大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 刀剣 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
燭台切光忠


茨城県の水戸市にある、徳川ミュージアムに来ています。
長船派の刀、燭台切光忠(しょくだいぎり)を拝見するためです。
織田信長→豊臣秀吉→伊達政宗→徳川頼房か光圀(水戸黄門)と渡り代々水戸徳川家受け継がれて参りました。
鎌倉時代、長船光忠作。
製作当時は、太刀だったが後年すり上げられて今は打ち刀に分類されています。
信長が光忠が大好きで収集していました。
光忠の子が、大般若長光とか数々の名刀を世に送り出した長光です。

燭台切の由来は、伊達政宗が言うこと聞かない小姓を燭台ごと斬ったから。おいおい。

惜しむらくはこの刀、1923年の関東大震災の時火災に遭ってしまったことだ。

高温で焼かれたため、刃紋は焼失してしまった。
残念ながら、美術品的価値はない。
金のハバキが溶けて刀身に付着した。

燭台切だけでなく、この日展示の、細川幽斎の刀だった児手柏(このてがしわ)も刀身が焼けている。




水戸徳川家の刀剣類は水戸屋敷の武器庫に保管されていて、関東大震災の時、小梅御殿は焼けても、武器庫は焼けずに残っていた。
武器庫は密閉された造りで、それが逆に中に一酸化炭素を充満させた状態となった。
極めて高温で燃えやすくなっていたが、土蔵は酸素が供給されないため、開けなければ燃えない。
内部温度が下がった時に開ければ良かったが、名刀の数々を確認するため開け、爆発して焼けてしまった。

水戸徳川家の歴史もそれなりに史料を読み込んでいるが、やはり震災で焼けたのは返すがえす残念。
燭台切の刀身が直刀に近くなっているのは、おそらく火災に遭ったからからだろう。
刀は、作刀時、水に浸けてそりが生まれるが、熱が加わる伸びてしまう。


刀を見に行くと、先々で出逢うゲームファンに話しかけてみる。
皆様良く勉強されているし、実に親切。
名刀鑑賞会にふさわしく、良かった。

【2017.03.12 Sunday 11:55】 author : いづな薫 
| 刀剣 | comments(0) | trackbacks(0)|
豊後行平(ぶんごのくにゆきひら) 太刀 拵(こしらえ)


謙信公の太刀、豊後行平(ぶんごのくにゆきひら)を見に静岡県三島市の佐野美術館にやって参りました。

撮影は出来ませんので、外に貼ってあるポスターです。
そのポスターになっているのが、豊後国行平(ぶんごのくにゆきひら)の刀身と拵(こしらえ・鞘とか柄とか)です。
黒漆の鞘(さや)に25cmくらいの大きな銀製の三日月が切金で描かれているのです。
赤銅製の金具に秋草(桔梗か?)が彫られて、風雅な秋の風景を、拵(こしらえ)の中に、巧みに配置しています。

柄巻きの紐は、金茶、深みのある黄色です。
これも、月が美しい頃の秋の色です。
柄巻きの紐は、謙信公好みの平巻きです。
これは当時のまま、巻き替えていないでしょう。
謙信公のグリップすら感じます。
室町以前の拵(こしらえ)は現存数が少なく大変貴重です。


正式名称は、秋草文黒漆太刀拵(こしらえ)、中身は、
銘豊後国行平
(あきくさもんくろうるしたち めいぶんごのくにゆきひら)。

刀身は豊後国行平の作刀、総長122cm、小板目、直刃の刃文があります。


柄にある小指の先ほどの目貫(めぬき)は、果物の枇杷(びわ)が彫金してあります。
解説プレートに、「琵琶」の目貫とあり、謙信公大好きな琵琶かなと思ったらやはり果物の枇杷(びわ)でした。
琵琶の上に、枇杷が載っているのか!?とか首をひねったり。
美術館の方を呼んで、お話したら早速誤字修正しますとのこと。

