大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 白熱教室 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
白熱教室第6回 これからの資本主義〜再分配システムをどう作るか〜
ピケティ教授講義の最終回、どうすれば格差を減らせるか?その答えに挑む回である。

19世紀の米国は、欧州よりも格差が少ない。
欧州は数世紀に渡り、富を蓄積して来ている。

大きな資産ほど収益率が高く、強い不平等をもたらす。
5回めで触れた、大学基金ぐらいなら研究に使われる程度なので大したことはない。

ソヴリンウェルスファンドについて。
ソヴリンウェルスファンドとは、政府などが出資するファンドのことである。
政府のみならず、個人が天然資源を持っていることがある。
大変収益性が高い。
アブダビ(アラブ首長国連邦)とノルウェーは、このファンドを7000億ユーロ(98兆円)以上持っている。
全米大学基金より多い。

利回りの悪い米国債などを買う目的は、軍事的支援など政治的見返りの場合もある。
ソヴリンウエルスファンドの総計は、主要産油諸国&中国など非産油諸国合計で5兆5千億ドルもある。
ノルウェーが、海外に公式保有する資産は、ノルウェーの年間GDPの2倍である。
生産で生み出す所得より、国外からの資産所得の方が大きくなる。
かつてなかった状況である。
ノルウェーや、その他の国々の経済バランスや不平等の考え方を変えるほどのものだ。

重要なことは、国際資本市場では直接戦略や資産規模による投資の違い、収益性格差も大きい。
つまり、極端な格差を生む。
莫大な資産が、いくつかの国々や上位グループに流れ込み、その他は置き去りにされる。
この現象は、将来ますます拡大を見せる。

オフショア資産(海外にある資産)について。
国外に持つ資産から、負債を引いた純資産の世界のGDPに対する割合は以下である。
日本は、世界のGDP費に対し4%。
長年の黒字で、国外に巨額の純資産を溜め込んで来た。
欧州も米国もマイナス。
ドイツは、今や日本より早いスピードで在外資産を増やしている。
世界全体の合計はマイナスだ。ゼロになるはずなのにならない。
世界の金融負債が、金融資産を上回る。
資産の一部を火星人が持って行ったようだ。とピケティ氏。
世界の貿易収支、経常収支も同様にマイナスになる。
輸入だけがあって輸出だけがある。
「国際金融統計の不整合」と言われるものである。

その額、なんと世界GDPの10%である。
10%どころじゃない!と言う人もいる。
とにかく、世界のGDP10%分の資産が行方不明なのである。
資産はどこにいったか。
多くはタックスヘイブン(租税回避地)に隠されている。
これを様々なデータソースを合わせてはじき出そうとと言う試みがある。

資本規制について。
20世紀における先進国の税収は、GDP比10%から40〜50%まで上昇して来た。
財政規模の大部分は、年金や失業手当である。
教育、医療サービスの提供などによって現物給付による移転所得も行われている。
現物給付による移転所得とは、わずかな料金でサービスを受けられたり教育が無料だったりするものである。
米国における、人口下位50%が受け取った移転所得の多くは低所得者のために医療扶助である。
これが、ここ30年間で急増している。
米国は、国民皆保険がないが高齢者や貧困者のための医療制度がある。
医療を受ける人が多ければ、医療費が増大する。
医療給付は、医療サービスを受ける人のためか、それとも製薬会社のためにある制度か?
これが、今米国で激しい論争になっている

フランスの高等教育は、無償かもしくは無償に近い。
エリートのためのグランゼコールに行く人たちは、普通の大学に行く人とは違う。
もっともリッチな人々は、貧しい人たちに比べ公的恩恵を受けやすい。

ポイント1
不平等の構造と支出を検証する。
ポイント2
21世紀は、財政規模の急激な拡大は起きない。
政府が大きくなった先進国では無駄な支出を省き、制度を簡素化する必要がある。

ブルガリアやルーマニアは、税収がGDPの20%の財政規模である。
小さな政府は、繁栄のための条件ではない。
もし、繁栄条件なら、ブルガリアやルーマニアはスウェーデンやデンマークより豊かになっていたはずである。
大事なのは使い方、中身である。

富裕国の税収の推移。
2010年のデータ。
スウェーデン 53%
フランス   50%
英  40%
米  30%


ピケティ氏が理想的だと考える税体系は、
累進的所得税
累進的相続税
累進的資産税
この3つが揃っていることだと言う。

最上位層の累進性は重要である。
その意義の大半は、最上位層の労働所得を押さえ彼らの利益追求をコントロールする所にある。
ピケティ氏は、極めて高い税率が税収を増やす方法だとは考えていない。
大多数の人にとって、所得税の税率はそれほど累進的ではない。
社会保障税を含めると、みな極めて高い税率を払っている。
上位層の税率は極めて高いが、歴史的に大きく変換した。
税率を高めたのは、最上位の所得を押さえるためのものだ。

1913〜14まで、世界に所得税は存在しない。
その前は間接税である。
1913年、米国が導入。
1914年、フランスが導入。

これまでの、所得税最高税率は90%で100万ドル以上の高額所得者が該当した。
米国で言うと、1940年ごろと1950〜60年前半のことである。
高い税率が、米の資本主義を損なったわけではない。
1000万ドルも、100万ドル受け取っても大したことはない。

1946〜48年、ドイツで米国が税制を作っている。
この時、ドイツでも最高税率は90%である。
米に支配されていた時代である。
ドイツも日本も、1950年税制主権を回復し90%から50%へ改められた。
米国は、ドイツや日本を懲らしめるためにやったのではない。
米国が自国内で採用していた制度である。
近代化の一環である。
民主的制度と財政制度を結びつけ、極端な所得の集中がないようにした。
民主政治が金権政治に陥るのを防ぐためである。
これは、当時の実際の通念である。

米国が世界恐慌から受けたトラウマがある。
1920年ごろ、所得格差の拡大で大企業の一部の人に富が集中した結果、同時に世界恐慌をもたらした。
その結果、第二次世界大戦にまでなってしまったと米国は考えた。
金融経済システムが破局し、人々は大いに狼狽した。
当時の米国は、世界恐慌を起こしたことに強いショックを受け高い税率を制定した。
富裕層による、資本主義の私物化が行き過ぎた不平等をもたらし、政治経済の不安定を生み出すと言う認識である。
政策がショックの一部だった。

2010年、仏英の相続税の税率は40%前後で、独が30%である。
1940〜1965年当時、米英は80%くらいあった。
仏、独は、戦争で資産が破壊され再分配が既に行われていた。
最高税率を高くする必要がなかったのである。

税制だけが、富の再分配(資産分配)ではない。
戦争が資産を破壊したり、極めて高いインフレでも資産分配は起きる。

米国では、相続資産は子供だろうが、友達だろうが、愛人だろうが、税率は同じである。
フランスは、子供以外は非常に高い。

イタリア、スペインは成長率が低く、労働所得増加率は極めて低い。
民間資産、不動産、金融資産からの収益割合が増えている。
伸び悩む労働所得課税を少し減らし、資産課税を増やしている。
イタリア、スペインは2年前に固定資産税を復活させている。

英では、最近豪邸税をめぐる論争が起きている。
大きな不動産に課税するものである。
前政権の、労働党が数年前導入した税制で100万ポンド以上の邸宅譲渡対し5%課税した。
保守党が政権を取り、今度は200万ポンド以上の邸宅譲渡に7%の課税をした。
不動産資産は逃げないので、課税しやすい。
ロンドンに構えた邸宅は格好の餌食である。

