大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
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戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
西郷どん「新しき藩主」
島津親子のロシアンルーレット、これはもちろん創作である。

今回、切腹を命じられた赤山靱負(あかやま ゆきえ)は、島津家の親戚である。
しかも、本家島津家に継ぐ家格である。

西郷隆盛の父・吉兵衛が、赤山の介錯をしていたが実際は剣の達人加藤親平と言う人物が担った。
赤山靱負の血の付いた肌着を、西郷吉兵衛が家に持ち帰り、息子の西郷吉之助に多大な影響を与えたことは真実である。

赤山靱負(あかやま ゆきえ)の父久風は、藩主島津斉興に仕えた人物である。
父久風は、当然斉興派だが、息子の靱負は斉彬についた。

靱負は斉彬派の藩士たちとともに、斉彬を藩主にすべく運動する。
一方、斉興派も久光を藩主にすべく動きだす。
斉彬派が、斉興派家老調所広郷(ずしょひろさと)を自殺においこんだのが、前回である。

島津斉興はこれを知り激怒。
斉彬派の藩士を13人切腹、遠島に処した。
これが、赤山靱負(あかやま ゆきえ)や大久保正助(利通)の父・利世
である。

赤山家の御用人をしていたのが、西郷の父で、吉之助にとって、赤山靱負(あかやま ゆきえ)は師であり兄のような存在である。
赤山靱負(あかやま ゆきえ)は西郷吉之助より4歳年上で27歳で自宅で切腹して果てた。

西郷吉之助は、父から赤山の血の付いた肌着を受け取り号泣したと言われている。
犠牲を払い誕生したのが、藩主島津斉彬。吉之助らの待望の藩主である。
鎌倉時代から続いた島津氏28代め当主、藩主として11代めである。

幕府から茶道具渡されると、隠居勧告。
斉興が今回渡されていた。
あの茶道具は、茶入れで朱衣肩衝(あけのころもかたつき)である。
赤っぽい飴色で、僧侶の衣に似たことからこの名前がある。
千利休の師、武野紹鴎が所有し、後に徳川家康が持ち紀州徳川家に渡り、再び徳川宗家に戻った。

茶入れは、濃茶を入れておく容器である。濃茶は一服の茶を皆で回し飲みする。
薄茶は棗(なつめ)に入れる。
茶入れの蓋の内側には金が貼られている。
毒を感知するためである。


【2018.01.31 Wednesday 10:30】 author : いづな薫 
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西郷どん「子どもは国の宝」
島津家でお由羅騒動が 始まっている。
お由羅とは、島津斉彬の父、斉興の側室である。
江戸の町人出身の女性である。
薩摩屋敷に奉公にあがり、斉興の目に留まり側室になった。
江戸には、斉彬の母で斉興の正室の周子(かねこ)がいるので、薩摩に連れて行った。
別名、御国御前(おくにごぜん、国許薩摩にいる夫人)と呼ばれた。
斉彬の母周子(かねこ)は33歳の若さで亡くなったため、お由羅が正室のような扱いを受けるようになる。
薩摩藩内には、世継ぎの斉彬を押す勢力と、お由羅の子久光を押す勢力が争っていた。

斉興は、世継ぎの斉彬ではなく、側室の子久光を藩主にしようとした所から争いが始まった。
斉彬は、藩政を傾けたひいおじいさん、薩摩藩8代藩主重豪(しげひで)の影響を強く受け、蘭学に傾倒し、アルファベットを練習したりしていた。
重豪(しげひで)は、学問所を創設し、武士のみならず、農民町人にも学問の機会を与えた。
農業や、天文学、医学など学問を大いに奨励し、文化、教育振興に尽くした人である。
が、これには、多額の藩の金を使い込んでいたのである。

文教に金を使う間にも、桜島が噴火したり、江戸薩摩藩邸が火災に遭ったりして、災害のためにも大いに金を使った。
借金額は500万両で、今の金で1兆2500億円にも上った。
斉彬は、学問好きで藩政を傾けた重豪(しげひで)に似ている。
斉興はそう警戒したのである。
お由羅の子久光を藩主にと思ったが、事件が起こった。

斉彬が、親しい関係にあった幕府老中・阿部正弘らと協力し、薩摩藩の密貿易を幕府に告発する。
父斉興、家老調所らの失脚を図ったのである。
密貿易は、公然の秘密だったが、露見した以上は処分は免れられない。
斉興派の家臣で500万両もの借金を返した家老調所広郷が、自殺に追い込まれた。