解説員Kさんと言う方と、謙信公の地元・新潟県上越市が買う謙信公の愛刀「山鳥毛」の話になりました。
何とこの美術館には、山鳥毛の写しがあるのです。
それが、本日の目当てのひとつ。
写しとは、レプリカのことですが写しだって600万円はする代物。
現物は3億2千万円ですが。
現代の刀工大野義光氏の作刀です。
国宝山鳥毛を再現して、世間をあっと言わせた名工です。

解説のKさん、相州伝がお好きで刀剣に詳しくお話が楽しかったです。
Kさんと私と、北海道からいらした歴史好き女性と女性3人で刀の話で盛り上がりました。
以前は、刀剣コーナーは男性ばかりでしたが、ゲームの影響もあり今や女性だらけです。

真田幸村が、大坂夏の陣の時、秀頼からもらった刀や妖刀村正、名刀正宗なども展示にあり楽しい鑑賞となりました。


車中でしたので写真は撮りませんでしたが、三島への途中、熱海の海が見えました。
熱海と言うだけあって、真冬でも青く明るい海です。


写真は、佐野美術館近くの三島大社。
ここにも昔、上杉太刀がありました。今、東京国立博物館蔵です。


【2017.02.11 Saturday 12:51】 author : いづな薫 
| 刀剣 | comments(4) | trackbacks(0)|
大包平、大般若長光など刀剣と信長陣羽織
先日見て参りました、東京国立博物館の名品たちです。

粟田口国吉 重要文化財 鎌倉時代
粟田口国吉(あわたぐちくによし) 重要文化財 鎌倉時代13世紀

刃長54cm 反り1.5
平造(ひらづくり)に短刀を大きくして反りをつけたような刀である。
号は、鳴狐(なるぎつね)、号の由来は謎である。出羽国秋元家に伝来。
山城国(現京都南部)の粟田口派(あわたぐちは)の国吉(くによし)は、氏(うじ)は藤原氏で左兵衛尉(さひょうえのじょう)と言った。
作風は、地金(じがね)がよくつみ小沸(こにえ)できの直刃(すぐは)の刃文を焼いたものとされる。
 
大包平(おおかねひら)
日本刀の最高傑作、奇跡のような名品である。
備前国の名刀工、包平(かねひら)作。平安時代12世紀、国宝。
長さ89.2cm 反り3.4cm 元幅3.7cm 先幅2.5cm 茎(なかご)の長さ23.3cm
元重ねが0.75cmと比較的薄いことから、これだけ長大な太刀でありながら軽い。
包平に”大”が付くのは、大きい、比べるもののない偉大な作品との意味もある。
鎬造り(しのぎづくり)が高く踏ん張りがある。
切先は締まり、見事なまでの猪首となっている。
小板目肌がつみ、地沸(じにえ)つき、地景(ちけい)しきりに交じる。
刀文は小乱れに足、葉(よう)入り、小沸(こにえ)つき、金筋入る。
備前池田家に伝わり、1967年、当時の文部省が6500万円で買い上げた。
魅入られてしまいそうな刀である。
その切っ先と、包平(かねひら)の名前が刻印された茎(なかご)。
通常、包平の作品は「包平」と二文字を切るが、この作品は、「備前国包平作」の銘が堂々と刻まれています。
歴史に残る、会心の一振り。


13代将軍足利義輝の所持した、大般若長光(だんはんにゃながみつ)。
当時から、600貫の途方もない値段がついた。
何で大般若かというと、大般若経が600巻であることからひっかけてついた名前。
さて、大般若長光を所持したことのある足利義輝は、めっぽう腕の立つ、剣豪将軍だった。もう少し詳しくご存知になりたい方はこちらへ。
戦国の梟雄松永久秀と三好義継軍団に斬り込まれ、収集した名刀をとっかえひっかえ斬りまくって、
自身も壮絶な討死。
そしてこの時、既に、大般若長光は彼の元にない。
魔性の名刀は、名将の間を渡り歩いた。
足利義輝→その家臣三好長慶→織田信長→徳川家康→奥平信昌(のぶまさ)→松平忠明に渡る。
松平忠明の、武蔵国忍藩(おしはん)が所蔵したまま、明治を迎えた。
石田正宗(いしだまさむね)
この刀は毛利若狭守から宇喜多秀家に渡り、秀家から石田三成へと贈られたと伝わる。
秀吉死後、石田三成が加藤清正、福島正則らに追われ宿敵徳川家康に庇護を求めた。
五奉行を辞退して佐和山城に蟄居謹慎することになり、道中同行してくれたのが家康次男の結城秀康。
そのお礼に、三成から結城秀康へ贈られた刀である。
切っ先から10cmくらいの所に傷がある。