労働所得が伸び悩んでいるのに、高額不動産に課税しないのは馬鹿げているとピケティ氏。
次の選挙では、超党派が税率を引き上げようとするだろう。

この動きは多くの国で起こって来る。
もちろん、日本でも。
今年2015年から、日本も相続税控除額が引き下げられている。

相続時1回だけ課税され、相続されればどう運用されても毎年課税されることはない。
毎年払う固定資産税はどこの国でもある。
米英は、不動産に対する税率は定率課税である。
10万ユーロのアパートでも、100万ユーロでも、1000万ユーロの大邸宅でも比率はほぼ同じ。
金融資産を考慮していないだけでなく、住宅ローンなどの借入金も考慮されていない。
40万ユーロの不動産を持っていても、39万ユーロのローンがあれば純資産は1万ユーロで、それほど豊かではない。
純資産に対しては累進課税されれば、今払っている固定資産税より少ない額で済む。
税率を下げるべき人は下げ、上げるべき人は上げる。
そして、税収を維持する。

”定率課税から累進課税へ”の移行を、ピケティ氏は主張する。
なぜ、相続時に1度だけ課税するより、毎年資産に対して課税することが大切なのか。

課税に対し納税者は錯覚を持っている。
人々は、多額の相続税を払いたくない。
田舎の実家を相続するのに、30%の相続税を払うのは嫌だ。
納税者はずっと払うのを理解していないのか、1%ずつ30年間払う方を選ぶ。
結果的に、かなりの額になることを理解していないのか。
問題は、資本市場の不完全さにあるとピケティ氏。
資本市場の不完全とは、つまり、借金返済能力があるのにもかかわらず、資金を借りることが出来ないということである。
資本市場が完全なら、資金を借りることが出来る。
借金してでも、相続時に払った方が良い。

相続した後も、個人または資産額によって収益率が違う。
1973年10万ユーロのアパートを相続して、今や500万ユーロになる場合もある。
年々20万ユーロの家賃収入を生む、そんなこともある。
だから、相続時に一括課税し、その後課税しないのはばかげている。

上位1億分の1の資産保有者・実質成長率、6.8%
上位2千万分の1の資産保有者・実質成長率、6.4%
彼らに、1〜2%の税率を課しても大したことはない。
彼らの資産運用は、利回りの悪い国債などではなくもっと高利率の6〜8%が当たり前の金融商品である。
だから、税率は1〜2%どころかもっと高くても良い。

累進的資産課税が重要であり理想的だとピケティ氏は考える。
もし、6〜8%の速さで増加しないなら、税率をそれほど高める必要はない。
経済成長率1〜2%なら、累進課税する必要はない。
しかし、おそらく経済成長率を資産収益率が上回る。
累進課税はやむをえない。
いずれにしても、正確な情報を基にして適切な税制が必要である。

【2015.02.17 Tuesday 14:20】 author : いづな薫 
| 白熱教室 | comments(2) | trackbacks(0)|
パリ白熱教室 第5回 世襲型資本主義の復活〜19世紀の格差社会に逆戻り〜
金もコネも優秀な家庭教師もいたが、志望校には入れずエスカレーター式の学校に入り、大学に入ったら入ったで、親に買ってもらったイタリア製高級車アルファロメオで通学。
20〜30代はニート歴13年。
それでも、その後、地盤看板かばんで国会議員に初当選、首相までやっている。
努力も才能も皆無だが資産があり、資産が勝手に増えて行く。
こんな人間、もちろん日本だけの話ではない。

格差を是正しないと大変なことになる。
そう主張する、ピケティ教授のお話。

フランスでは、フランス革命が相続税を生み出すきっかけになった。
革命直後、1800年頃から膨大な税制データがフランスにある。
1910〜20年、国民所得の20〜25%にあたる巨額の資産が相続されている。
これは、第一次世界大戦の頃である。
1950年、第二次世界大戦直後は相続資産はほとんどない。
その後、再び増加傾向にある。

昔は、被相続人は60歳くらいで亡くなり、相続人の年齢は30歳くらいが多い。
今は、被相続人が80〜90歳で、相続人は50歳くらいである。
相続が遅くなると、その間の人生設計を自分で賄わなければならない。

今は、生前贈与が増えている。
生前贈与する人は、死亡する10〜15年前くらいにする人も多い。
そして多いのが、子供が結婚した時に、お金を出したり家を建てあげたりする贈与である。
19世紀の生前贈与でも、男女とも結婚持参金となった。

2010年80歳以上の人達の資産は、資産の半分を生前贈与した後でも、50〜59歳の資産に比べ134%もある。
生前贈与分を入れると、軽く200%を超える。

今、何も相続せず自力で都市部に家を買うのは大変である。
相続資産の価値が再び増して来たのである。

総資産に対する、相続資産の占有率を見てみる。
19世紀は、90%。
1970年は45%。
2010年は70%に迫る。
第一次ベビーブームの人が亡くなると、相続資産はかなりの額になる。
現代でも、数十万〜百万ユーロ相続する人は沢山いる。
でも、仕事を辞めるほどのお金ではない。
19世紀には、仕事をしなくていいほどの相続資産があった。

1910〜40年生まれ、第一世界大戦後で受け継ぐ資産ほとんどなし
良い大学に入り、最上位1%の職に就くのが良いとされた。

下位50%の、生涯労働所得以上の遺産を相続する人々がいる。
例えば、店のレジ係の生涯賃金が80万ユーロだとする。
この人たちの、50年分賃金以上の相続する人々の割合である。
19世紀生まれは、10%いた。
1910年は2%。
1980年生まれは、10〜12%それでも数百万人いる。

100万ユーロ相続する人は、仕事を辞められるほどではない。
何も相続しない人よりも、良い大学に行き稼ぎの良い仕事に就く
下位50%が生涯稼ぎ出す金額、またはそれ以上を相続によって受け取る。
これは、不平等は、能力の差に基づくものであると言う戦後の通念に反する。

日本やドイツ、中国など人口減少が起きている国では、2030年には相続するかしないかが大変重要になる。
上海や北京では、不動産相続することが非常に重要になっている
不動産価格が高騰し、自分の稼ぎしかない人にとっては都心で不動産を持つのはとても難しい。

年金資産が潤沢な主要先進国は、総資産も多く海外投資さえしている。
年金制度を維持する負担額が少ない国では、老後に資産を取り崩さねばやっていけない。
(日本でも、高齢者の資産取り崩しで貯蓄率マイナスの時代が始まっている。)

ピケティ教授の重要な主張

r資本収益率>g経済成長率 ←これが不平等をもたらす要因。

富裕層は、潤沢な”資本”を高度な金融商品に投資し、社会全体の”経済成長率”よりも大きな伸びを示す。
その率まさに3倍である。

経済成長率は、人口増加率で説明できる。
米国は、人口増加率1%、欧州はゼロ、日本はマイナスである。

人口増加はとても重要な要素である。

1987年、雑誌フォーブスの億万長者番付で多くは日本人であった
今は、米かメキシコ、中国人が多い。
毀誉褒貶はあるが、上位層の流動性は高くない。
たたき上げの企業家もいるが、相続による企業家も沢山いる。
天然資源や石油富豪も沢山いる。
新しいアイディアを生んだわけでもなく、資産を相続し勝手に増えただけである。
上位層の資産は3倍で膨らむ。

