大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 江 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
江感想「愛の嵐」
茶聖・千利休が秀吉の命により切腹したのは天正19年2月28日(1591年)ことである。
その日天候はあられ混じりの大荒れで、京の葭屋町(よしや)の利休屋敷は上杉景勝の軍勢3000に包囲されていた。

同年1月22日秀吉の弟、秀長が死去。
利休の良き理解者でもあった秀長が死んだのを前後して、大徳寺山門の利休木像事件が持ち上がる。
理解者を失った利休は、故郷堺で蟄居を命じられる。
利休の高弟であった細川忠興と古田織部に見送られたと言う。
数々の助命嘆願もかなわずまず大徳寺山門の木像が磔になり翌日の1591年2月26日、京に呼び戻され2日後切腹して果てた。
享年70。

さて、感想。
愛の兜出てた、出てたとあちこちの上杉勢からご一報いただく。
他のことしながら見ていたので、見逃した〜(T_T)
でも、愛の兜は嬉しいです。
千利休が切腹したのは、現在晴明神社の場所だが、利休屋敷の周りには上杉景勝や直江兼続の屋敷があり、現在、石碑が建っている。
現・晴明神社で戦国期利休屋敷だった場所は、平安時代はもちろん安倍晴明の住まいである。
晴明が念力で、井戸水を湧き出させ出来たのが、晴明井。

利休は、茶の湯にこの水を使用していただろう。
切腹の際、必要な水も、この井戸から得たのか。

病気平癒の信仰がある水である。

【2011.07.04 Monday 10:23】 author : いづな薫 
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江感想 「茶々の恋」 龍馬伝感想「遥かなるヌーヨーカ」
 北野大茶会について話す。
九州征伐を終えた秀吉は、京の北野(京都府上京区)で大茶会を催した。
茶の湯好きであれば、百姓、町人、武士身分を問わず、釜や茶碗を持ち寄り参加するよう命じた。
北野には、茶の湯座敷が800軒も建てられたと言う。
秀吉の茶の湯座敷では、堺の商人で当代一流の茶人、千利休、今井宗久、津田宗及(そうぎゅう)らが茶を立て、800人に振舞ったと言う。

しかし、天正15年(1587)10月1日から10日間で開催予定だったが、わずか1日で開催中止。
平定したはずの九州肥後が反乱を起こしたのである。

茶々がいつ、秀吉の側室になったかは定かではない。
初が京極高次に嫁いで、2年めに姉・茶々に鶴松が生まれている。鶴松は、2年後に亡くなる。
 
ドラマでは、茶々と秀吉の恋物語になっていますな。笑
秀吉自身が茶々と結ばれなくても、別の嫁ぎ先を用意して、茶々の幸せを願う。
ラブストーリー脚本としては悪くはないが、戦国舞台で恋愛が主流・・・安全保障や領国経営は大丈夫か。笑
そこらへんをもっと書くと戦国ものとして意味がある。そもそもアウェイのお話なので、これ以上は言わぬ。言うとなったら相手はNHKだが。

龍馬伝「遥かなるヌーヨーカー」良かったですね〜。あ〜私はやはり坂本龍馬が好き。笑
先日お亡くなりになった児玉清さんの追悼番組ですが、龍馬のお父さんと重なり涙モノ。
病を得てなお、末っ子龍馬の行く末を心配し、その将来を見たかった、と言う。
商いに強く気持ちの優しい龍馬を育んだ、慈父八平が印象的だった。

プチサッカー話題。6月のキリンカップ、香川君が出ない…

【2011.05.30 Monday 10:22】 author : いづな薫 
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江感想 「家康の花嫁」
 江の2番目の夫が出ていましたね。
秀吉の姉”とも”には、3人の息子がいた。
長男は、関白秀次。次男は江の2番目の夫になる秀勝である。
江と秀勝の結婚後、秀勝が朝鮮出兵で巨済島(コジェド、現・韓国)にて陣中病没してしまう。
夫亡き後、ふたりの間に生まれたのが完子(さだこ)。
茶々が引き取り、摂関家の九条幸家(くじょう ゆきいえ)に嫁いだ。

秀吉の妹、朝日は、家康に嫁いだ時44歳で夫がいた。
夫は、佐治日向守(切腹)とも、副田甚兵衛吉成(出奔、出家)とも言われる。
秀吉は、妹・朝日を嫁にやったが臣従しない家康。
今度は、母親の大政所を送り込む。これによって、家康が折れ、秀吉は全国制覇を一段と進めた。
秀吉と家康の陣羽織シーン、天地人でも見たばかりなので、さすがに飽きる。
家康は天地人より、こちらの方がいいが。
ちなみに、大政所とは関白の母を指し、北政所とは関白の正室を指す。

