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since 2007.5.21 関ヶ原と上杉家 5 最上義光 | 戦国カフェ
   
 
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関ヶ原と上杉家 5 最上義光
 家康が革籠原に来ることなく西へ引き返してしまい、兼続は次に最上義光領を併呑しようと試みる。

 会津移封の時、上杉領は、会津、佐渡、米沢、庄内に飛び地している。
これを最上領を得ることにより、地続きにしてしまおうと言うわけである。



 直江兼続は、愛情あふれた人であったと、私も想像するが、一面ではこう言う冷徹な政治家の一面も持ち合わせていた。

 小さくとも弱くとも人の物を奪ってはいけないと言うのは、現在は当たり前の考えだが、
戦国時代において、景勝・兼続の師・上杉謙信は真に稀有な存在であった。 
 侵略が当たり前の時代、侵略を嫌い義の精神を持つと言うのは、一般論ではなかったが、中央政権が弱体化した時代を生きた謙信は誰に従う必要もなかった。

 しかし、兼続らは違う。
最も大事な越後を、奪い取られているのである。
 越後奪還は、彼らの至上命題であったろう。
謙信の義を守りつつ、政治的な一面も見せている。

 兼続率いる上杉軍は、1600年9月8日、最上領へ出陣するのである。
12日に、畑谷城(山形県山辺町畑谷)を落とし、長谷堂城(山形県長谷堂)を包囲。
兼続、正確に言うとお船の子分・志駄義秀が六十里越を経て、最上領に進軍している。
 谷地城、寒河江城、白岩城などを攻略する。

 長谷堂城は、最上義光は本拠地の山形城から7kmしか離れておらず、最終防衛線であった。
 長谷堂城の兵およそ、1000人。
単独では、上杉軍と対抗できない最上義光は甥っ子の伊達政宗に援軍を頼む。
 親戚でも、この二家は仲が悪い。
しかし、政宗は秀吉によって追い出されてしまった会津を奪還したいので、伯父の最上義光と手を組む。

 上杉も伊達も、旧領地奪還を悲願にしている。
諸将の悲願と策謀が入り混じり、史料を読む度、息苦しさを感じるほどである。


 9月21日、長谷堂城を攻めている直江兼続のもとに、上杉家の運命を変える1通の書状が届けられる。 
 
 関ヶ原で、西軍敗れるとの知らせであった。

                            続く                         

【2009.09.21 Monday 19:29】 author : いづな薫 
| 天地人or直江兼続 | comments(0) | trackbacks(0)|
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 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

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