資産膨張の理由をフォーブスは上げていないので、ピケティ氏は米国の大学の基金収益率を挙げる。
全米の大学平均では、8.2%である。

ハーバード
イエール
プリンストン

この3校の平均は、10.2%と一段と高い。
インフレ分を除き、管理コストを差し引いても
これほどの率である。
私たちが銀行に行き、同じ金利を要求しても相手にされない。

米大学は、利回りの低い米国債を買うことはない。
サウジアラビア、中国がせっせと買い日本も米国債を大量保有している。
ハーバードは、1ドル足りとも買わない。何十年もそうだ。
とても、悪い投資先だからだ。
買うのは、複雑な金融商品(店頭デリバティブなど)、プライベートエクィティ(未公開株)などである。
ハーバード大の基金規模を300〜400億ドルだとすると、0.3%(1億ドル)を管理コストとして使う。
資産管理グループに、1億ドル払っても10.2%の収益率なら高くない。
1億ドルしかなかったら、1億ドルのマネージメント料を払うことは出来ない。
投資は、”規模の効果”が大事である。
ハーバード、イエール大はここ20年で資産を10倍に増やしている
個人資産でも、自分で事業を起こして豊かになる人がいる。
ある程度資産あれば、働かなくても極めて高い利回りで資産を増やす。

来週はいよいよ最終回です。

【2015.02.07 Saturday 20:52】 author : いづな薫 
| 白熱教室 | comments(2) | trackbacks(0)|
パリ白熱教室 第4回 強まる資産集中〜所得データが語る格差の実態〜
約100年前、フランスの1919年の所得データをピケティ氏が提示する。
当時、フランスではなんと単身者の所得の割り増し税制があった。
独身者は、25%の割り増し。
既婚でも3年以内に子供を持たねば、10%の割り増し。
税制面で、結婚、出産が奨励されていたのである。

税制を作る上で、重要なことは、関連のデータを集め議論しなければならないと言うことである。
政治家は、思い込みが時として激しいので。

第一次世界大戦のトラウマで、当時フランスはドイツに出生率で負けてしまうと脅迫観念があった。
フランスは、強力な出産奨励策を取り、それが単身者25%増し課税である。
この税制は、1945年まで続いている。

単身者が1
夫婦子供なし世帯2
子供1人 2.5
3年たっても子供がいない世帯1.5

数が少ないほど税金が高く、多いほど安い。
これを家族指数と呼び、1945〜1953年まであった税制である。

19世紀〜第一次世界大戦まで、欧州の資産不平等は極端に大きい
100年前は、上位10%が90%の資産を保有した。
2010年はどうか。
欧州 上位10%が60%
米国 上位10%が70%保有。
1970〜80年頃からまた資産格差が拡大し始めている。

19世紀の米国の格差は欧州ほどではない。中間層がかなりいた。
欧州は、長い歴史の間で世襲による相続があるので、格差が大きい。

第一次世界大戦の頃、フランスの相続税は1%である。
税率が低いので、脱税もない。
金持ちの私有財産権を、守るようなものである。
フランスは、1800年頃から土地、金融資産、ありとあらゆる資産に税金がかけられた。
フランスに、現代的な税制が出来上がったのはこの頃である。
これは、フランス革命のお陰である。
英国は1910〜20年に出来ている。
フランス革命で、貴族、教会の土地が没収され再分配された。
しかし、20世紀の格差と比較すると、革命直後の格差の方が大きい。

第一次世界大戦前のパリ市民は、相続するのは数枚の皿のみ、着の身着のままと言う有様である。
第一次世界大戦の頃まで、どこもかしこもとんでもなく不平等な社会だった。
スウェーデンは、平等な国というイメージがある。
しかし、第一次世界大戦までは不平等な国である。
それが、1980年頃には、上位10%の資産シェアが50%になり不平等がとても小さくなった。

いずれの国も、その国の制度がずっと続くことはなく、不平等や平等がずっと続くことはない。

1872年〜1912年のフランスのデータを見てみる。
最上位1%の金融資産保有者は、株を多く持っている。
スエズ運河などへ、海外へ、積極的巨額投資をしている。
様々な金融商品を売り買いし、現代的な経済である。
パリでは、不動産価値が大きく、パリ以外では不動産価値は小さい。
当時からフランスは、農業経済ではなく極めて現代的である。
(100年前は、自分で直接株を買う。今は、証券会社などを通して買う。)

・予備貯蓄モデルについてピケティ氏が語る。
予備貯蓄モデルとは、将来予測出来ないことに対して貯蓄しておこうと言うモデルである。
例えば、ボーナスがもらえなくなった時、失業した時のために、貯蓄しておくと言う物である。
所得の変動が毎年あったら困るので、貯蓄する。
それは、資産蓄積を目的にするのとは違う。

・ライフサイクルモデル
ノーベル賞受賞の経済学者フランコ・モディリアーニ(1918〜2003)が唱えた考え方。
こちらは、老後のために貯蓄するモデルである。
就職して、定年になるまで働き、死ぬまでに使い尽くす。

モディリアーニの三角形

図は、就職して収入が増え、定年で後の寿命を資産を切り崩し生きて使い切る様子を表す。

そして、月500ユーロ、1000ユーロで暮らす人も、月5000ユーロで暮らす人も、老後に必要な分以外は貯蓄しないと言うのが、モディリアーニを興奮させた発見である。
それ以前は、所得水準に合わせて貯蓄率も上がると考えていた。
貯蓄よりも、寿命と人口(人口動態)に左右されるのである。
しかし、これには問題がある。

退職後の生きる年数が長いと、たくさん貯蓄が必要である。
その国の国民が70歳まで生きるとして、国民所得の5年分、80歳まで生きると国民所得の10年分必要との試算である。
これには、莫大な蓄積が必要である。

そんな巨額資産を蓄積する国はどこにもないからだ。
そう、国民所得の5倍もの年金資産を蓄積している国はない。


ライフサイクルモデルでは、相続資産をとらえられない。

・ライフサイクルモデルと対照的なのが王朝モデル。
王家の人々のように、資産を使い果たすのではなく次世代を自分の事のように大事にして資産を残す。
巨額の資産を持ち、それを投資し更に富を生む。

現実世界は、ライフサイクルモデルと王朝モデルの間である。

・ランダムショックモデル。ピケティ氏が名づけた。
現実世界では、資産相続を前提しても予期せぬ移動とか浮き沈みがある。
偶発的な変化が起きるモデルである。
親が早く亡くなったり、子供が沢山いて資産が分割する場合もあれば、3世代に渡って子供が1人と言う場合もある。
沢山資産を集める人もいれば、そうでない人もいる。
ランダムショックモデルは、変動要素を組み込んで考える。
つまり、資産規模の違う人々の間の移動を考えるのである。

ピケティ氏は生徒たちに言う。
「君たちは今は貧乏でも、ビル・ゲイツのようになれる可能性があるしビル・ゲイツも貧乏になる可能性がある。常に起こり得る。可能性は低いけれど、ないわけではない。」