秀吉は関白になると、従った者に次々に官位を叙任推挙している。
家康が陣羽織をもらったのが1586年10月、1588年には後陽成天皇、聚楽第行幸を、迎え秀吉は絶頂期にあった。
関白への服従を誓う起請文を諸大名に出させ、全国制覇を成し遂げている。

黄金の茶室だの金だの、たくさん出てくるが、多くは越後産、うちのお屋形さまの金なんだよ〜。
久々の歴史記事。笑

原発問題ではまたいろいろ言いたいことがあるが、今仕事が終わったばかりなので(出張先)これにて失礼申し上げまする〜。

あ、22:55〜NHKで長友選手の特番があるので、見なければにゃらない。

【2011.05.09 Monday 22:26】 author : いづな薫 
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江感想 「関白秀吉」
 秀吉が天皇の命令で関白になる宣旨(せんじ、朝廷が出す文書形態の一種)が、かつて岡山県の土蔵から出て来たことがある。
ねねの実家の、御子孫にあたる家である。
「権大納言藤原朝臣淳光(あつみつ)を通して、関白にしてやったよー。天正十三年七月〜」(いづな訳)が読み取れる。

本能寺の変後、秀吉は3年で、二位内大臣に上り詰める。
しかし、秀吉は武家のトップである征夷将軍になりたい。
そのために、信長に一時追われたとは言え15代将軍足利義昭の養子になることを画策した。
しかし、源氏の嫡流を自負する足利義昭、ドラマでももんどりうって嫌がっていたが、許可することはなかった。
ならば、秀吉は人臣最高位である関白になりたい。

その頃、摂関家の近衛信尹(このえのぶただ)と二条昭実が関白の座をめぐって争っていた。
そこへ、右大臣の菊亭晴季(きくていはるすえ)が、秀吉に、「ねえ、関白にならない?」と持ちかける。
どさくさにまぎれて、菊亭の働きで秀吉が関白職を得ることになる。
さてこの菊亭晴季(きくていはるすえ)、右大臣でありながら、つまり朝廷での口利屋。官位斡旋、調停が得意。
菊亭の娘は、秀吉の甥・秀次の妻となり、秀次が秀吉の怒りを買って切腹した時、妻妾子供39名とともに殺された。
私は、秀次一族のお墓に詣でたことがある。
京都三条木屋町にある瑞泉寺(ずいせんじ)である。
秀次の墓と、一族の五輪塔がある。合掌

ちなみに、関白の座を逃した近衛信尹(このえのぶただ)の父、近衛前久(このえさきひさ)は、謙信公の追っかけをして、
関東まで来ちゃった武将好きの熱血漢。
謙信公の書く豊麗な書の、師でもある。

短く、感想。
茶々と秀吉のラブストーリー、素敵なBGMまで使っていたが、違うカップルで見たい。
茶々と猿では気分が盛り上がらぬ〜〜〜。


社会的PS.
・運転中の敦賀原発2号機(福井県)が、1次冷却水の放射性物質濃度が上がっているので停止。
核燃料もれているかもだそうです。
・米と旧ソの歴史を考えると、おさまの死を喜んでいる米ってどうよ。
・東北電力の株主さんたちが、原発廃止を訴える。いいね〜このニュース。
原発廃止を定款(ていかん)に明記することを求める株主提案権行使請求書を東北電力に提出。
・ゴールデンウィーク、全国各地で、脱原発、原発廃止イベントが大盛況だとか。
賛同者が増え、世論が持続して下さることを願ってやまない。

【2011.05.02 Monday 22:17】 author : いづな薫 
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江のお墓

先日の休日、芝増上寺にふら〜りと参りました。江のお墓があるところです。
まず増上寺本堂にお参りし、右手にある徳川家霊廟に向かう。
上の写真は、将軍や夫人たちの墓地に入る荘厳な入り口。

ガイドのおじさまのお話を、ふむふむと聞くいづな。
私が行った時は霊廟は公開されていませんでしたが、塀越しに見えるよ、と教えていただく。
本当の公開は明日4月15日から。¥500なり。