一方斉彬の方も不幸が続いた。
4人の側室がいたが、男子は生まれてもことごとく夭折した。
女子だけ3人が育った。
子供がどんどん死んだので、「お由羅の呪いか?」なんて囁かれるようになったのである。

斉彬派は、お由羅と久光暗殺計画を立てた。
しかし、これが斉興に事前に露見してしまう。
斉彬派の家臣たちは、13人が切腹、他約50名が遠島・謹慎となった。
西郷どんが師と慕った赤山靭負(ゆきえ)にも切腹の沙汰が下ったのである。
次回、西郷父が介錯。
赤山の死は西郷に強い影響を与えている。

斉彬派の家臣のうち4人は脱藩し、斉興の叔父にあたる筑前福岡藩主・黒田斉溥のもとに逃げ込んでいる。
斉溥が幕府に訴え、幕府がお由羅騒動の仲介をすることになった。
幕府老中・阿部正弘、越前福井藩主・松平慶永伊予宇和島藩主・伊達宗城がその任に当たっている。
その結果、斉彬が第11代藩主になったのである。

感想
今回のタイトル、「子供は国の宝」。
まーた安倍御用のNHKがしらじらしいことを。


【2018.01.24 Wednesday 21:05】 author : いづな薫 
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西郷どん「立派なお侍」
米国映画「ラストサムライ」モデルは、西郷隆盛である。
内村鑑三の「代表的日本人」では、西郷は最高の武士、最後の武士として書かれている。
「代表的日本人」は、日本が海外交流が盛んになり始めた19世紀末、キリスト教指導者内村鑑三が日本の偉人たちを世界に紹介しようと英語で書いたものである。

今回は西郷は立派なお侍だけれども、まだ無力だったと言うお話。
薩摩藩は、武士が、25〜30%もいる。
全国平均で、5%くらいである。
江戸時代、それしか武士はいない。ちなみに百姓は85%。
侍ジャパンなんて、うそ。”百姓ジャパン”である。

若干侍ジャパンに近い薩摩は、全国平均の5倍もの侍がいる。
半農の武士もいたが、基本武士は、農業を専業とする人々ではない。
薩摩は軍事大国なのである。
西郷らの時代の260年前、島津は関が原で家康の陣の前を突破して伊勢へ退き、国許まで逃げ切り、そのまま薩摩に立てこもったのである。
家康が島津を潰そうものなら、”島津は海賊になって徳川の船をすべて沈めるぞ!”くらいの勢いである。
将軍のいる江戸から遠く離れて、薩摩藩は江戸時代、独立国の様相を呈していた。
よそ者が入ってくれば、すぐにわかるように薩摩は独特の方言を使う。
薩摩に入り込んだ間者は、帰って来ないので、「薩摩飛脚」の語源になった。

とは言え、薩摩は莫大な借金に苦しむことになる。
島津氏第25代当主で、薩摩藩の第8代藩主に島津重豪(しげひで)と言う人物がいる。
この重豪が、大の蘭学好きで長崎のオランダ船に乗ったり、オランダ語勉強したりした。
医学、天文学、暦学など藩士の教育にも熱心だった。
安永元年(1771年)には藩校・造士館を、設立。
武芸を奨励するため演武館も作った。
重豪が偉いのは、学問所を武士だけの教育の場とせず、百姓町人にも門戸を開いたことである。

ただ、これには莫大な費用がかかった。
島津の財政を傾けた政策は、重豪の晩年、経済に明るい調所広郷を重用することで方針転換した。
借金額500万両。
今で言えば、1兆2500億円に相当する。
借金返済したのは、重豪の孫斉興(なりおき)の頃である。
ドラマにはお爺さんになった調所広郷が出ていた。
彼も元は下級武士である。

さて、蘭学かぶれの重豪の影響を受けたのが、ひ孫の斉彬である。
聡明で性格も良かったひ孫の斉彬を重豪は、大変可愛がっている。
風呂も一緒だったと言う。

さて、島津斉彬は藩主となり西郷隆盛を重用する。
「西郷は独立の気象あるがゆえに、彼を使う者は私ならではあるまじく」と越前藩主松平春嶽(しゅんがく)に言っている。
「独特の気象」とは何か。
西郷の人を思いやる気持ちの深さを、島津斉彬は言っているのだと推測する。

「西郷は思いやりの気持ちが強すぎるから、彼を使うのは私でなくてはならない。」

西郷も島津斉彬も、一級の人物である。

感想。
いやはや、みんなすごい貧乏だ。
西郷家が貧乏だと思っていたら、ふきどんのうちは更に貧乏。
貧乏だけど、みな礼儀正しく、良い人ばかり。
大変なことがあっても礼儀正しく、良い人であれ?