このランダムショックモデルの重要な発見は、資本収益率 r (利益÷投下資本で算出。投下資本とは企業が事業のために使うお金と 経済成長率 g との差が少しでも変化すると、2%から3%、または3%から4%になっただけで長期的には大きな変化が生まれるということである。

多忙のため、6日遅れでピケティ第4回を見ました。

【2015.02.05 Thursday 21:16】 author : いづな薫 
| 白熱教室 | comments(0) | trackbacks(0)|
パリ白熱教室第3回「不平等と教育格差」 なぜ所得格差は生まれるのか
労働所得格差はなぜ起きるか。

近代以降、社会の技術革新はめざましい。
そして、働く側にも高い技術が求められている。
労働格差を無くすには、高い技術を身に付ける労働者の育成がカギになって来る。

教育とは、技能の供給である。
技術進歩が早いと、高度な技能の労働者が多く求められる。
賃金はなぜ不平等になるか。
高い技能の技術者の供給が、需給に追いつけば不平等は縮小する。
しかし、高技能者の奪い合いになれば、賃金格差は当然拡大する。

でも、教育や技能だけで所得不平等をすべて説明することは出来ない。

例えば米国で、ここ20年来労働者の技能がどう変化し労働環境にどう影響したか。
80年代以降、技能労働者数は停滞し増加率は減った。

下位所得層50%の両親を持つ子供は、大学進学率が増えていない。
上位層は、ほぼ全員が進学。
大学進学率が頭打ちになり、所得不平等は拡大傾向である。
米国の所得格差は、ヨーロッパや日本よりはるかに大きい。
賃金格差是正するには、教育への投資、高等教育を広げる機械均等を広げることが大事である。
私見:これが出来れば、米国の志願兵はどんどん減るはずである。

ハーバード大学の年間学費は5万ドル(527万円)。
この大学進学することが既に高いハードルである。
北欧、ドイツは無償。フランスは無償ではないがゼロに近い。
学費を5万ドル払うか、ゼロかでは大違い。

フランスでは、賃金格差がかつて少なかった。
100年前高校に行く人はごくわずかである。
中学に行かない人も半分もいた。

高い技能を習得する教育を、誰もが平等に受けられないという問題がある
ハーバード学生の、親の所得は平均45万ドル(53,400,000円)である。
米の上位2%の所得と一致する。
能力主義を謳いながら、現実はかなり違う。
大半の留学生も所得上位層である。

フランスは、授業料こそなくても富裕な学生が入るエリート大学には通常の3倍もの税金が投入される。
教育の機会均等の理念に矛盾している。
教育レベルの差が、さらに所得格差を生む。

教育の技術革新に応じて教育を普及させるのが、格差是正のカギである。


問題なのは、教育だけではない。
給与体系、最低賃金制度、経営者の高額報酬、これら市場制度的要因もある。

最低賃金の比較
米 7.2ドル(865円) 1933年最低賃金制度導入
仏 9.5ユーロ(1324円)1950年
英 6.5ポンド(1157円) 1999年
日 780円(全国平均) 1959年

フランスでは、雇用主が従業員のために高い社会保障税を払う。
従業員は給与税を払い、その合計は40%にもなる。
米国の、低所得層の社会保障税は10%程度である。
つまり、仏に比べ米の実質賃金はかなり安くなる。とピケティ氏は述べる
私見:日本では、最低賃金が更に低くしかも社会保険料を雇用主が払っていないなどと言う問題を見かける。
日本の労働格差、差別いやはや先進国と言えないレベルである。

1950〜60年、米はフランスより賃金格差はなかった。
米は、最低賃金をどんどん上げた時期がある。
しかし、1980年〜レーガン政権時代、”レーガノミクス”で最低賃金が抑えられインフレで実質賃金が大きく目減りしている。
私見:アベノミクスの語源になったレーガノミクス、内容は正反対に近い。
レーガノミクスは失敗。
アベノミクスも失敗。
失敗したから、多くの国民が気がつかない内に昨年末衆院選を行ったのである。

フランスは、法律上の義務から物価上昇の度、最低賃金を上げている。
米は、60年代失業率低く、最低賃金も高かった。
今は逆である。
所得上位層ますます豊かになり、下位は沈み混んでいる。

下位50%の人が、高い賃金の職に就けるよう教育に投資する必要がある。
英国が最低賃金制度を導入したのが1999年である。
ドイツは、まだ全国的な導入はない。
サービス業労働組合の力は弱い。
かつて組合が賃金交渉して来たが、今では、最低賃金制度がこれを担うと考えられる。

1970年代までの米国で、上位層はその所得8割が税金である。
1千万ドルのうち、800万ドルが税金でもって行かれる。
こうなると、そんなに報酬もらわなくても良いとなる。
それが、レーガン政権が税を引き下げ、企業のトップが自分に都合の良い部下を重役にし、好きに報酬を上げるようになった。

所得上位層は、教育はさほど問題ではない。
中・下位層は、教育が重要である。
下位層は、最低賃金制度も問題になって来る。

【2015.01.27 Tuesday 10:57】 author : いづな薫 
| 白熱教室 | comments(2) | trackbacks(0)|
パリ白熱教室第2回 「所得不平等の構図」 なぜ格差は拡大し続けるか
スター性のある経済学者である。
ピケティ氏のスター性は、学者でありながら事態を冷静に観察するのに留まらない所である。
強い問題解決意識を持ち、今回も聞く人に訴えかける。

今回のテーマ、なぜ「格差は拡大し続けるか。」
働かなくても収入があり、少ない子供が富裕層の親の財産を相続する。富が富を生む構図である。
額に汗して働く労働の対価(労働所得)ではなく、引き継がれる富が”資本”である。
ピケティ氏は、この”資本”に注目している。

資本とは、大まかに言えば金融資産と不動産などから上がってくる資産の合計である。
ある人が開業医をしていて、医療設備や医師免許を持っている。

医学の知識があり、治療技術がある。
設備、免許が資産から本人が持っている能力を引いたもの、これも資本である。
 
18〜19世紀の欧州では、資産による格差が圧倒的で、労働所得格差は、現代米国ほどではない。
昔は、農業主体の経済なので、経済成長率は1%程度でそんなに労働所得格差はないのである。
だが、昔は労働格差が少ないと言っても、19世紀米国なら白人社会のみ言えることで、黒人の奴隷制をもちろん考えねばならない。

日本も、ここ20年くらいで富裕層の富の蓄積がどんどん上がっている。
一般の人の収入はさほど上がっていない。
平均所得が伸びるより、はるかに早く富裕層の富は増えて行く。

ピケティ氏が今回の授業で解説していたが、人口1%と言うのは、フランス革命時の貴族の数だと言う。
米国の人口現在3億人、その1%は300万人。
結構な人数で、1%は大きな数字である。
1%が、多くの富を独占し、且つ政治的に大きな影響力を持っている。
働いて得る賃金はよほどの経済成長がない限り、4〜5%を超えることはない。
社会の下半分の人口は、ほとんど資産なしである。

資産のある人は、たくさん消費しながらその上多く貯蓄をしている。

”格差は、外から力を加えなければ拡大するばかりである。”これがピケティ氏の理論である。

富裕も貧困も連鎖する。
ある人が亡くなり、配偶者と子供5人が相続することになったとする。
配偶者に50%、子供1人当たり10%ずつとなる。
分かりやすいように、相続額を1億円としよう。
5000万円が配偶者へ、子供は1人当たり1000万円の相続だ。
子供が沢山いれば、資産は分散するが、1人っ子だったら言わずもがな富は集中する。

