大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
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戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
仙台市博物館


この造形美ご覧あれ。
これぞ究極のバランスと言わんばかりの月の長さ、配置、漆黒の甲冑。
いやはや、伊達政宗公の美意識に感嘆する。

仙台は、都会の良さもあるし杜の都と言うだけあって自然が豊か。
城下町であり歴史があり、歴史的文物が沢山ある。
私はこの町が好きである。
実は、ほんの少し暮らしたこともある。
また来たい。

【2018.04.22 Sunday 19:14】 author : いづな薫 
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八王子城2


上杉家と北条家の越相同盟の、直接の交渉者であった北条氏照。
同盟の証に、北条氏康の子の景虎が人質になり謙信の養子になっている。
同盟交渉が進展する中、謙信から北条家に太刀が贈られて来た。
手紙は、その返礼。
「太刀ありがとうございます♪上の人に見せたらとっても喜んでいました。」
原本は米沢上杉博物館




八王子城近くのベンチが可愛い。

【2017.09.15 Friday 13:26】 author : いづな薫 
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八王子城


初秋の八王子城跡に来ています。
北条氏照(氏政の弟)の城です。
豊臣秀吉の命により前田利家、上杉景勝&直江兼続がこの城を攻めています。

北条さん、どーもすみません…。
八王子城ガイダンス施設で、ガイド映画が「春日山城」とか言っているので行って参ります。

【2017.09.15 Friday 11:53】 author : いづな薫 
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角館 青柳家



殿様佐竹一門の芦名(あしな)氏の家臣団だったのがこの青柳家です。
芦名氏は断絶し、やはり親戚の佐竹北家に仕えました。
屋敷の広さは3000坪あります。
植わっている植木は、600種もあります。
薬医門をくぐって入ると、道沿いに武者窓とよばれるのぞき窓のついた造りになっています。
薬医門は公家や上級武士の武家屋敷の正門とされています。
その横には、樹齢400年の枝垂れ桜が植わっていました。
角館の観光写真によく写っているのがこの青柳家です。
禄高は104石。

皆さま、江戸時代の医師・杉田玄白が記した「解体新書」と言う本を聞いたことがあると思います。
解剖図を載せた医学の本です。
杉田玄白39歳が前野良沢49歳、中川淳庵33歳、桂川甫周21歳らが、オランダの医学書「ターヘル・アナトミア」を翻訳して作成したのが、「解体新書」です。
オランダ語が少々わかるのが前野良沢しかおらず、後の3人はさっぱり。
翻訳は困難を極めます。
「神経」、「軟骨」、「動脈」、「十二指腸」なんて言葉が初めて翻訳されたのです。
苦難の末出来た解体新書と、ターヘルアナトミアの初版本が、なんとこの青柳家だけにあるのです。

「解体新書」の挿絵を担当したのが、角館の武士小田野直武26歳です。
この小田野直武は、絵に才能があり、秋田に来ていた平賀源内に絵を習ったのです。
この出会いが運命的です。
1773年に秋田藩が、鉱山師の平 賀源内を秋田に招き,領内 の阿仁銅山の検分・増産を計るために調査を依頼しています。
平賀源内は、秋田に来る途中,支藩の角館で御用商人・五井屋孫左衛門宅に泊まります。
その時、素敵な襖絵を見て、「これを描いたのは誰?」とたずねました。
そして、呼ばれたのが武士で絵師の小田野直武。
源内は直武に、「鏡餅を真上 から見た絵を描いてみてくれ」と言います。
直武はおそらく、丸を重ねた絵を描いたと思われますが、源内は、西洋画 の基本である遠近、影のつけ方を教えたのです。
直武は、当時の秋田藩主の曙山と共に日本画を習いましたが、平賀源内に西洋画の基本を教わったのです。
源内は、秋田藩から依頼された仕事、阿仁銅山の検分に、直武も連れて行きます。

杉田玄白と平賀源内は友達なので、紹介があったかもしれません。

青柳家に残る「解体新書」は、小野田直武の遺品となりました。
直武は秋田蘭画を築き、いた人でもあり、31歳で不審な死を遂げました。
なお、小田野直武を生んだ小田野家もまた近所にあります。
小田野家と青柳家は親せきです。


【2017.08.07 Monday 16:04】 author : いづな薫 
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角館 岩橋家


佐竹北家に仕えた上級武士の館、岩橋家です。
明治33年の大火で角館は262軒の屋敷を焼失してしまいます。
幸運にも残ったのが、この岩橋家です。
明治30年に、岩橋家は茅葺から木羽葺き(こばぶき)に屋根をふき替えました。
木羽葺き(こばぶき)とは屋根を木材の板で葺くことです。
これが、火災を防いだと言われています。
これをもって、以後木羽葺き(こばぶき)の家が主流になりました。
『たそがれ清兵衛』のロケ地になったのが、この岩橋家です。