 
獅子王(ししおう)
太刀 大和物 無銘 (号 獅子王)重要文化財
刃長77.5cm 反り3.0cm
源頼政(みなもとのよりまさ)が鵺(ぬえ)を退治して、天皇から賜ったと言う太刀である。
鎬(しのぎ)が高く、かます鋒(かますきっさき、刀の切っ先の一種)で腰反りが高く細身である。
鍛(きたえ)は板目で刃文は匂口のしまった直刃。
平安時代後期の古風な姿である。
獅子王の拵(こしらえ)
陣羽織 黒鳥毛揚羽蝶模様
伝・織田信長の陣羽織 溝口家に伝来
丈102.5_肩幅48.0cm
黒い部分と白い部分は、鳥の羽で出来ている。

【2015.01.31 Saturday 08:25】 author : いづな薫 
| 刀剣 | comments(2) | trackbacks(0)|
へし切長谷部
軍師官兵衛で、名刀「へし切長谷部」が出て来たので、書きたい。

刀 金象嵌銘長谷部国重本阿花押(名物へし切)黒田筑前守 きんぞうがん めい はせべくにしげ ほんあ 
かおう (めいぶつへしぎり) くろだちくぜんのかみ

南北朝時代  国宝  福岡市博物館
作者は、名工五郎入道正宗十哲の一人、長谷部国重と伝わる。相模国鎌倉に住んだ刀工である。
現存する長谷部一派の作の中でも、有銘無銘あわせて比べるもののない傑作。
この一刀があればこそ、国重の評価は高い。

刃長 64.84cm 反り1.0cm 、元幅3.0cm 先幅2.5cm 鋒長5.9cm 茎長16.7
この刀、もとは大太刀であったものを刀に仕立直している。

鎬(しのぎ)造り、庵棟(いおりむね)、身幅広く重ねややうすく、反り浅く、 大切先(きっさき)
鍛(きたえ)小板目肌よく約り、地沸つく、地景入る
刀文互の目、小湾を基調とした皆焼(ひたつら)、匂口冴え、小沸つく。帽子乱れ込んで丸く返る。 
茎(なかご)大磨上(おおすりあげ)、先刃上栗尻、鑢目(やすりめ)は切、目釘穴四(うち三埋 )
銘 無銘、金象嵌表「黒田筑前守」 裏「長谷部国重本阿(光徳の花押)

佩表に金象嵌で長谷部国重、本阿(花押)とある。
本阿とは、当代随一の刀剣鑑識家・本阿弥光徳。(ほんあみこうとく、光悦の従兄弟)
裏には、黒田筑前守とあり。
黒田筑前守とは、官兵衛の子・長政のことである。
筑前守になったのは、慶長8年3月のことであるから、この刀が象嵌されたのはそれ以降である。

安土桃山時代、信長の愛刀になった。
信長に非礼を働いた茶坊主が棚の下に逃げ込み、この刀で棚ごと圧し切ったら(押し当てて切ったら)、棚も坊主も斬れたと言うもの。
圧し(へし)切ったことから、「へし切」の名がついた。
信長から官兵衛に与えられたとも、信長→秀吉→長政と渡ったとも言われている。

【2014.02.27 Thursday 11:15】 author : いづな薫 
| 刀剣 | comments(0) | trackbacks(0)|
名刀鑑賞 「太刀 獅子王」
太刀 大和物 無銘 (号 獅子王)
刃長77.5cm 反り3.0cm
重要文化財