富裕層は大きな富を、租税回避地に蓄えることは前回書いた。
ピケティ氏が、重要な解決方法と提案しているのが資本税の導入である。
資本税によって、富の公平配分を実施することを考えている。
国際的な税制をかけることが肝要だが、これがなかなか難しい。
ならば、EUとか部分的な所から始めそれを沢山増やしてはどうかとピケティ氏は提案している。

安倍政権は、格差拡大へどんどん突き進んでいる。
格差を放置するとどうなるか。
格差が是正されないと、富はどんどん国外へ流れ、それを防ぐため政府が貿易に一定関与するようになる。
すると、世界的に自由な経済活動が失われる。
国内に取り残された、一般国民は低所得&増税で更に苦しむことになる。
2025年には、介護士が30万人不足するとメディアが報じている。
これで、移民を受け入れ、生活レベルが下がった日本人との間に軋轢が生まれ、社会不安が増大することになる。

格差は放置してはいけないのである。

【2015.01.19 Monday 20:31】 author : いづな薫 
| 白熱教室 | comments(2) | trackbacks(0)|
パリ白熱教室 第1回「21世紀の資本」 格差はこうして生まれる
面白い番組である。
以前、ハーバード大の哲学者、マイケル・サンデル教授の白熱教室を当ブログでも書いていた。
その、経済学版である。
講師は、トマ・ピケティ教授。フランス、パリ経済学校の初代校長。
左派労働運動の活動家を両親に持ち、専門である”経済的不平等”をわかりやすく論じている。
朝日新聞に載った紹介文では、現代のマルクス(私は違うと思う)、ロックスターのようなエコノミストと書いていた。

ピケティ理論の、興味深い点のひとつは数値による従来の経済分析に歴史と言う視点を加えたことである。
バルザックの19世紀を舞台にした小説を引き合いに出し、「一生懸命勉強して弁護士になり経済的に成功するより、金持ちの女を見つけて結婚した方がずっと裕福になれる。」
バルザック時代は、働いて稼ぐより遺産のある結婚相手を探す方が手っ取り早く金持ちになれる方法だと指摘している。
ピケティ氏は、こう言う時代がまた到来していることも告げている。

ピケティ氏は、イギリスやフランスその他の国の過去300年にわたる税分析を研究仲間と行って来たそうだ。
世界のいろいろな国の格差が、長い歴史の中でどう変動して来たかを追究している。
格差は、歴史上今に至るまで拡大し続けているとピケティ氏は結論付けている。

残念ながら、格差が歴史上縮むのは戦争期である。
戦争をやるからには、勝ちたいというのが人間の心理である。
兵士の士気を鼓舞するため、高額の補償金を用意する。
戦費調達のため、余裕のある一般国民に戦費公債を買わせそれに当てる。(日本も戦時中もれなくやっている。)
富裕層も、戦費のために増税に賛成する。
中・低所得層からは兵士が多く出征し、死ねば多額の遺族年金が下りる。
戦争で景気は大いに上がり、富裕層は高額税金を払い、中低所得層は遺族年金を手にして格差縮小する。
卒倒しそうな経済システムである。

でも、実際これで、第一次世界大戦〜第二次世界大戦の間の格差は縮小した。

現在、米国は志願制の軍隊であることは周知の通りである。
兵士になる人は、生活のためと言う人が多い。
裕福な家庭の子が多い、ハーバードの学生で兵隊に行った事がある人は、ほんのわずかしかいない。

人は生まれながらに格差がある。
裕福で、教育に沢山お金を出してもらえる親の子に生まれれば良い学校にも行きやすい。
良い学校に行けば、収入の良い仕事に就き、志願制なら兵隊に行くこともない。

さて、現在は米国や日本その他で能力や努力して成功を収めた人が高い報酬や社会的地位を得るのは当然だという考えがある。
彼らは、高い報酬+資産を雪だるま式に増やして行く。
報酬の額さえ、自分で決める立場にあるから、一般の人々との格差は広がるばかりである。
そして、富裕層の親から子へ富が移行し格差は固定する。

ピケティは、中・低所得家庭も教育と仕事を得るためのスキルを学べるようにすることが格差是正方法のひとつだと述べている。
欧州の大学授業料は、タダか極めて低額だが、日本の場合、高額な上給付型奨学金がない。
大学を出たら、700〜800万円の借金があるのに年収200万程度非正規の仕事しか就けないと言うこともある。

ピケティは触れていないが、日本の場合、同じ労働していても正規か非正規社員かで対価が違う。
非正規雇用の象徴でもある派遣社員。
かつて、日本の派遣法では派遣社員は、3年経過した後も雇用する場合は正社員にしなければならないと規定されていた。
これが、3年たったら別の派遣社員に取り替えれば良いと改悪された。

残業代も払わなくて良いと、改悪されている。
今は、該当者は年収1075万以上だが、400万ぐらいまで降りて来ると思う。
安倍政権の、労働政策は驚くばかりである。
正規、非正規の他にも男女、都会と地方格差・・・etcがあり、よく暴動が起きないと思う。
アベノミクス&トリクルダウンで、超富裕層を潤しておけば、いずれ庶民に恩恵が来る、安倍の言うことを信じて選挙で自民を勝たせる。
従順無知な国民がなんと多いことか。

貧富の格差では日本より米国の方が大きいが、日本は少子高齢化の速度がとても速い。
経済も低成長である。
低成長と言うことは、当然給料の伸びは悪い。
子供が沢山いれば、相続によって富は分散するが、少子化で富裕層の資産は少ない子供に相続され分散しない。

ピケティ氏に話を戻す。
ピケティ氏は、世界の国々が情報公開し、タックスヘイブン(租税回避地)を防ぎ、多国籍企業への課税が重要だと述べている。
資産を世界規模で把握しないといけないと。
防止する措置も取られているという。
今まで、世界的に富を蓄え、秘密を守って来たスイス銀行が情報開示に応じ始めたと言う。

現在、税制は国境で区切られている。
しかし、資産は国境をどんどん越え税金の安い地にどんどん蓄えられる。

手を打たない限り、格差は拡大し続ける。
不条理な格差の、是正方法をピケティ氏から学ぶつもりでいる。

次回放送は、1月16日23:00〜Eテレ。

【2015.01.11 Sunday 21:23】 author : いづな薫 
| 白熱教室 | comments(2) | trackbacks(0)|
「ハーバード白熱教室 in Japan」
マイケルサンデル教授のハーバード大学inJapan、大変楽しませていただいた。

イチローの稼ぎが、オバマ大統領の42倍。
イチローはその収入に値するか?これが最初の議題。

値しないと言う人の発言
  チームの一員としてプレーするだけ。
  オバマ大統領は、アメリカ国民すべてへの責任を負っている。

値すると言う人
  オバマのしていることは、お金を払ってまで見たいものではない。
  イチローは皆を楽しませているので、収入に値する。

先生 
  では、富の再分配についてはどうか。
  イチローやビルゲイツなど裕福な人に高額な課税をし、貧しい人に再分配するのはどうだろうか?