秋田県内でも非常に珍しい柏の巨木が立っています。樹齢300年。



【2017.08.05 Saturday 16:06】 author : いづな薫 
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角館 石黒家



佐竹本家の分家である佐竹北家に長く仕え、財政関係の役職についていた家柄です。

長く続いた黒い塀と、茅葺の母屋があります。
正玄関と脇玄関を備えた武家の格式の高さが伺える屋敷でした。
現存する角館の武家屋敷の中では一番の格式を誇ります。
築200年、江戸時代文化文政の頃の建物です。


玄関が、身分により使い分けられいくつもあります。

表玄関から真っ直ぐ先にある表玄関は、当主よりも身分の高い人が訪ねて来た時使います。


庭が広く、大きなグミの木があります。



【2017.08.03 Thursday 16:04】 author : いづな薫 
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角館 西宮家




角館の武家屋敷、西宮家です。


西宮氏は1602年(慶長7年)、秋田に佐竹氏の家臣として移ってまいりました。
殿様である佐竹氏が、関ヶ原の戦いで徳川に味方しなかったため、常陸から秋田へ国替えになったのです。

角館を当初まかされたのは、佐竹氏の一門の芦名氏です。
当時の城下町は田沢湖町神代にありました。
しかし、水害や火災に見舞われた上、狭いので新たな街が必要となり、作られたのが、現在の角館です。
現在の角館田町にあるのが西宮家です。
ここに暮らした武士団は80家ほどでした。


角館を直接支配する芦名氏や佐竹北家とは、別の秋田佐竹本家の直臣たちでした。
その中心にいたのが西宮織部という人物で、この家の当主です。


黒塗りの壁と、自家用人力車が往時を偲ばせます。


二階に上がると、生活雑貨、食器、人形などが残されていました。


西宮家の門です。商家になったこともありますが門は武家の冠木門(かぶきもん)ですね。



【2017.08.01 Tuesday 16:00】 author : いづな薫 
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角館の旅


秋田新幹線に乗って、角館を旅して参りました。
角館に出かけたのは初めてです。
まずは、角館駅で下車してホームにあった山車。
角館祭りのやま行事と言うお祭りに使われるものです。
2016年「ユネスコ無形文化遺産」に登録されています。
毎年9月7〜9日の3日間に行われる角館神明社(しんめいしゃ)と薬師堂(やくしどう)のお祭で、約400年続いて参りました。

やま(山車)がそれぞれ神明社・薬師堂へお参りしたのち、佐竹氏一門、殿様の一族である佐竹北家に見せるため町内を練り歩きます。
その道中、やま(山車)は鉢合わせしたり、ぶつかりそうになったりします。
各町内の交渉役の若衆が通行の優先権を巡って交渉します。
上手くいけば、やま(山車)はすれ違い、失敗すれば山車をぶっつけ合います。

9月7日夕方から角館神明社を参拝し、8日佐竹北家へ見せて、夕方から見せ場のやま(山車)ぶっつけが始まります。
9日夕方からは多くのやま(山車)が町中に繰り出し賑やかなお祭りとなります。

秋田が豪雨で大災害となっている中、隣の宮城県でゴルフをした挙句に、ビールを飲んで寝てしまい、12時間以上連絡がつかなかった秋田県知事知事。
佐竹知事だが、この人が角館の佐竹北家の末裔である。
豪雨対策会議にも間に合わず、欠席の大失態。
佐竹知事は、ロシアのプーチン大統領からいただいた、シベリア猫ミール君の飼い主でもあります。



【2017.07.30 Sunday 15:57】 author : いづな薫 
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黒田家、宇喜多家菩提寺


先日、黒田官兵衛の祖父、曾祖父、宇喜多直家の父興家の墓がある妙興寺に参りました。
岡山県のJR長船駅から車で8分くらいの所にあります。

宗派は日蓮宗。
山門をくぐると、更に門があります。


こちらが、宇喜多直家の父興家の墓所。


この、数々の墓石は黒田家墓所。
官兵衛の祖父重隆、曾祖父高政が眠ります。合掌。



【2017.06.04 Sunday 07:24】 author : いづな薫 
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岡山みやげ



先日、山鳥毛を見に行った時の岡山土産です。
岡山と言えば桃太郎じゃろ。
桃太郎と言えば、きび団子。

キビ団子にもいろいろお味があり、今回は昔風と言うのを買いました。

桃太郎のキビ団子は、キビで出来ていたのだろうけれど今は求肥(ぎゅうひ)です。
ほんのり甘く、柔らかいお団子で抹茶が欲しくなります。


これで、猿とキジと犬は釣られたか・・・。

【2017.06.02 Friday 21:05】 author : いづな薫 
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 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、サッカー日本代表、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

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