来たお船の涙を見て、もらい泣きしてしまいました。

 竹松&謎の婿養子、年齢も立場も違うのに対等に話していて面白い。
愛の兜をこっそり見ていて、竹松にばれる謎の婿養子。
姉ふたりが早世し、自分が父母のそばにずっといなければと言う竹松がいじらしい。
 竹松がまた早世してしまうのが、何とも辛いが。

竹松と、謎の婿養子のその後。

 竹松は、政重の実父(本多正信)の媒酌で妻を迎え、政重は兼続弟実頼の娘阿虎を、後妻に迎えます。
 その後、政重は上杉家を去り、加賀前田家に3万石で仕え、代々家老を輩出しました。
 兼続との間も不和ではなく、前田家に行った後も兼続との交流は続き、兼続の見事な鎧が、本多家に代々伝わっています。
 前立てが変っていて、「奈を江山しろ」(なおえやましろ)と、兼続の名が記されています。

本多家は明治期には男爵になっています。
 この家系は、政重&阿虎夫婦の家系ではなく、阿虎没後、公家西洞院氏を後妻に迎え出来た子。
 しかし、政重&阿虎にも子がいて、この子孫からは、前田慶次郎の逸話を書いた、「可観小説」の著者が出ます。 

【2009.11.01 Sunday 21:52】 author : いづな薫 
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天地人感想 「実頼追放」
 実頼事件、兼続は寿命が縮む想いがしたでしょうな。

ドラマでは、「縁組は、なかったことにしてくれ。」と言っただけだった。
しかし、実際の実頼は、婿・本田政重を迎えに来た兼続の家臣西山庄左衛門と飯田実相坊を、斬ってしまっている。
 
 実頼にしてみれば、長年京留守居役で得る情報も違うし、国許と意見がかけ離れてしまっていたであろう。
 (幕末の、西郷と大久保を思い出した。)

 上杉の命運をかけた縁組を前に刃傷沙汰を起こし、兼続らは窮地に追いやられる。
 関ヶ原時の敗戦責任から、兼続は、
懐に刀を忍ばせるごとき気迫で、徳川方と折衝していたに違いない。
 駆け引きを誤れば、即、改易、死につながる。

 無事お松&政重の婚儀にこぎつけたことに、兼続らの努力を察してあまりある。
 
 政重の父、本多正信は元鷹匠と言う、異色の経歴の持ち主だが、「正信の御異見、御指図に任せ候え。」と家康側近が言うほど、絶大な権力を握った。
 家康隠居後も、秀忠の執権を勤めている。
彼を上杉救済の窓口にした点、兼続と言う男も只者ではない。 

 冒頭、「兼続」と言う星が紹介されていたが、「景勝、岩室温泉、信濃川」と言うのもある。
 みな、実頼の御子孫の大国氏が発見し、名付けていらっしゃる。
実頼から数えて、14代目に当たるそうである。
 この方、晩年の実頼について、古文書研究され、実頼のお墓を突き止めた方でもある。
 奇しくも父・惣右衛門と同じ、米沢関興庵にあり、いづなも何度かお参りさせていただいた。
 見つけて下さった、御子孫のおかげである。

星 発見者は別の方だが、伊達政宗仮面ライダーなんて星もある。
余談だが、いづなは天体観測にはまったことがあり、新潟県胎内市の星祭りにも出かけていました〜。笑

 回想シーンの与六与七は、すごく可愛かった。
幼い与七は特に。
実頼は、兄兼続の没後、米沢に帰って住んだという。

 仲の良かった兄弟は、この世で二度と逢うことはなかったのである。

【2009.10.25 Sunday 21:48】 author : いづな薫 
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天地人感想 「将軍誕生」
仕事に子育てに走り回る兼続に、熱に浮かされた息子が「母上・・・」と言う。
ふびんじゃった・・・兼続が。笑
ほとんど一緒に暮らしていないけれど、母上なんですかー。

 責任感の強いデキるお船を、長々と京に留まらせるのは酷です。いくらでも、仕事しちゃいそうだもの。

上杉家、貧乏で上洛できないと言うのが、何とも哀れ。
ついこの間まで、大変な富豪大名だったのに。
上洛も大変だから、国造りに勤しめて良いのかもしれないが。

兼続と実頼兄弟の亀裂が、見えて来ましたね。
 兼続の娘・松の婿、本多政重を迎えに来た、使者を斬ってしまい、実頼は高野山に籠もってしまうのですが。
 仲の良かったこの二人が、和解出来ずに亡くなると言う悲劇が何とも痛ましいです。

 兼続が言っていた、
万民こそ天下。民のために何ができるかが大事。
いわば、国民主権で、今でも通ずる政治理念である。
 為政者は誰でもいい、戦がなく民が幸せに暮らせることが大事なのである。
 