聴講者たちの意見
 イチローは高額な税金を払っても痛くもかゆくもないが、再分配によりより多くの人を幸せに出来る。
 巨額の富を残しておくより、多くの人の幸福が増す。

 

成績が今イチな学生が、東大に入ろうとする。親が裕福で慈善家で、44億円を学校に寄付するという。
 新しい図書館や実験室、暑い日に入れるプールが出来るかもしれない。
 この学生の入学を、認めるべきか?

反対派のAさん
 助かるのは、その学生だけ。社会の公正さは害される。
東大は公立学校なので、公正、平等が重視される。
 
サンデル先生
 では、その倍の88億円ならどうだ?

Aさん
 金額の度合いが大きくなればなるほど、不公正の度合いが大きくなる。

私もこれには賛成だ。
利潤追求もする私立ならあることだが、国立大学では自分の学生経験からしてもありえん。
余談だが、学生は、お金のかかることに以外に価値を見出せる、いい期間なのでないか。
学内設備なら、歴史ある古いキャンパス、たくさんある自然生の大木に価値を見出したのを私は記憶する。

賛成派のBさん
 その学生が1人入ったからとて、他の優秀な学生が落ちるわけではないから、良いと思う。
 


次にサンデル先生は、ハーバードでも同様の問いかけをした内容を話し始める。

「君がもし東大の有名な教授で、弟は暴力団で重大な犯罪を犯したとする。警察の捜査に協力するか?

 これは先生がかつて紹介した、アメリカで実際あったバルジャー兄弟の話だ。
兄ビリー・バルジャーは、米マサチューセッツ州議会議長を勤め、マサチューセッツ大学の学長でもあった。
弟ワイティ・バルジャーは、ボストンのギャング・リーダーである。
弟は幾つかの殺人事件に関与し、FBI最重要指名手配リストに載る。
 兄は、連邦検事の質問索に「弟を捕まえようとする人に、協力する義務はない。」と答えた。

Cさん 「社会の他の人に対し、犯罪を犯すのは家族のメンバーとして許せない。」

Dさん「弟が10人殺しても通報しない。家族を信じることが出来なければ、社会を信じることも出来ないから。」
 
私は通報だな。ごめんね弟、笑。
場合によっては幇助罪になるし。サンデル先生は法的ではなく道徳的な答えを聞いているが、それが日本という法治国家の通念(ルール)であり、それを犯してはこの社会を生きられない。



 さて、次のテーマは戦争責任
1930年代、第二次世界大戦時代の東アジアに対し犯した過ちを、公に道徳的に謝罪する責任があるか?

NOの人
 過去の罪は歴史として認識すべき。しかし、前の世代の責任を負う必要はない。いつまで謝り続けるのか?

YESの人
 相手が痛みを忘れるまで。世代が代わっても責任がある。

サンデル先生
 広島、長崎の人に対する謝罪、日本とアメリカ相互の戦争に対する謝罪はあるべきだと思うか?
 現世代のアメリカ人に、原爆投下に責任はあるか?
オバマ大統領は謝罪すべきか?

Fさん
謝罪すべきではない。
謝罪は、被害者と加害者の間ですべき。オバマ大統領は、直接の加害者ではない。

Gさん
いつどこに生まれかは、選べない。
道徳責任は、自らの意思で選択した場合、責任を持つべきである。

先生は、仰る
 大きな問題が定義された。すべての道徳責任は、選択と意思から生じるものなのか?
 例えば、親が、近所の家を全焼させてしまったら謝罪し、賠償する責任があるのか?
 子供は、焼いてはいないのに?

Hさん
 戦争は世代を超えても、責任はある。会社は、担当者が代わっても責任はある。
 国はコミュニティー。コミュニティーが続く限り責任はある。

先生
 オバマ大統領は、原爆投下を謝罪すべき?

Kさん
 オバマ大統領が核の脅威を失くそうとするなら、過去の過ちを認め、新しい世界を作るリーダーになり得る。

先生
 原爆投下は、日米相互謝罪であるべきか?、戦争自体に対する、日本のリーダーの謝罪を含むものであるべきか?
 
 先生は、仰る。
我々は異なる意見、宗教的価値観のグローバル社会に生きている。
世界には多様な価値観があり、正義を見直す時期なのである。



今まさに起きている、日中関係がまさに当てはまる。
中国の反日感情は、自国政府への批判が別の形で現れているとも言える。
中国政府が親日政策をとれば、国民は親日に転び、反日になればそちらに転ぶ傾行がある。
日本側も、冷静に中国政府及び国内外事情を見極めることで、本質が見え、解決策も見えて来る。

反日感情について思うことがある。
例えば、かつての敵国アメリカと、日本の間に、反米感情は少ないだろう。
これは、戦後教育の成果である。
 良好な日米関係を、そのまま、1930年代および第二次世界大戦中における日本と、被害を受けたアジアにあてはめる事は出来ない。
 しかし、我々の先人達は、今よりもっと困難な状況を乗り切って来ている。
幕末の薩摩と長州、殺しあってしまってもなお、結果的には日本の未来のために、わずか1年半後に同盟を組んだのである。
 地球と人類の未来のために、互いを少しでも深く知り、日中の解決策を切に望む。

【2010.09.28 Tuesday 14:36】 author : いづな薫 
| 白熱教室 | comments(2) | trackbacks(0)|
ハーバード大学 白熱教室 「善き生を追求する」後編
Lecture24 正義へのアプローチ

学生たちが白熱討論した、同性結婚問題について、マサチューセッツ州最高裁判所の判決が出ている。

多くの結婚は、男女間に限るべきであり、同性愛行為は道徳的に反すると言う、強い宗教的、道徳的な信念を持っている。
同じに多くの人が、同性愛者には結婚する資格があり、彼らは異性愛者と等しく扱われるべきだと言う。
同性愛に強い宗教・道徳的信念を持っているどちらの見解も我々の前にある問題に答えていない。

 重要なことは、個人の自立性と法の下の平等の尊重である。
重要なことは、個人が2人だけの約束を交わす相手を自由に選ぶことである。


 つまり、選択の道徳的価値ではなく、個人が選択する権利だと言うことだ。
リベラルで、中立的、主意主義的立場で、自立、選択、同意を重視している。

しかし、裁判所も、同性結婚を認めるために、リベラル且つ個人の中立的主張だけでは上手く行かないことに気付いている。
 学生たち同様、同性婚是か非かの間で議論が分かれていたのである。
 そして、自由意志で、親密な道徳価値に政府が本当に中立なら、違う政策を取ったはずである。
 同性婚が、結婚と言う社会制度に合致しているのか?