ガイドのおじさまと、すっかり歴史話で盛り上がる。いづなのよくある光景。笑
いづな 「秀忠さんは、石やふたで提灯のように押しつぶされて座葬されてたんですよねー。」

ガイドのおじさま 「そうそう。子供の時亡くなった家綱(7代将軍)は、骨も発見されていないんですよ。」(お墓には、爪と髪の毛が入っています)


右側が、江のお墓。秀忠も一緒に入っています。
江は、小柄で華奢、最初から火葬されています。秀忠は血液型O型、157.6cm。
太平洋戦争時、港区にあった墓所が焼失しちゃって秀忠の霊廟は無くなってしまいました。
1958年に発掘調査し、土葬の御遺骸が出て来たがその後骸も桐ヶ谷斎場(品川区)にて荼毘にふされました。
増上寺に改葬され、江のお墓に、一緒に納骨されています。
お墓の形に男女があって、江の女性形のお墓に夫婦仲良く納まっています。


こちらが男性のお墓。中に入っていらっしゃるのは、14代将軍家茂さん。
甘いものが大好きで、歯はほとんど虫歯。身長156.6cm。
21歳と言う若さで亡くなり、御遺骸には結い上げた豊かな髪の毛が載っていました。
いづなも写真で拝見しましたが、大変鼻梁の高い人です。肖像画に似ています。


境内の満開の枝垂桜。
この下で、きれいな女性が2人で記念撮影をしていました。

PS.プチ、サッカー話題。うっちーシャルケに長友インテル2敗・・・。何だかなもう〜どうしたインテル

【2011.04.14 Thursday 22:20】 author : いづな薫 
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江感想、「花嫁の決意」
 佐治一成(さじかずなり)、信長や市のきょうだい・お犬の方と、佐治信方の息子。
尾張国大野城(愛知県常滑市)を居城とする。伊勢湾を抑える水軍豪族。
伊勢湾は、廻船業、漁業が古くから発達した地域で、その海上交通を掌握した佐治氏は海のスペシャリストである。

江が信長に似ていて怖いので、嫁に出しちゃうと言う設定だった。なんとなく顔立ちが似ている。笑
雪が降るのに、障子1枚の部屋で寝る三姉妹、寒そう〜。
秀吉ねね夫婦が面白い。前回の秀吉三成主従も。

江の1番目夫は、爽やかで良い方ね。すぐ去っちゃうのが惜しい〜笑。
江の結婚生活は、1番目と2番目がすぐ終わる。
1番目の佐治一成は、1584年小牧・長久手の戦いで、徳川家康方に味方し、家康と争う秀吉は激怒。
江とは離縁させられ、追放された。
2番目の秀勝(秀吉の甥)とは、娘もいたけれど、生まれる前に夫が病死。娘はお公家さんの九条家に御輿入れ。
一方、佐治一成は、江と離婚後、信長と側室お鍋の方の娘・於振(おふり)と再婚。
佐治は江より長く生き、寛永11年(1634)、京都で没した。享年66。

佐治一成の後妻の母・お鍋の方は、子連れで信長の側室になっている。
信長との子供も3人いた。その一人が、佐治の後妻である。
関ヶ原では、息子達が西軍についたため領地を取り上げられてしまった。
領地を失ったお鍋の方を、淀殿(茶々)が50石援助している。

秀吉、信長の家系の女性には執着を見せる。
茶々の他にも、側室三の丸殿は信長6女で蒲生氏郷の養女である。氏郷の妻冬姫(信長の娘)も目をつけていたらしいが失敗したと言う説もある。

今日は”ミニ秀忠”出てこなかった。父家康の周りに遊ばせて置くとか、3番目の成長記録もちょっと見たい。笑

【2011.04.10 Sunday 22:15】 author : いづな薫 
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江感想 「茶々の反乱」
美味しいものときれいな着物に、懐柔されそうになる初と江。
廊下でハマグリを焼いて、姉妹をおびき寄せている三成がおかしい。
実家の猫がいなくなった時、庭の七輪でアジを焼いたのを思い出した。

千宗易の茶会で、まんじゅうを食べている姉妹を見て泣いている秀吉がおかしかった。
三成に抱きついてまだ泣いている。笑
秀吉&三成コンビが面白い。
歴史の面白さとは別次元で、考えたら良い。
江が猿に何か言うと、信長にオーバーラップする。
江の顔立ちが信長に似ている気がして来る。

