大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 秀吉×景勝 in 落水 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
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秀吉×景勝 in 落水
VS


今日は、越前・落水城(勝山城)で秀吉と景勝が会った話に触れる。
このお話は、近年の研究では創作説が強いので、それを踏まえてお読み下さいませ。

 天正13年8月、秀吉は、わずかなお供を連れて、越後領内の落水城に現れる。
 落水城主・須賀盛能(すがもりよし)に景勝に会いたいと会見を申し入れたと言う。
 須賀は景勝に連絡を取り、如何にするかを談判。
景勝は、会うと決め、秀吉、三成、景勝、兼続で、面会した。
今後、秀吉に協力することなどを話し合ったと言う。

 希代のひとたらしだった秀吉と、義を重んじ勇気ある景勝から生まれたお話かもしれません。
 この城は春日山城の出城で、今でも曲輪や井戸、堀など謙信時代の遺構が現存する。
 
 皆様は、風林火山の時に、大熊朝秀(おおくまともひで)と言う人物が出て来たのを覚えていらっしゃるだろうか。
 謙信が27歳の時、家臣同士の土地争いに嫌気が差し、「そんなに争うなら、私の土地をくれてやる!」とを言い、家出(出家)して高野山に行くシーンがありました。
 その時の、争っていた家臣が大熊朝秀、俳役は大橋吾郎さんだったかな。
 ここまでは、ドラマ風林火山の話で、以下は史実。
謙信は、景勝のパパ(義理の兄)に説得されて、春日山に戻るんですが、謙信留守中反乱を起こした大熊を、戻って来た謙信が落水城近くの駒帰(こまがえし)と言う海べりで撃破しています。
 ちなみに、大熊はその後武田信玄に仕えました。
その子、長秀(ながひで)は、御館の乱の時、上杉景勝と武田勝頼の同盟にあたり、武田側の交渉役になっています。

【2009.05.18 Monday 20:51】 author : いづな薫 
| ちび勝&上杉景勝 | comments(2) | trackbacks(0)|
この記事に関するコメント
こんばんは、いづなさん。

うはは、「景勝VS秀吉」。
殿ってば、本当は秀吉の顔が気にいって上洛決めたんですかね(^_^)

「・・殿っ、何故あのようなお返事を!」
「・・あの猿にもっと会いたかったから・・/// 」
「!!」(しまった〜、あれでも一応人間だと思って油断した〜!!)
兼続涙目。悪口のはずの「猿顔」も、景勝にとっては褒め言葉?(笑)

謙信公の時代に戦った相手の子が武田側の仲介役とは、現代の感覚だとちょっと不思議です。親類縁者が上杉にいるから交渉役をふられたのかなとは思うんですが、一歩間違うと拗れる元のような。この辺の感覚のズレが戦国時代なんでしょうかねぇ。
| かな | 2009/05/19 1:23 AM |
かな様

こめんとサンキュ〜。

>殿ってば、本当は秀吉の顔が気にいって上洛決めたんですかね(^_^)

 びっくり日本史ですな。

>悪口のはずの「猿顔」も、景勝にとっては褒め言葉?(笑)

密かにすげー可愛いとか思ってたらやだな、笑。

>この辺の感覚のズレが戦国時代なんでしょうかねぇ。

一部例外として、戦国時代、裏切ってもすぐ許されるじゃないですか。
いちいち殺してたら、人口少ないのでやってらんないですよ。
 その時の都合で、あっち着いたりこっち着いたりするのはなんら恥ずかしい事ではないです。ってな訳で、上杉事情通の大熊が交渉役は、適任だったのかも。
 その武田だって、まさかの越甲同盟組んじゃうし。
| いづな薫 | 2009/05/19 9:02 AM |
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 仕事(技術・研究系)と人と環境に優しい生活を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、野球、音楽、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住→東京→Toronto

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