 政宗のマント、みたいなんだけどー、笑。
(さっき、とある現代の結婚式写真見ていたら、政宗の衣装を来た花婿がいた。しかも眼帯付き〜。)
 
 駆けつけた夫を突き飛ばした、病身の菊の馬鹿力に笑うたぞ。
甲州夫人と呼ばれた彼女、信憑性のある史料には、嫁いだ事と亡くなった記事しか記録にない。
 兼続夫妻と同じ林泉寺に墓所があるが、埋葬されたのは京都の妙心寺である。
 私は双方お参りしている。

 秀頼の前で、泣いちゃう景勝に替って、挨拶文を付け足す兼続が主従の絆が良く出ていました。

 一子玉丸(定勝)を得た時、景勝は50歳である。
側室もすぐに没し、景勝はその後、正妻も側室もおらず、玉丸を守ってただ黙々と生きる。

玉(宝石)のような、玉丸と名づけた所に、景勝のわが子大事さが感じられる。
 定勝の墓所は、米沢の御廟所、景勝と道を挟んで反対側にある。
こちらも米沢入りした時は、必ず詣でる。
ちなみに上杉定勝、赤穂浪士討ち入りの吉良上野介の舅に当たる。

 五度の川中島を戦った謙信と信玄、晩年にはお互い真情を感じあう仲だったと言う。
 信玄は何かあったら謙信を頼れと勝頼に遺言し、謙信は信玄の死に、湯漬けを取り落として泣いたと言う。 
彼らの子供が夫婦であったことに、不思議な縁(えにし)を感じる。 

【2009.10.18 Sunday 22:03】 author : いづな薫 
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天地人感想 「上杉の生きる道」
 直江堤は決壊しそうだわ、子供は熱出すわで、兼続大変ですなー。

 兼続と竹松のやり取り、良かったです。
幼いながら、上杉家の跡取りたらんとする竹松が、お祖父さんの言葉で、
父兼続の苦境を分かろうしていました。
 竹松のお祖母さん・お藤の回想シーンも出てきて、泣けました。

父の愛を、疑うでないぞ、
お祖父さんの言葉を父兼続に言う、竹松にじーん。
 この子、視聴率稼ぐよな〜笑。
 
そして、惣右衛門の死。
 兼続を育て、叱咤激励し、時に盾になり、いつも大きな愛で包んでくれましたね。
 戦国時代は、家庭内で血みどろの争いをしているが、兼続の家は本当に良いお家です。

 縁側で亡くなる時の、満ち足りた穏やかな顔が印象的でした。

上杉家が今日あるのも、樋口惣右衛門のおかげである」、と殿も仰っていました。

 惣右衛門が愛した家族と殿に暖かく送られ、寂しいけれど幸せな最期でした。
彼は、まさに親の鏡でしたね。
 
 菊が落ち着いた良き夫人になったと思ったら、もう亡くなりそうです。

 そして、忘れてはいけない私の萌えポイントハート
謙信壺ですよ、謙信壺。
 しかも景勝が拝んでいると言う、素敵おまけ付きハート

 
赤りんご天地人紀行に出て来た、米沢の直峯町(のみねまち)について。
 直江兼続の父樋口兼豊(惣右衛門)は、景勝により、1584年直峰城主(現:新潟県)に任じられている。
 この城は、新潟ではのうみねだったが、米沢では直峯町(のみねまち)と読むのだそうだ。

 城下の西に、旧町名を記す柱がある。
 2009年いづな撮影



 町名は、新潟の直峰城から取っている。
新潟と米沢は、春日山林泉寺など、同じ名称の町、お寺などが本当に多い。
新潟から移り住み、同じ名を米沢に付けたからである。
 米沢の直峯町も、新潟から直江兼続の家臣が多く移り住んでいたと言う。
上杉家御年譜によれば、鉄砲鋳造屋敷があったが、江戸初期の火災により消失している。 
 

ドラマ中で、兼続が作ると言っていた直江石堤が、米沢に今もあります。
以下に書いておりますので、ご覧ください。
http://cafe.kenshingen.fem.jp/?day=20090505

【2009.10.11 Sunday 21:07】 author : いづな薫 
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天地人感想 「上杉転落」
ドラマでは、家康に謝罪しないんですねー。

家康の兼続景勝への詰問、身を乗り出して見たぞ!

何ゆえ、おぬしらは負けた!?

