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since 2007.5.21 天地人感想 「さらば越後」 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
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天地人感想 「さらば越後」
どーも。昨夜、”さらば越後”して来たいづなです。泣

国替えとは、ひどい制度ですな。
 会津の太守・蒲生氏郷が40歳の若さで急逝し、家康の押さえが必要になったのは確かだが。
秀吉がこんなことを言っていた。
「安心して民百姓が暮らせる世になったのだ、秀頼のためだけではないぞ!」
 そーかな〜?本当に戦乱の世にしたくないなら、幼い秀頼ではなく、もっと有力な大名にまつりごとをたくすべきなのだ。(そんなこと出来まいが。)
 かつて、上杉が天下を目指さず、秀吉に協力したように。

再び国が乱れたら、「越後へ帰る。」と言う、兼続。
 泉沢親子は、辛いですな。
泉沢いわく、「次男三男を百姓にし、越後に残す。百姓となれば、2度と城には入れぬ。」
越後と会津に離れ離れに住み、会うこともままならない上、身分と言う壁が家族を隔てるのだ。
 兼続とお涼が話している時、兼続が泣いていました。

この越後で、わしがして来たことは何であろうかの。

うーん、このセリフと兼続の表情に泣けた。
今日の、一番好きなひと言です。
本物の兼続も、こんな思いをしたんだろうなと思いました。
 越後のため、幼い時に親から引き離され、喜平次の近習になる。
長じてからは周知のとおり、上杉家の家政の中心となり、善政を布いた兼続。
 その苦労はみな、祖国越後のためだったはずである。
兼続のあふれる涙が、切なくて、胸が締め付けられました。
 兼続の涙、切ないが、本当に綺麗だな〜と思いました。

 仙桃院と主従の別れの挨拶。
「景勝を頼みましたぞ!」と、息子より年下の兼続に言うシーンが可笑しかったです。
 景勝が「母上、またそんなことを言ってっ」と言う様に、モジモジしたのが笑えました。
 いつまでたっても、親にとっては子は子ですね。

 毘沙門堂で、景勝が、「お屋形さま、越後を離れることとなりました。」と、拝む景勝も切なかったです。

 しかし、仙桃院、子供がこんなに大きくなっているのに、老けないのは変だぞ。
 
 越後を離れる兼続、景勝の脳裏に、亡くなった人たちが、いろいろ出て来て、万感胸に迫るものがありました。
 
赤りんご 景勝と兼続らは、越後から「六十里越え」と呼ばれる、峠道を越えて、会津へ入っている。
 兼続が荷車を押すのを、手伝っていたシーンがあった。
新潟県魚沼市から、破間(あぶるま)川沿いに、会津へ抜ける峠道である。
 六里(24km)の道のりである。
急峻なため通行に難儀したので、10倍の六十里で名づけられた。
古来越後と会津を結ぶ重要道で、1580年には、上杉景勝が、この道の通行を制限したと言う、泉沢久秀の書状が残っている。
 
 PS.来週、家康の肩揉みをする政宗が楽しみでなりませぬ。ふふふ。 

【2009.08.24 Monday 21:45】 author : いづな薫 
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 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

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