大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
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戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
三日月宗近と堀川国広


東京国立博物館で名刀を見て参りました。
天下五剣の名刀、三日月宗近。1000年くらい前に作成された刀ですが、足利将軍家や、北政所ねねなどが所持した大変美しい刀。
見学者でいっぱいでした。国宝です。




こちらは堀川国広の1577年作刀の品。
堀川国広は、九州宮崎の戦国大名伊東氏の家臣です。
殿様の孫の教育係でした。
城勤めをしていたある日、堀川国広のいる城に、薩摩の島津氏が攻めて来ます。
城は落城。
堀川国広は、養育している若君を背負って矢玉飛んで来る中、城を落ちます。
若君の実父は戦死、城もなくなると言うとんでもない状況でした。
避難先の臼杵城で、若君の母親が再婚しますが、子供の若君を引き取りません。
若君はおもり役の堀川国広に育てられます。
しかも、放浪生活を余儀なくされるのです。
堀川国広は、伊東氏の家臣であったとともに山伏であり刀工でもありました。
そんな、中作られたのがこの刀剣です。
鮮やかすぎるほどぎらっとした、一度見たら忘れられない刃文が、この時代の堀川国広です。
この若君、堀川国広の教育のかいあってか、なんとのちに天正遣欧少年使節の伊東マンショになります。

いづな、しばらくカナダに転勤になります。
日本での仕事もあるので頻繁に戻って来る予定です。
衆議院選挙が年内か、来年オリンピック後にありそうです。
その時は、休暇を使って戻って来ます。山本太郎さん&れいわの選挙ボランティアをします。

【2019.08.29 Thursday 09:33】 author : いづな薫 
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白山吉光
金沢の石川県立美術館で、国宝『白山吉光』を見て参りました。
展示は、2019/6/14〜7/22の「名刀と刀絵図」の間と、2019/10/12〜11/17の「石川の文化財」の期間です。
「石川の文化財」では白山比弯声辧覆靴蕕笋泙劼瓩犬鵑犬磧暴蠡△僚斗彿顕什 太刀『備前国長船住長光』も展示されます。

私が行ったのはもちろん「名刀と刀絵図」の方で、本阿弥光徳の刀絵図が公開されていました。19mもある長大なものです。

さてこの、国宝『白山吉光』残念ながら載せていい写真がないので、石川県立美術館のサイトでご覧ください。
鎌倉時代に、短刀の名手粟田口吉光が作ったものです。
剣 七寸五分六厘(22.9cm) 鎌倉時代

両方に刃が付いた両鎬(りょうしのぎ)造りで、非常に優美で品位があります。小ぶりな剣です。

白山吉光は、徳川家光の養女阿智子(水戸黄門の姉、清泰院)が、加賀藩3代藩主になる前田光高に輿入れした時、持って行った剣です。
阿智子(清泰院)は、11歳で前田光高に嫁いで、17歳で長男が生まれた。
子供が生まれたのがうれしくって、父親の光高は江戸で生まれた子供に会うため471kmの参勤交代の道のりをわずか6泊7日で駆け付ける。高速参勤交代。
しかし、2年後光高が茶会の席で急に倒れて死去。享年30歳。30歳が急死って。
妻の阿智子(清泰院)も、11年後の1656年に亡くなりました。同じく享年30歳。

その翌年、息子の加賀藩4代藩主綱紀(15歳)が、母の冥福を祈って白山比弯声辧覆靴蕕笋泙劼瓩犬鵑犬磧砲法愬鮖概噺』を奉納し、こんにちに伝わっています。

今日は、刀の話で始めたけど、みんな若い。昔の人は、生き急がないと人生終わってしまう…。

【2019.07.11 Thursday 09:51】 author : いづな薫 
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太刀 延吉(のぶよし)