源頼政が鵺を退治して、天皇から賜ったと言う太刀である。
鎬(しのぎ)が高く、かます鋒(かますきっさき、刀の切っ先の一種)で腰反りが高く細身である。
鍛(きたえ)は板目で刃文は匂口のしまった直刃。
平安時代後期の古風な姿である。
東京国立博物館蔵、今夏公開されていたが、今は非公開。

【2013.12.02 Monday 08:36】 author : いづな薫 
| 刀剣 | comments(2) | trackbacks(0)|
国宝・岡田切(おかだぎり)
 

国宝 太刀 福岡一文字吉房(ふくおかいちもんじよしふさ) 号 岡田切(おかだぎり)
13世紀 鎌倉時代
刃長69.1cm 反り2.1cm

作者の吉房(よしふさ)は鎌倉時代中期、備前国(岡山県)福岡一文字派(ふくおかいちもんじは)の刀工である。
岡田切と呼ばれるこの太刀は、天正12年(1584)小牧長久手の戦いの時、織田信雄が、秀吉に内通したと疑った
自分の家臣・岡田三郎重孝を切ったことから付いた。
姿は豪壮で、見事な丁子文が散らばる刃文が特徴である。
反りがやや高く、身幅広く、吉房の作品の中でも最も華やかな代表作である。


吉房の銘がくっきりと入る。
東京国立博物館にて、12月1日まで公開。

【2013.11.04 Monday 08:42】 author : いづな薫 
| 刀剣 | comments(2) | trackbacks(0)|
国宝 童子切安綱(どうじぎりやすつな)


 天下の五剣の1つ、伯耆安綱(名物 童子切安綱)。
国宝、平安時代。10〜11世紀
刃長80cm 反り2.7cm
足利将軍家、徳川将軍家、越前松平家、津山松平家に伝来した。
江戸時代、お城勤務の武士は70cm前後を佩刀したことから考えると、はるかに長い太刀である。
平安時代を代表する名工、大原安綱(やすつな)の作。
凶族退治が鬼退治の伝説と結びつき、昔話にある大江山の鬼退治で、酒天童子の首を討ったとされる太刀である。

その、美しくまがまがしいまでの輝き。

名工・大原安綱(やすつな)の銘がくっきりと。
鬼を討ちに大江山に行ったのは源頼光。
清和天皇の血を引く、源氏武士団のトップである。
四天王と呼ばれた渡辺綱、坂田金時、平貞道、平季武(すえたけ)更には藤原保昌、一族郎党を引き連れ大江山に向かったと説話にある。
大原安綱は個人名が確認できる、日本最古の刀工である。
童子切安綱は、細見で反り高く、小鋒の優美な姿で、刀身の地肌が荒く大きくループ状にうねる大板目肌。
上品で華やかで、武器として強さを兼ね備えた剛剣である。
江戸時代元禄年間(1700年前後)に、試し切りされた記録がある。
試し切りは、藁や竹を斬るのではなく、罪人の死体を重ねて斬る。
6体重ねて、土壇(どだん、台)まで届いたというから、尋常な刀ではない。

凄まじい切れ味と、不吉なまでの美しさ、鬼の首を討ち取った伝説がこの太刀に封印されている。
まさに、1000年もの間。

皆さまも、ぜひご覧あれ。
東京国立博物館で、2013年12月1日まで公開。

【2013.10.30 Wednesday 09:04】 author : いづな薫 
| 刀剣 | comments(2) | trackbacks(0)|
名刀工・天田昭次氏ご逝去
天田氏は、昭和2年に新潟県本田村(現、新発田市)に刀匠天田貞吉氏の長男として生まれる。
小学校卒業と同時に、刀剣界の最高実力者栗原彦三郎師の日本刀鍛錬伝習所に入門。
伝習所は栗原氏の自宅敷地内にあり、場所は東京都港区赤坂氷川町である。実はここ勝海舟邸跡。
私は、パンを買うためこのあたりを歩くが勝海舟邸址、乃木希典邸、高橋是清邸址などがあり楽しい。

