大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 関ヶ原と上杉家 8 最終回 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
<< 関ヶ原と上杉家 7  前田慶次郎 | main | イケ面だらけの、会津まつり その1 >>
関ヶ原と上杉家 8 最終回
直江兼続は長谷堂城から領国へ引き返し、あるじ景勝は翌年七月上洛、八月十六日家康に謝罪した。

翌日の十七日、米沢三十万石(伊達、置賜、信夫)に減封。
同二十日、上杉領は四分の一、家臣の知行(給料)は三分の一となることを言い渡す。

十一月二十八日、景勝は6,000名の家臣とその家族、計1万5千名を連れ、米沢に移住。
 この数に、馬の世話などをする名のない召使たちは含まれていないので、人数はもっと多い。
 
 徳川に意思を反する大集団を怖れ、家康は3ヶ月前から、周辺の大名に国境警備を命じるという厳戒体制を取っている。

 
 そんな中、上杉家の高潔な精神は人々に愛され続けた。

 直江兼続は、敵将に評されている。
最上義光の言。

「直江は、少しも臆せず心静かに陣を払い、撤退に慌てふためく気色もなく、あまつさえ会津へ帰陣。
 真に謙信の武勇がまだ残っている。」


後に、兼続を駿府に招いた家康は、

聞きしに勝る、武功の者。と、褒め称えたと言う
 そう称される頃の兼続は、米沢30万石の治政に追われる頃であろう。
打ち続いた戦乱、6000名の家臣とその家族を、わずかな知行で養わねばならない米沢時代。
 彼らの苦労は、想像に難くない。
一軒の家に、幾つかの家族が同居し、収入も3分の一である。 
 食べるのにも、困ったであろう。



 目の前の、自分を賞賛するかつての大敵。

 様様な方向の違う想いが交差しすぎて、兼続はどんな思いがしたであろう。
 
どんな辛いことも、黙って受け止めた景勝、
どんなに過酷でも、あるじと選んだ道を最大限に生かしきった兼続。

 私は、この二人を尊敬し、人間として愛おしくてならない。

                     いづな版 「関ヶ原と上杉家」終

【2009.10.02 Friday 22:47】 author : いづな薫 
| 天地人or直江兼続 | comments(2) | trackbacks(0)|
この記事に関するコメント
拝啓いづな様
 先日の太刀についての件、お役に立ちましたでせうか(*^。^*)
 上杉家は備前刀マニアで、景勝自ら35腰をマイセレクションに上げていたほどです。今で言うと、刀オタクですね(笑)

 最近の「天地人」は、もう見ていて涙涙涙…。私も年なのか、涙腺が弱くなってきたのかウルウルしっぱなしの話しが続きますね。(もう最終回は号泣?ですかな)
 先日、原作者・火坂雅志氏の講演に行ってきました。火坂氏の言葉が印象的でした。「私が兼続が好きなのは、直江状をたたきつけた兼続も凛としていいですが、やはり米沢で、一番つらく苦しいときに、決して逃げず・投げ出さなかった兼続が大好きなんです。」と。そしてこの「雪国人の心だけはドラマで表現して下さい、それだけを頼みました」と熱く語っておられました。

 確かに歴史に、たら・ればはありませんが、ドラマの三成が「兼続にこの義戦があったことだけを後世に伝えよ」とのシーンがありました。もし上杉家がお取り潰しになっていたら、我々は生涯彼らの「義」を知らずに死んでいくことでしょう。しかし兼続が慶次郎から押し留められ、壮絶な辛酸をなめながら上杉家を守ったくれたお蔭で、この平成の世にふたたび謙信公伝来の「義」が燦然と復活しました。

 火坂雅志氏著書「上杉かぶき衆」の中で、「上杉家にはかぶき者が多い」と書かれています。前田慶次郎や水原親憲など一見、風奇者のように語られますが、実はあの弱肉強食の戦国乱世で「正しき人間の心」を持ち続けることこそ、まさに「かぶき者」であったんだろうと私は思います。
 そう、そのDNAを創始した謙信公も本当に孤独であったろうと思いますが、それを貫いた強き正しき心根こそ「宝在心」=宝は心にあり、兼続が死ぬまでお守り代わりに身に着けたスピリッツに他なりません。