太刀 銘 延吉(のぶよし) 国宝

これを見ていた時、よそのおじ様2人連れが、

「これなんて読むんだ?」

「えんきちだよ、えんきち。」

「そうか、えんきちか」

「ちがうよ、おじちゃん。」とは言わなかったいづな。
黙って聞いていて、「いんちき」みたいで必死に笑いをこらえていました。

正しくは、「のぶよし」です。

で、延吉(のぶよし)って何かというと、造った刀工の名前です。
大和国吉野村龍門ってところに、千手院と言う刀工グループが住んでいました。
そのグループのひとりが、延吉(のぶよし)ね。

姿よく地刃の出来は穏やかで、延吉(のぶよし)の作品の中でも特に秀作。
後水尾天皇の佩刀と伝えられています。
拵および金襴の袋も、同天皇時代の品です。

【2019.03.01 Friday 17:11】 author : いづな薫 
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佐野美術館で刀剣鑑賞


静岡県三島市の佐野美術館に、刀剣鑑賞に行って参りました。
三島市は、東京よりだいぶ暖かく春のようでした。
ちょうど梅が満開で、美術館の庭内に典雅な香りが漂っていました。



大坂城落城や本能寺の変、明暦の大火、関東大震災など戦乱や天災で焼かれた刀剣を後世の刀工が焼き直したものの展示です。
1560年、織田信長が桶狭間の戦いで、今川義元を討ち取った際、分捕った刀もあります。

名刀は、神様として扱われたりや権力のシンボルとなりました。
戦乱天災で焼かれた名刀を、刀工たちが再刃して蘇らせてきました。
いつ焼き直されたか不明のもの、または越前康継が再刃したものなどあります。

越前康継は、徳川家康から一字もらった家康のお抱え刀工です。


【2019.02.16 Saturday 16:36】 author : いづな薫 
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太鼓鐘貞宗



短刀 無銘 貞宗(さだむね)

 個人蔵 重要文化財
名物 太鼓鐘貞宗(たいこがねさだむね)と言われる名刀です。
刀工銘が貞宗で、お父さんはかの有名な正宗です。
この刀は、伊達家に伝来したもので、刀剣乱舞ではおなじみですね。


なんで、太鼓鐘と言うかと申しますと、堺の太鼓鐘という名前の商人が持っていたからとされています。
毛利秀包(ひでかね)と言う、戦国時代〜安土桃山時代に生きた戦国武将が手に入れ、徳川家康に贈りました。
家康没後、家康の10男頼宣が相続しています。
頼宣から、兄の2代将軍徳川秀忠に贈られました。

徳川秀忠には、姪で養女になった振姫と言う人がいます。
この方が仙台藩2代藩主伊達忠宗と結婚しました。
忠宗は、政宗の息子です。
で、夫の忠宗にプレゼントしたわけです。

【2019.02.06 Wednesday 16:42】 author : いづな薫 
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無銘 志津


刀 無銘 志津 名物分部志津(わけべしづ) 南北朝時代 個人蔵

重要文化財です。
紀州徳川家伝来
ご覧下さい、この刃文。 スマホのカメラで撮ってもこの見事さです。

造った刀工は志津三郎兼氏。
分部と言うのは、伊勢国奄芸郡上野(いせのくにあんきぐんこうずけ・三重県津市)の城主:分部光嘉(わけべみつよし)が持っていたことからつけられています。
関ヶ原の戦いの時、分部光嘉(わけべみつよし)は、東軍側の武将で、家康の会津上杉征伐に加わっていました。
そこへ、西軍挙兵の一報が入り、現在の三重県まで帰国。
居城の上野城を棄て、軍勢を率いて安濃津城に入城し、そこの殿様・富田 信高(とみた のぶたか)共に城を守ります。
でも、1700人しか軍勢がいなかったため、高野山に避難しました。
西軍と戦ったので、家康に所領は安堵され、その時この刀を献上したと思われます。