国民から金取って政府の都合の良いことしか放送しないNHKのドラマなので、その点差し引いて見ている。

【2018.01.15 Monday 10:05】 author : いづな薫 
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西郷どん「薩摩のやっせんぼ」
書こうかどうしようか迷った、大河ドラマ「西郷どん」レビューだがとりあえず書く。

安倍御用のNHK大河で、「弱いものを守る」と主人公に言わせる茶番さにまず困惑した。
NHKは、今や生活保護費を削る安倍政権の広報にすぎない。
ドラマとして見ればいいじゃないの、と言う意見もあろう。
うーん、あいにく安倍政権とその広報機関になり下がったNHKにそこまで甘くはない。
受信料払って、安倍宣伝やられるのは困る。

私は、西郷も大久保も島津斉彬も、歴史上の人物としてはとても興味がある。
島津斉彬(なりあきら)、開明的で英邁をうたわれ、その人柄を春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)と評された人物である。
島津家は、鎌倉時代から薩摩にいる。
斉彬は、薩摩藩の第11代藩主で、島津氏としては第28代当主である。
「島津に暗君なし」と言われた中でも特に優秀。
渡辺謙氏演じる斉彬が格好いいとネットで沸いているが、いや歴史上人物の斉彬がかっこいいもの。笑
身分制度をものともせず、西郷の優秀さを見抜き、下級武士の西郷を側近にしたのも斉彬である。
西郷にとっては、殿様であり師であり、神様のような人であっただろう。

島津斉彬は43歳まで世継ぎだった。
藩主の座をめぐる争い(お由羅騒動)が起き、幕府仲裁による父斉興(なりおき)引退で斉彬はようやく藩主になった。
惜しいかな、50歳で急死してしまった。
1858年8月、鹿児島城下で練兵隊を観覧の最中に発病する。
8月24日逝去した。
死因は不明。毒殺説まである。

斉彬の実母は弥姫(いやひめ)、鳥取藩主池田治道の息女で、織田信長、徳川家康、伊達政宗の血をひく人物である。
島津斉彬もこの3人の子孫と言うことになる。
斉彬は、弥姫の長子である。
弥姫は、才女の誉れ高く、「左伝」「史記」「四書五経」をよくし漢文や和歌の作品を残していいる。
わが子に乳母を付けず、自ら養育、教育した。
これで出来上がったのが、名君斉彬である。
しかし、斉彬が16歳の時、34歳で逝去。

西郷が子供の喧嘩で、鞘が壊れて刀が当たり怪我をした。
薩摩拵えは、刀を抜かずに鞘ごと相手を叩き潰すように出来ている。
簡単に刀を抜いてはいけないと教育され、刀のつばと鞘が針金で固定されている。
普通、打刀は鞘から抜く時、鞘が刀にくっついて来ないように鞘の側面に栗型と言うフックがついている。
栗型を袴に引っ掛けておくのである。
薩摩拵えの栗型は、特殊でフック型ではない。
鞘ごとなら、抜けるように出来ている。
万が一、刀抜いたら必ず仕留めろ、そして自分も死をもって責任を取るのである。

今回のドラマでは、始めから終わりまでほとんどお菓子を食べるか食べないかで終始していた。
それだけ、食べることが大変な時代である。

安倍首相応援団の林真理子氏の原作だが、不倫だの書いていた作家だが、歴史小説はいかほどのものだろうか。
林氏の作品って、綺麗な服を着て、おしゃれな街に住み、不倫をする、電通あたりが作り上げたバブル期の消費型女性のイメージがある。
実際、ファッション誌コラムなどでよく林氏の文章を見かけた。
以前の林氏のコラム、美容だのダイエットに多額の金を使い、社会には貢献せず、学問もしないけど不倫には悩むみたいな、私はおよそ興味のない世界である。笑
ググったら最近はボランティア目覚めたそうだが。
向上心があれば、悩む時間すら惜しいだろう。
向上心だけあってもだめである。
人としての良心が不可欠である。

安倍応援団の林氏ですら、昨年あたりから右へ右へ寄る安倍をチクリと言っている。
大河原作に決まったのは、もちろんその前なのだろうけど。

【2018.01.10 Wednesday 20:26】 author : いづな薫 
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