 CNNを見ていると、マイケル・キンズリー氏と言うジャーナリストが出て来る。
 サンデル先生は、彼の意見を例に挙げる。

 「教会やデパートカジノなどに、自由に結婚式を提供させよう。
カップルに望みどおりの挙式、好きな時に結婚したと考えさせよう。
政府が係わっていなければ、気にすることはない。」

 これは、マサチューセッツ州最高裁判所の判決とは異を唱える。
判決は、結婚の定義を同性を含む所まで、拡大している。
民事婚は、深く個人的な約束である一方、相互関係、貞節、交友、親密さ、家族の理念に対する、公的な称賛である。
判決は、リベラルな中立を遥かに越えている。
公式な承認とし、結婚を名誉あるものとして、祝福し肯定している。


 裁判所は、「結婚は、目的の議論を避けられない。」と気付いたのである。
判事は、結婚の目的は生殖であると言う概念を検討し、却下したのだ。
受胎能力あるなしは条件ではなく、死に瀕した人も結婚するかもしれない。

結婚の目的を、こう結論付ける。
生殖ではなく、パートナーのお互いに対する恒久的な約束が結婚の本質的な点であり、目的である。

サンデル先生の言いたいことは、同性結婚に賛成でも反対でもない。
道徳的宗教的問題に、中立の立場を取りながら、同性結婚を支持あるいは否定できる主張に、反対なのだ。


 私たちの社会で正義と権利をめぐり、激しく争われる議論の幾つかには、ただ同意の選択と自立の問題から、中立であろうとしても上手く行かない。
中立でありたい裁判所でさえ、無理だとわかった。

 善の論じ方の問題は、どうだろうか?
正義と権利の議論において、善を論じることが避けられないのなら、論じる方法はあるのか?
 私たちの正義、権利よき生についての議論は、アリストテレスが指摘したとおり、のやり方で進んで来た。
 個々の事例や出来事の問題、私たちの判断は、行ったり来たりしていた。

 行ったり来たり・・・サンデル先生は、ロールズの「反照的均衡」を挙げる。
反照的均衡とは、個々の事例について、私たちが下した判断とその判断の根拠となる一般原理との間を”行ったり来たり”することである。
ロールズは、言う。
正義の概念は、自明の前提からは導き出されえない。
それは多くの考慮事項が相互に支えあい、すべて1つの首尾一貫した見方にマッチさせることで、正当化させる。

 現代は善についての考え方が、多元的で、論理的に考える良心的な人たちでさえ、道徳的宗教的には意見が合わない。
 善き生と、道徳的宗教的問題の間には、絶えず相違がある。
それが真実だとしたら、正義については正しいと言えるか?
私たちは多元的社会では正義について、合意しないのではないから、
意見の幾つかは、道理にかなった当然の不一致ではないか?

 どちらも意見が合わねば、対話の相手として意見を交える。
他者の見解を聞き、時には自分の見解を見直す事により自分の見解をを強化するよう説得する。

更なる意見。
リベラルな懸念が残っている。
道徳、宗教に関して意見が異なるのと同様、正義の意見が異なるのを当然と考えるようになったら、どうだろう?

 どうしたら、意見の合わない人たちを尊重できる社会になれるだろうか?
私たちが、どのような尊重の観念受け入れるかにあると思う。
 リベラルな観念では、同朋市民の道徳的宗教的信念を尊重することである。
いわば、政治的目的のために無視することである。
道徳、宗教的信念を脇に置いたまま、自分達の政治的議論を進めることである。
 しかし、民主的生活に欠かせない相互尊重理解の唯一の方法でもなく、最も妥当な方法でもない。
 相手を道徳、宗教的に深く学んでも、相手を好きでなくなることはありうる。

 サンデル先生は言う。
他者を深く考え、関与していくことは、私たちの多元的社会に、より適切なふさわしい理念に思える。
 道徳的、宗教的、意見の相違が存在し、人間の善について究極的な多元性が存在する限り、道徳的に関与することで、私たちは様々な善を理解することが出来る。


先生の語る正義や善は、世界中または、私たちの身近で小さなコミュニティーまで、当てはめて考えることが出来る。
 例えば、職場の人間と意見が合わなくても、多くの日本人は、多民族国家から比べれば、比較的付き合いやすい人間と付き合っている。
 世界には、もっと難しく困難な人間関係や社会があることを、海外取引のある仕事及び人間関係、そして少なくともニュースで知らされる。
 正義とは何か、善とは何か。
 永遠に解決できない問題を考えながら、私たちは答えを日々生きている。
答えは出ないと感じながらも、生活しながら、哲学を避けては通れないのである。

毎回、面白い講義をして下さった、サンデル先生に感謝したい。
お付き合い下さった、戦国カフェ読者の皆様にもお礼を申し上げる。
サンデル先生、来日するんですね〜。

【2010.06.23 Wednesday 15:43】 author : いづな薫 
| 白熱教室 | comments(0) | trackbacks(0)|
ハーバード大学 白熱教室 「善き生を追求する」前編
最終回の今回は、常に道徳的・宗教的論争の的となる、同性結婚を議論している。

Lecture23 同性結婚を議論する


サンデル先生は、言う。
主義的観念(理性や感情より、意志を根本におく立場)に対し、個人の物語的観念を、弁護したい。
我々には、連帯や集団の構成員としての義務があることを弁護したい。

そのような義務が存在することは、「正義について議論する時、善の問題から離れられない」、と言うことを強めるのである。

 重要なのは、善と正義を結びつける2つの方法を区別することだ。

1)相対主義的方法
  権利、正義を考えるため、ある時代のコミュニティーにある価値観に、頼る方法。
 外部の基準で、判断してはならない。この方法で、正義を善と結びつけるのは無理がある。
 正義を、まったく慣習の産物にしてしまう。

2)非相対主義的方法 
正義の原理を正当化するため、特定のある時代・場所の価値感に頼らない。
 権利が持つ道徳、目的に内在する価値に頼る。
権利を承認するか否かは、何が重要な人類の善を促進するかで決まる。

もしコミュニタリアニズム(共同体主義)が、特定の正義にゆだねることを意味するのなら、この正義と善を結び付ける2つ目の方法は、厳密に言えば、コミュニタリアニズムではない。

正義を善と結びつける2つの方法のうち、1)は不十分である。
1950年当時の映像で見たような、米南部の人種分離主義者を、論破してはくれない。  
一方、正義が、2)非相対主義的方法で結びつくとすれば、難しい問題が残る。

A)善を、論じる方法はあるのか?
B)善が、人により異なるのはどうするのか?

どんな人類の善や、社会の善に名誉を与えるべきか?
私たちは、多元的社会に暮らしており、共通の善の合意は存在しない。
だから、特定の正義や権利の原理を見つけようとするのだ。

善を論じる方法はあるのか?
正義を議論する上で、善について議論することは避けられないのか?
サンデル先生の答え。「YES,避けられない。必要なことだ。

そこで、同性結婚を例に挙げている。
同性愛は、許されるのか?
社会的制度の、結婚の適切な目的は何なのか?

大議論になる道徳的宗教的問題について、社会全体の判断がなくても、正義や権利の概念を構築することを強く望まれる。
 これらの紛争を、社会全体で解決することなく、人々の権利を提議できれば魅力的だ、とサンデル先生は言う。

 結婚の目的は、何?
個人的見解を、国家が、同性結婚を認めるべきか否かから、切り離すことは可能か見て行きたい。

 社会制度の中で、生殖と言う目的に対し名誉を与えるのが結婚?
国は、男女間の結婚のみ認めるべきか?

<賛成>
SEXの目的は生殖。結婚と言う制度の中で男女を結び付けている。
生殖と言う目的に、名誉を与えている。
同性愛者が駆け落ちするのは自由だが、政府が後押しする必要はない。

<反対>
私たちは、不妊のカップルの結婚を認めている。
もうすぐ死ぬかもしれない人だって、結婚するかもしれない。

<中立>
反対意見は、カトリックの立場で述べている。
他の宗教や無神論者では、立場が違う。
人間の性活動を、国が認めるべきではない。
結婚は、男女、男男、女女の結びつきである。
国から、誰かと結びつく許可をもらう必要はない。

サンデル先生は、質問を投げかける。
国はどのような結婚を認めるべきか?
道徳、宗教的論争で態度を明らかにせず、同性結婚問題を判断することは可能か?