家康から、息子の紀州頼宣がもらって、それ以来紀州家に伝来しました。
戦後、紀州徳川家を出て、現在、重要文化財です。

【2019.02.04 Monday 16:55】 author : いづな薫 
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福岡一文字


太刀 無銘 一文字
鎌倉時代前期 重要文化財 刀剣博物館蔵

福岡一文字派の豪華な丁子刃の太刀である。
鎌倉時代より備前を中心に丁子刃の刀剣が盛んに造られている。
中でも最も華やかな刃文を焼くのが福岡一文字派である。

【2019.02.02 Saturday 10:30】 author : いづな薫 
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長船与三左衛門尉祐定


刀 重要美術品。刀剣博物館所蔵
銘「備前国住長船与三左衛門尉祐定作/天文二二年二月吉日」長2尺3寸2分。
室町時代末期 1535年

銘にある天文二二年は、「四年」のこと。
四が、死につながり忌み嫌う。
刀に製造年が刻まれることがあるが、圧倒的に多いのが2月と8月である。
現在の3月と8月にあたり、お彼岸の頃である。
暑さ寒さが終わり、水が刀造りにちょうどいい頃である。
この時期に作っていなくても、二月八月で刻んでいるものも多い。

【2019.01.31 Thursday 10:41】 author : いづな薫 
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正宗 朱銘


短刀 正宗 朱銘 刀剣博物館 重要美術品
鎌倉時代末期

朱銘(しゅめい)とは何か。

刀には誰が作ったと銘が入ったものと入っていないものがあります。
入っていない無銘物を鑑定することを、「極め」と言います。
その極めを朱漆で書いたものを朱銘というのです。
上の刀は正宗です。
正宗は在銘のものがとても少なく、この刀は正宗と鑑定された後、朱銘が入れられました。

刀鑑定家で有名なのが、本阿弥家です。
本阿弥家とは、室町時代に足利将軍家に仕えた研ぎ師の家柄です。
本阿弥家は、研師の一族です。
最初の人は妙本という方です。
代々研ぎ師をしていて、たくさん刀を目にしていて知識もあったので、鑑定を行うようになりました。
本阿弥家10代目に光室と言う人がいます。
この人が、刀を鑑定して価値を書き記した証明書みたいなものを発行しだしたのです。
これを「折紙」と言います。

「折り紙付き」の語源になります。
本阿弥家は親せきがいっぱいいて、多い時は13ファミリーあったそうです。
彼らが毎月3日になると、集まって、鑑定した刀の折り紙を発行したのです。
本阿弥家で有名なのは9代光徳です。なぜなら、秀吉、家康と年代が重なり彼らに重用されたからです。 ちなみに、芸術家の本阿弥光悦は9代光徳のいとこです。

9代光徳は折り紙を残してはいません。
しかし、9代光徳が鑑定したものに、埋忠(うめただ)家が金象嵌した刀で有名なものがかなりあります。
名物稲葉江、国宝へし切長谷部もそうです。
埋忠(うめただ)家とは、名刀工・埋忠明寿(うめただみょうじゅ)を生んだ家です。
彼らは、京都西陣に住む金属を細工する金工業の家柄です。
埋忠明寿(うめただみょうじゅ)も元甲冑師です。明寿は三条小鍛冶宗近の末裔だと名乗っていたそうです。

鑑定の精度で言えば精度高いのは、10代本阿弥光室、11代光温、12代光常、13代光忠が発行した「折紙」とされています。

【2019.01.29 Tuesday 10:49】 author : いづな薫 
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小龍景光


特に説明もいらない、超有名な刀。女子たちの間ではすごい人気です。
小龍景光。東京国立博物館
長船景光作 14世紀 国宝
楠木正成が佩刀したことでも有名。

直刃に逆足の入った刃文で、景光の傑作。
表裏に棒樋が入り、表に倶利伽羅龍、裏に梵字が彫刻される。
小龍の名前は、この龍の彫刻から。

【2018.12.15 Saturday 09:35】 author : いづな薫 
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