 獲物をいたぶるような家康のセリフに、ぐうの音も出ない兼続。

実際の兼続、景勝がなんと言われたのか、想像しながら見ていた。

 120万石から30万石となり、家存続が決まった時、兼続が溜飲を下げていた。
 ドラマ前半に、”殿が打ち首、領地も失うかもしれない”の苦悩と緊迫感が欲しいなと思いました。
 そうすれば、兼続の努力と、30万石でも胸をなでおろすのが伝わると思う。
   
 当たり前だが、古文書などに残る史実の方が、格段の迫力がある。
あーもう出勤しなきゃならんので、書けないが。

 上杉家の一家臣である、直江兼続を有名にしたのは、直江状だが、兼続の真の価値は、米沢時代にあると私は思う。
 その人間に価値があるかないかは、苦境の時にこそ、分かる。

 彼は、今より400年も前に、ワークシェアリングし、産業を増やし、6000名の家臣とその家族を4分の一の領地で、悠然と養った。
 関ヶ原時の敗北が彼を、そうさせたに違いない。

己の知略、(本田家と縁組するなど)直江家と言う家柄までも使い、持てる駒はすべて利用し、兼続は、上杉家を救おうとする。
 
 徳川に盾突き、家運を衰退させた兼続を評価しない、時代も人もいた。
18世紀後半に、第9代米沢藩主・上杉鷹山という傑出した人物が出て来て、兼続の功績を再評価するようになる。

赤りんご 価値ある人間を評価できるか、否かも、またその人間の価値である。

【2009.10.05 Monday 08:50】 author : いづな薫 
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天地人感想 「三成の遺言」
怒涛の上杉ツアー明け、職務山盛りで、感想どころではないいづなですが、書きます。笑

 対最上(もがみ)戦で、殿(しんがり)を務めた兼続、
「ただいま、無事戻りましてございます。」ぜんぜん無事じゃないって。
血と涙でぼろぼろ、痛々しいです。
慶次郎がいれば、こんなにならずに済んだのに・・・。苦笑。
 
 奥州の関ヶ原と言われる最上(もがみ)戦の中で、最大の激戦になった戦いです。
退くと見せては攻め、攻めては退くと言う、謙信直伝の”懸り引き”の退却戦で、兼続は名を馳せます。
 
 兼続の子供達、とーちゃんが怪我しているのに、みんな心配しないのか?笑
 お船の手紙に夢中な子供達。着物が、黄色、信号だ。
 あんまり会ったことのない、かーちゃんより、こまごまと面倒見てくれたとーちゃんが怪我してるぢゃないか!?

 三成が斬首された京六条河原と、三成のお墓、私は何度か訪れたことがある。
 もちろん今は、当時の面影は何もないが。
 彼は、作法にのっとり、離れた首と胴を小柄で留められて埋葬されたことが分かっている。
 当ブログ、こちらに詳細。
植物http://cafe.kenshingen.fem.jp/?eid=1095787

 天地人の三成、若い頃はツンデレだったけれど、義に生きて、なかなか素敵でした。
 兼続ほどの人物が友とした、理由が描けています。
太陽の兼続月の三成、そんな風に見えるビジュアルも素敵。
 三成の撮影に使われた甲冑の、色合いが美しい〜。

 来週の、「上杉転落」ウ〜このタイトルに萌えた。笑
萌えていいのか。


赤りんご 天地人は、すべての収録が終わりましたね。
仔細あってレポは書かない予定ですが、収録&ロケいろいろ拝見しました。
 景勝公クランクアップの場所にいられたのは、幸運でした。
 皆さま、本当にお疲れ様です。
楽しませていただき、心より感謝申し上げます。

 遠い昔の、決して逢うことはかなわない、愛する上杉家の人々に逢え、夢のような時間でした。 
 最終回まで、もう少し夢の続きを見ています。

【2009.09.29 Tuesday 08:53】 author : いづな薫 
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天地人感想 「ふたつの関ヶ原」
 今日は合戦オンリー、いや〜楽しめました!!
甲冑大好きの私は、まさに垂涎モノでございました。笑

 三成の兜、すごいですよね。黒い毛はヤクの毛。
石田三成所用と伝わり、「天衝脇立乱髪形兜・てんつきわきだてらんぱつなりかぶと」、と言われ、現存しています。
 背の高い、天地人三成が被ると、おどろおどろして圧巻です。
「俺は恐いぞー!」の、インパクト抜群です。

 福島正則の被っていた兜は、本当は黒田長政所用のアレンジです。

小早川秀秋の、鎌柄陣羽織は、東京国立博物館所蔵で、私も何度か見ました。
 時々公開なので、御覧になりたい方は、博物館のHPから、公開日時を確認の上、お出かけ下され。