家康の息子、竹千代が出て来ましたね。
後の江の夫、徳川秀忠である。
まだ小さくて、可愛い盛りだ。江と逢う以前から、秀忠の様子も描いていくのかな。

今年の4月1〜9日東京芝増上寺の徳川霊廟の特別公開は、震災のために中止になっている。
そこに、将軍秀忠や、江のお墓もある。
昭和30年代に墓所改葬が行われた時、秀忠のお墓も発掘調査されている。
地中の石や棺の蓋が中に落ち込み、座った姿勢で衣を着た骨が、提灯のように圧縮して見つかっている。
秀忠は、骨に残る筋肉の痕跡から、戦国時代の武将のような筋骨逞しい体格であったことが分かっている。

大河のCM「龍子の部屋」が、笑える。
京極龍子が椅子に座って、ドラマ解説をし、上から侍が紙ふぶきをまいている、笑。
絶世の美女だった龍子を、3の路線で描いている。

プチサッカー情報。
長友選手のインテルと、ウッチーのシャルケの試合(チャンピオンリーグ)が、6日深夜、つまり7日の1:35〜フジテレビであります
こっこれは見なければ

海上保安庁に救出されたワンコ、飼い主さんが見つかったんですね、本当に良かったです。

【2011.04.04 Monday 18:44】 author : いづな薫 
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江、感想 「猿の人質」

「猿の分際で一緒に泣くな!」と、江に怒鳴られた猿が、江の中に信長の姿を見たのが面白かった。
おねと京極龍子の、悠然と生きる姿がいい。
京極龍子、大変な美女として知られ、江の次姉・初の夫は龍子の弟(兄)である。
身内の仇と言う存在は大変なことだが、互いに殺傷しあう戦国時代では、存続をかけて仇とも縁を結ぶ。
三姉妹が亡き母を想って泣くシーン、これも400年程前の現実と思いながら、やはり今月の地震で家族を亡くした被災者を想った。

信長の3男織田信孝ついて、少しだけ記述する。
幼名三七、3月7日生まれだとか言う説もあるが、定かではない。
信長が北伊勢を攻めた時、降伏した神戸城(かんべじょう・三重県鈴鹿市)の城主、神戸具盛(かんべとももり)の養子となり、神戸信孝とも称す。
本能寺で父信長が横死すると、3男信孝は丹羽長秀と秀吉に合流し、山崎の合戦で、明智光秀を討伐。
美濃岐阜城の城主になったが、次兄の織田信雄と争うこになる。
信雄には秀吉が、信孝は柴田勝家が付いて、賤ヶ岳の戦いを迎えた。
しかし居城岐阜城を信雄に取り囲まれ、柴田勝家も北ノ庄で自害してしまった。
信孝は、信雄に岐阜城を明け渡し、和約を願い出て、自身は自害した。
墓は、三重県亀山市福蔵寺、愛知県美浜町大御堂寺の双方にある。


【2011.03.28 Monday 20:53】 author : いづな薫 
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江感想 「義父の涙」
 信長の葬式について書く。
信長の葬式は、天正10年(1582)10月15日、京都大徳寺において、羽柴秀吉が、養子秀勝(信長四男)を喪主にして行っている。
大徳寺を出る3000人の葬列、警護に1万人と言う、天下人の葬儀らしい規模で、葬式を牛耳る秀吉が信長後継者であることを天下に示すものであった。

 信長の棺は、前を池田輝政(信長乳母の孫・池田恒興の子、姫路城を大改修した大名)、後ろを秀勝に担がれている。
棺の中身だが、もちろん遺骸はない。
信長の木造を納めている。
秀吉は信長の愛刀を捧げたと言う。
 信長の法要は、信長死んで100ヶ日の9月12日にもお市の方が妙心寺で行い、秀吉も大徳寺で行っているが、正式な葬儀は、10月15日である。
秀吉は、信長の息子たち、信雄、信孝、重臣柴田勝家らに信長の葬儀をする様子がないことを確認し、自ら盛大な葬儀を行い、彼らが葬儀に参加するのを妨げた。
葬儀には、反秀吉派の有力大名がおらず、秀吉の新天下人のデモンストレーションとなった。
これが、柴田の反感を買い、賤ヶ岳の戦いへとつながって行くのである。
京都大徳寺に、総見院(そうけんいん)と言う塔頭がある。
総見院は織田信長の戒名で秀吉が主君信長の菩提を弔うため、1万貫文を寄進して建立した。
開祖は、古渓宗陳(こけいそうちん)。
信長の葬儀もここで行なわれている。境内には信長一族の墓もある。