ひらめきコミュニタリアニズムには、2つの考え方がある。

1)特定のコミュニティーの価値観を、正義と見る方法。これには、無理がある。例:人種分離政策。
サンデル先生は、1)の考えには反対である。

2)特定のコミュニティーを超えた善の問題を考えることが、正義の議論で重要。

 目的や善を考えること、すなわち同性婚の意味のなのである。

この回はサンデル先生自身の提唱する議論でもあるので、戦国カフェでも2回に分けて、じっくり書きたい。

キリスト教国の場合、教会と言うの存在が結婚においても重視され、同性婚を国及び教会が認めるのか論じられている。
 日本では宗教論はさほどではないにしても、同性婚の善と正義、権利の議論が近い将来、展開される時が来るかもしれない。

【2010.06.22 Tuesday 19:43】 author : いづな薫 
| 白熱教室 | comments(0) | trackbacks(0)|
ハーバード大学 白熱教室 「愛国心と正義 どちらが大切?」
第11回目の授業は、「なぜ人間は、国や家族に愛着を感じるのか?」がテーマだった。

「人間は本質的に、物語を紡ぐ動物である。」そう言ったのは、アラスデア・マッキンタイア(1929−)、
アメリカの政治哲学者である。
 彼いわく、「私は、何をすべきか、」と言う問いには、「どんな物語の中で自分の役割を見つけられるのか?」に、
まず答える必要がある。

私は、単なる個人として、善を求め美徳を実践することは出来ない。
私たちは皆、特定の社会のアイデンティティーの担い手として善を求め、周囲と付き合う。
私は誰かの息子であり、娘であり、どこかの都市の市民である。
したがって、私に良いことは、このような役割を生きる者にとって良いことだ。
 私は、自分の家族、年、民族、国民の過去から、様様な負債、遺産、期待を受け継いでいる。
 私の人生に元来、与えられた物が、道徳的な出発点である。
それが、私の人生に道徳的な特性を与える。

自己の物語的観念、それは、負荷ありき自己である。

それは、個人主義や、自由主義と対立する。
 生物的に父の子だが、父のして来たことの責任を負わされることはない。
国がして来たことの責任を、負わされることはない。
 マッキンタイアは、これは無知だと言った。
集団的責任、過去の歴史から生じる、重要な責任から逃れようとする無知である、と。
サンデル先生は、「1945年以降に生まれ、ナチスのことを関係ないという、若いドイツ人。」を例に挙げた。
プチ解説:ご他聞にもれず、”アジアの中の日本の歴史”などその最たるものだ。
以下数行の文書を、日本と朝鮮、中国に当てはめると非常に分かりやすい。


 人生の物語は、常にコミュニティーの物語に深く根付いており、アイデンティティーはそこから生まれる。
 自己は集団の構成員であり、歴史物語と切り離せないし、切り離すべきではない。

 サンデル先生いわく、マッキンタイアの強烈なメッセージだ。
 
リベラルの観念では、
/佑箸靴董⊃佑鯊砂鼎垢襦普遍的義務。
⊆発的義務。約束したことで発生する誰かに対して負う義務。

コミュニタリアニズム(共同体主義者)は、別のカテゴリーがあると、主張する。
O帯、忠誠心、集団構成員としての義務。

例:家族に他する義務。
  子供が、2人おぼれている。どちらか1人しか助けられない。1人は自分の子、もう1人はよその子。
 自分の子のみ助けるのは、道徳的に鈍感か?

別の例:第二次世界大戦中、フランス・レジスタンスの空軍パイロットが、占領下のフランスを空爆した。
プチ解説:フランス・レジスタンスとは、第二次大戦当時、占領したナチス軍に対する抵抗運動を言う。
イギリスの支援を受けた。

ある日、爆撃の標的が自分の故郷だと気付き、爆撃を拒否した。
 パイロットは、フランス解放と言う大儀がありながら、故郷を爆破するのは、道徳的罪であると考えた。

 彼を賞賛するとすれば、私たちは、連帯義務を認識しているからだ。

サンデル先生は、別例を挙げる。
 何年か前、エチオピアに飢饉が起こり、イスラエル政府は、エチオピア国内のユダヤ人のみ飛行機で救出した。餓えている人は他にもたくさんいる。
 これは、イスラエルが、エチオピア国内のユダヤ人にのみ、より多くの義務を負っているからだと説明する。

 コミュニタリアニズム(共同体主義者)に賛成、反対の学生たちの意見が続く。
 先生は、言う。コミュニティに歴史があり、善に対する考え方がある。その中で人は育ち、生きている。
 コミュニティーの継承した、負荷(責任)を負っているのだと。

サンデル先生は、興味深い例を挙げた。
 米マサチューセッツ州議会議長を勤めた、ビリー・バルジャー氏と言う人物がいる。
 著名な政治家で、マサチューセッツ大学の学長でもあった。
その弟、ワイティ・バルジャーは、ボストンのギャングのリーダーである。
幾つかの殺人事件に関与し、FBI最重要指名手配リストに載る。
現在も逃走中だ。
連邦検事は、兄のビリーに、弟の行き先について情報を求めた。
兄は、拒否。
検事は問う。「マサチューセッツ州より、弟に忠誠心を感じるのですか?」
ビリー氏は答えた。「そんな風に考えたことはないが、弟を大切に思っている。
弟と対立する人に手を貸さなくて済むよう願っていますし、弟を捕まえようとする人に協力する義務はありません。」

 また先生は、1950年代のアメリカ南部のとある人のインタビュー映像を上映する
当時、そこは、人種分離を社会の伝統だと考える人がいたと言う。
映像の中の人物は、
「白人のして来たことは虐待、変わらねばならないと言われる。しかし、新しい考えは、南部の人には難しい。」

サンデル先生は、白人が黒人を支配したのはまずいように、
ローカルな共同体には、弱点があることを指摘する。
共同体だけ主張するのは弱点があり、
善こそ重要なのだと、仰っている。

 善がなければ、共同体は社会にとって良きものだとは限らない。
歴史の長い日本では、この手の話はたくさんあるが、一例を挙げる。

第二次世界大戦時、日本陸軍指揮官で硫黄島で玉砕した、栗林中将と言う人物がいる。
 渡辺謙さんが演じて、映画にもなった。
 栗林中将は、ハーバード大学で学んだ米国通である。
アメリカで教育を受けた彼が、日本に帰り、日本軍として戦死した事は、コミュニタリアニズム(共同体主義者、ここでは陸軍)からすれば天晴れなことだ。
 しかし、戦争は善ではないし、アメリカ人と温かい交流を持った彼が、かつての友の国と戦争をするのは如何ばかりであったかと思う。
 
 善こそ、不可欠で最重要と実感した講義だった。

【2010.06.14 Monday 19:10】 author : いづな薫 
| 白熱教室 | comments(8) | trackbacks(0)|
過去のページへ

戦国カフェオリジナルグッズショップです。 戦国カフェオリジナルグッズショップへ
    いづなへメール

 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

   当サイトは、コピー、転載、ダウンロード、直リンク、持ち出しは禁止です。
◆ 著作権はすべて、
いづな薫に属します。
 過去のページへ


   にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
   にほんブログ村。
   ランキングはお休み中