 ドラマには出てこないが、家康が関ヶ原時乗っていた、籠が現存している。
鉄砲の弾跡があり、大将の家康も、身の危険にさらされた激戦が伺える。
 
 小早川が東軍に味方した時の、三成、宇喜多、大谷刑部の衝撃と奮戦ぶりが良かったなあ〜。
 病身の刑部の首を隠した武将は、湯浅五助と言う人物である。
彼は、家康側の藤堂高虎の家臣・藤堂仁右衛門に捕縛される、
今まさに、あるじ刑部の首を埋めている所で。 
 そこで、五助は、自分の首をやるから、あるじの首を埋めた場所を黙っていて欲しいと言った。
 
湯浅五助の首を取った藤堂仁右衛門を、家康は大谷刑部の首のありかを知っているだろうと、問いただす。
 家康側にしてみれば、西軍の名将である刑部の首は、大変な価値がある。
 しかし、藤堂仁右衛門は、五助との約束を守り、けっして言わなかった。
 家康は、、仁右衛門を褒め称え、褒美を遣わしたという。
 家康、今回はお笑いの悪役だが、八王子城攻略の時、北条氏照の遺臣の子を召抱えたり、なかなかどうして天晴れな人物である。
 
 三成はかっこ良かったが、三成を描きすぎたために、出羽の上杉が沈んだ感じもしないではない。くもり
 家康×兼続ら上杉の確執を丁寧に追えば、三成の大敗が、上杉にとって如何に衝撃的なものか伝わるんだけれどな。

 直江兼続、出て来ないけれど前田慶次郎の、殿(しんがり)で、上杉軍は最上領から退却する。
 この時の戦いは、最上×上杉で最大の激戦となった。
退くと見せては攻め、攻めては退く、謙信直伝の”懸り引き”の戦法が用いられるのである。
 
 このことは、後日、当ブログ「関ヶ原と上杉家」で、また書きたい。

【2009.09.20 Sunday 22:37】 author : いづな薫 
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天地人感想 「家康への挑戦状」
 謙信のお下がりを着まくっていますな、殿。
白い羽織に、鎧マント。鎧は、風林火山の謙信所用です。
会津若松城障壁画セットも、風林火山の春日山城ですね。
謙信セット、いろいろ見られて楽しいです。

「正義は我らにある、このような脅しに屈しては、武門の名折れじゃ。」
ドラマにも出て来たが、この時の景勝の胸中には、亡父謙信が去来したことであろう。

 正義に生きた謙信。
謙信も多大に苦労したが、ただ彼が生きた頃は群雄割拠時代で、謙信は誰にも頭を下げずに生きられた。
 同じ義に生きるのでも、兼続、景勝にはその点、苦しさがある。

 家康、おかしすぎ。
直江状に立腹、革籠原の戦略シュミレーション、硬軟巧みに演じ分け、大変楽しませていただいた。笑

 大谷刑部。
三成の顔を手で触れ、視力の代わりに確認するのが、切ないのう〜。
 この大谷刑部と、島左近は、関ヶ原で亡くなったとされる。
名だたる武将の中で、この二人は、遺体が発見されなかった。
 大谷刑部は切腹後、家臣がどこかに隠したと思われる。
島左近は、生き延びた説もあるが、亡骸がないことから生まれた説話だと推測する。
 
 三成側は、大坂にいた大名夫人を人質として集める。
「危害を加えぬ。」と断言する、毛利輝元。
「つまらぬ芝居じゃ。」と、呪いを吐く様に言う愛姫が、独眼龍の妻らしくて良い。
 ドラマではなかったが、”呪い”は的中する。
細川忠興夫人ガラシャが、人質を拒み、死を選ぶのである。
切支丹であった彼女は、自害は禁じられ、家臣の刃に倒れる。

 一方、西へ引き返す、東国の家康。

追撃したい、直江大国兄弟&上田衆VS殿の攻防が、最高ハート
 ダブル謙信の衣装で、謙信の言葉を言う景勝、謙信がのり移ったようだったぞ。
 上杉家が、徳川と戦わなかった理由は、いろいろ推理はされるが、歴史学上謎である。 
でも、ビジュアルで見られて最高に幸せハート

 「追撃する!」と、出て行った実頼、「連れ戻せ。」と言う、殿。

まてっ!」の兼続の言葉に、グッと来たぜハート
 携帯の、着信音にしたいくらいだ。

 「義の国を作るために、ここまで来たのでございます。
 今撃てば、それがかないまする。」
兼続の言葉に、今まで志途中で亡くなった、兼続の仲間達のことが思い出された。
 「義に叛いて敵を討てば、天はいつか我々を見放す。
それでも追いたくば、わしを斬ってからにせよ!
 
 殿様を斬って家臣が成り上がるのが、当たり前の時代である。
家臣に才能があれば、なおのことである。


 文武あらゆる才能に恵まれながら、あるじを裏切らなかった直江兼続。
そこに、彼の、とてつもない偉さと人間的凄味があるのである。

【2009.09.13 Sunday 21:56】 author : いづな薫 
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