天田氏は7年間修行の後、
昭和26年、サンフランシスコ講和条約記念刀を作刀第一号として製作。
当時、戦後中断していた刀鍛冶を復活させようと運動が起きる。
主催者は、天田氏の師匠でもあった栗原彦三郎氏。刀匠でありジャーナリストであり、元衆議院議員でもあった。
GHQの要人に刀剣が贈られ、その美術品としての価値を見出させようとする。
そして、サンフランシスコ条約締結を記念して、日本刀300振りを製作が計画されるが、栗原氏が亡くなり途中で頓挫する。

昭和30年第1回作刀技術発表会に出品し、優秀賞。
その後、天田氏は現状の作刀に疑問を感じ、自家製鉄の研究に入る。

700年も前の「相州正宗」再現に成功する。
700年前、鎌倉・南北朝時代の刀剣とは実益と芸術性を兼ね備えた、豪壮な刀剣である。
天田氏は鎌倉時代後期の相州伝の伝承に努め、刃文や移りに研究を重ね地鉄の重要性を確認する。
自家製鉄による鉄を用い優れた地鉄作りに努力した。

以後、刀剣界の最高賞、正宗賞を3度も受け、平成7年には人間国宝に指定された名工である。

当ブログ読者さまたちは刀剣愛好家が多く、天田先生のお仕事場にご実家が近い方までいらっしゃいます。
皆様と共に、ご冥福をお祈り申し上げたいと思います。

【2013.06.27 Thursday 19:36】 author : いづな薫 
| 刀剣 | comments(2) | trackbacks(0)|
大包平(おおかねひら)

日本刀の最高傑作、大包平(おおかねひら)が公開中なので、東京国立博物館で見て来た。
奇跡のような名品である。
作者は備前国の名刀工、包平(かねひら)。平安時代12世紀、国宝。

包平に”大”が付くのは、大きいからと言う意味と、比類なき偉大な作品との意味もある。
長さ89.2cm 反り3.4cm 元幅3.7cm 先幅2.5cm 茎(なかご)の長さ23.3cm
元重ねが0.75cmと比較的薄いことから、これだけ長大な太刀でありながら軽い。
鎬造り(しのぎづくり)が高く踏ん張りがある。
切先は締まり、見事なまでの猪首となっている。
小板目肌がつみ、地沸(じにえ)つき、地景(ちけい)しきりに交じる。
刀文は小乱れに足、葉(よう)入り、小沸(こにえ)つき、金筋入る。

備前池田家に伝わったが、1967年、当時の文部省が6500万円で買い上げた。
大包平も、名刀の産地、備前で生まれた。
大包平の周りには、見学する方がいっぱい。
うっとりと、長時間眺め続けている若者も。
価値を分かる方が沢山いらして、嬉しい限りである。

800年以上前に作刀されたが、今も魅入られてしまいそうな輝きを放っている。


通常、包平の作品は「包平」と二文字を切るが、この作品は、「備前国包平作」の銘が堂々と刻まれています。
歴史に残る、会心の一振り。


こちらは、上杉謙信公の太刀。
黒韋包金桐紋糸巻太刀(くろかわづつみきんきりもんのいとまきのたち) 


豪壮華麗な太刀である。
お屋形さま好みの平巻き、紫糸と打刀用であったらしき古鍔(こつば)に分厚く金を載せている。
現在刀身はなく、拵えが重要文化財。
総長102.7cm。
目貫、縁、大切羽はなんと純金、その他の金具も厚く金がほどこしてある。大変重量感がある拵えである。
この豪華な拵えは黄金太刀といわれる品であり、将軍しか佩用が許されなかった。
もしかしたら、将軍家から贈られたのかもしれない。


前にもご紹介したが、輝虎(謙信公)永禄8年(1556)安房の里見氏に宛てた書状。
里美氏の重臣正木時忠が北条氏に寝返る。
上杉氏は北条氏と敵対しているため、里美氏救援に自ら出陣すると告げている。
実際次の年、謙信公は里美氏救援のため安房に向かっている。