ドラマで「女には分からぬが男は戦に行きたいのじゃ」、と市が言っていた。
男女の差で武士の名誉を説明したが、確かに武士には現代人には難しい価値観がある。
本能寺の変の時、信長の息子信忠は、脱出が十分可能なのにもかかわらず、二条御所で自害している。
同場所にいた信長の弟織田有楽斎、水野忠重(家康の母方のおじさん)は脱出に成功している。
信長の長男信忠は、雑兵の手にかかるのは口惜し、として自ら命を絶っている。
武士としての名を惜しんだのである。
京都伏見の落ち武者狩りの農民の手にかかった光秀とは、同時の価値観からすれば、その死に雲泥の差がある。
そして信忠が生きていたら、秀吉の台頭もなかったかもしれない。

さて、感想。
今週も柴田パパサイコ―!
戦場で刺繍してたんか?笑
江が作った勝家袋も可愛い。
勝家本当にけなげで良き父だが、来週は賤ヶ岳かな。


追伸2つ
Taroの塔、今週は出張のため見られず。再放送で見ます。

インテルの長友選手がセリエA初ゴール!!
しかもホームでの試合。この先も優勝を目指したいとのこと。
サンデースポーツ見てたら、香川選手が出ていて、長友選手のようにビッククラブへ移籍しタイトルを取りたいと語っていた。
みんな頑張れ〜応援するよ〜。

【2011.03.07 Monday 17:45】 author : いづな薫 
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江感想 「初めての父」
 柴田勝家パパ良かったですね。座布団3枚でござる。笑
打ち解けてくれない、長女次女に苦労しながら、必死に父親になろうとする勝家が何ともいい。
爪の先ほどでもいいから、思うて下され、と、妻・市に頼む勝家が切ない。
 馬を駆って勝手に外出して帰って来ない江を叱り飛ばし、支えられて生きていることを忘れるなと、抱きしめる勝家が、本当の父親のようだ。
俳優さんの熱演も良かった。
 勝家、市、娘たちの家庭生活は、賤ヶ岳の戦い勃発までわずか一年に満たない。
市が勝家と共に自害したことを思うと、勝家、市夫婦に短くとも深い愛情があったのかもしれない。

 さて、清洲会議で秀吉は三法師を担ぎ上げ、天下人へ一歩進んだかにドラマなど創作物では描かれるが、史実はそんなに単純ではない。
 清洲会議の2大議題は、1、織田家後継者問題、2、遺領配分問題である。
安土に三法師、信雄が、尾張国、伊勢南部、信孝が岐阜城、信長ゆかりの地は信長親族で固める。
家臣団は、柴田勝家が北近江と長浜城を加増、秀吉が北近江と長浜城を勝家に譲り、山城国を得ている。
遺領配分はすんなり決まったが、後継者問題がもめた。
安土に入るはずの三法師が、岐阜城に留まったままで動かない。
織田家相続嫡流であり3歳の三法師を、叔父の信孝が懐柔してしまうのである。
信長の葬儀は、翌天正11年(1583)10月15日に行われるが、信雄、信孝兄弟、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興ら宿老も参加していない。
丹羽長秀、池田恒興は領地大幅UPを秀吉から取り付け、秀吉派であり、葬儀には名代を派遣している。
信長の遺骨の入っていない棺を担いで運んだうち1人は、池田恒興の息子である。
(棺には信長の木造が入れられた。)
三法師を抱きこんでいる信孝とそれを支援する柴田勝家は、秀吉の敵となる。
信孝と仲の悪い信雄に秀吉は近付き、信雄、秀吉、丹羽、池田グループを結成するのである。
柴田グループとの衝突は時間の問題で、天正10年(1582)12月には柴田の甥で養子の勝豊と戦になった。
勝豊は敗れ降伏。
負けた柴田側の織田信孝は、三法師を秀吉に差し出す。
三法師と言うアドバンテージを得て秀吉は、賤ヶ岳の戦いに望むのである。

NHK土曜ドラマ TAROの塔が、結構面白い。
岡本太郎氏のドラマである。愛と芸術に生涯を捧げた母岡本かの子が秀逸。
漫画家の父一平と小説家の母かの子、太郎。そして、母の愛人が住んでいる不思議な岡本家。
かの子はネタなので、駆け落ちとかしないでね、と願う父一平。
変な家族だが、岡本太郎の芸術の謎解きが秘められていて、面白い。

【2011.02.28 Monday 14:39】 author : いづな薫 
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 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

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