千利休作、竹一重切花入(たけいちじゅうきりはないれ) 銘 園城寺
1590年秀吉の小田原遠征の際、製作された品と言われる。
江戸時代の茶人として名高い、松江藩7代藩主松平不昧(ふまい)に伝えられた。


博物館を出て来たら、なっなんと、龍と毘の旗がはためいている。
むむむ・・・ここは21世紀、東京(上野)のはず。
上野公園で、長岡・佐渡フェアでした。

本物の刀鍛冶を実践中。

栃尾のあぶらげんしん君も登場。あぶらげですが、刀と龍と毘の旗指物が付属している。草履はいているし。
私は、新潟特産のいり豆、イカなどを買い物いたし候。

【2013.05.19 Sunday 16:47】 author : いづな薫 
| 刀剣 | comments(2) | trackbacks(0)|
塚原卜伝感想 最終回
 「塚原卜伝」が終わってしまった。
主君鹿島氏のもとで、勢力を拡大する玉造常陸之介を、「言葉に理がある、しかし義がない。信義がなければ人は付いて来ぬ。」と分析する塚原新右衛門。
彼は、群雄割拠の戦国時代にあって、剣術修行、神に仕え、義に生きる。

将軍や有力大名のもとで剣術を教えることにより、世の中の流れにも敏く、中央政治とも係わっている。
これ、時代物ドラマとして大事。
八重の桜は、主人公が女性であり政治に係わるのが難しく、かつドラマ舞台が今の所、都から遠い。
主人公より、周りの政治動静の方が面白い。

塚原新右衛門の先生、松本備前守が良い。
松本備前守は、新右衛門の実父・卜部覚賢(うらべあきかた)と、城主鹿島氏の隠居を促すクーデターを計画する。
それを、打ち明けられた新右衛門は、クーデターに反対する。
しかし、剣の師匠松本備前守は「計画を知って反対し、鹿島を出られると思うか。」と言う。
備前守は、愛弟子を我が手にかける事を決断する。
師・松本備前守と塚原新右衛門の立ち合いとなる。
一瞬の隙もない備前守だが、勝負は弟子の新右衛門が勝った。

松本備前守は、師を越えるほど成長した新右衛門を褒め、鹿島の剣を広めるため「鹿島を出でよ。」と言う。
元服したばかりの若き日、修行に出たいと言う新右衛門を、松本備前守は周囲の反対の中、”同じ言葉”で後押ししてくれた。
卜伝には、実父と養父のふたりの父がいるが、3人目の父とも言える人物である。

「鹿島は戦になるかもしれないが、巻き込まれてはならぬ。旅先で異変を聞いてもけっして戻って来てはならぬ。」と、
松本備前守は新右衛門を諭す。
 新右衛門は、神官でもあり亀の甲羅を焼いて占う「亀卜・きぼく」から名を取って、「卜伝」と名を改める。
松本備前守は2年後の戦で戦死するが、卜伝となった新右衛門は言いつけ通り帰国はしなかった。

神に仕える塚原卜伝と真尋(まひろ)兄妹。兄を行く末を占い支え続ける妹、真尋(まひろ)。
真尋の子役時代が餡ぱんみたいで可愛い。笑)
厳しい修行と家族の慈しみのある、人間関係が良かった。

強きものこそ、高潔な精神が必要である。
そう、再認識させていただいた作品である。

【2013.03.08 Friday 08:49】 author : いづな薫 
| 刀剣 | comments(0) | trackbacks(0)|
過去のページへ

戦国カフェオリジナルグッズショップです。 戦国カフェオリジナルグッズショップへ
    いづなへメール

 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、サッカー日本代表、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

   当サイトは、コピー、転載、ダウンロード、直リンク、持ち出しは禁止です。
◆ 著作権はすべて、
いづな薫に属します。
 過去のページへ


   にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
   にほんブログ村。
   ランキングはお休み中