 日本の政権が50年ぶりに交代しました。
 真の民主政治とはなんぞや?真のヒューマニティーとはなんぞや?…。
 謙信公が信玄公訃報を聞いたとき、「惜しい男を亡くした」とハラハラと涙を流しました。戦うのは米塩ではないと、塩を送った「情けの塩」。
 やはり時代は、本当の意味での変革「人間の心」の時代へパラダイムシフトしたのでしょう。現代の混迷の時代よりももっと殺伐とした時代に、「義」を掲げた漢たちがいたということ。

 「天地人」は、いろんな意味で私たちに人の生き方を教えてくれたように思います。特に「上杉家」の漢たちの高潔なスピリッツはまさに日本の宝だということを。

 東京国立博物館で「塩の返礼の太刀」公開なんですか!知りませんでした!福岡一文字の弘口黒漆打刀拵ですね。いづな様ありがとうございます。11月中旬に見に行こうと思います。
それでは長々と申し訳ございませんでした。義太郎でしたm(__)m
| 越後義太郎 | 2009/10/29 8:02 PM |
越後義太郎さま

お返事遅れごめんなさい。
昨日は多忙で本日は外出しておりました。
ありがたきコメント、賜りまして感謝申し上げます。
太刀の件、真にありがとうございました。

>上杉家は備前刀マニアで、景勝自ら35腰をマイセレクションに上げていたほどです。今で言うと、刀オタクですね(笑)

 景勝公御手撰三五腰ですね。先日東京に”ひめつる一もんし”が来てましたよ。
上杉家は、”生ぶ”が多いんですよね。
 謙信は、馬上から振り下ろせる長い刀を好み、兼光を十振り以上所持していたとか。
 良き刀はひと目見ても、魔力のような美しさを感じます。

>最近の「天地人」は、もう見ていて涙涙涙…。

 身近な人が去って行ったり、亡くなったりしてますものね。
今度はお松とお梅でしょうか。

>「私が兼続が好きなのは、直江状をたたきつけた兼続も凛としていいですが、やはり米沢で、一番つらく苦しいときに、決して逃げず・投げ出さなかった兼続が大好きなんです。」

 ブログでも書きましたが、私も同意見です。
直江状は、外様大名の陪臣である直江兼続を有名にしましたが、彼の真の価値は米沢時代にあると思います。
 苦しんだ上司にほど、部下は付いてくるものです。
6000名の大家臣団が、兼続の功績を証明しています。
 今も昔も本当の政治家とは、民の幸せのために生きて、死ぬものですね。

>戦国乱世で「正しき人間の心」を持ち続けることこそ、まさに「かぶき者」であったんだろうと私は思います。
 
 はい。
侵略しない謙信が、変り者と言われていたくらいですから。笑
子供の頃読んでいた本で、謙信は変わり者みたいな風に書かれていて、子供ながらえーって思った記憶があります。
 侵略してはいけない、なんて言い出したのは日本でも半世紀ちょっと前のことですから、驚きです。

>現代の混迷の時代よりももっと殺伐とした時代に、「義」を掲げた漢たちがいたということ。

 涙が出てきそうです、私。

>「上杉家」の漢たちの高潔なスピリッツはまさに日本の宝だということを。

 仰るとおりです。
やはり、上杉家がとても好きです。この一語に尽きます。
義太郎さま、たくさんのありがたきお言葉感謝します。
| いづな薫 | 2009/10/30 11:26 PM |
コメントする









過去のページへ
この記事のトラックバックURL
http://cafe.kenshingen.fem.jp/trackback/1293492
トラックバック

戦国カフェオリジナルグッズショップです。 戦国カフェオリジナルグッズショップへ
    いづなへメール

 仕事(技術・研究系)と人と環境に優しい生活を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、野球、音楽、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住→東京→Toronto

   当サイトは、コピー、転載、ダウンロード、直リンク、持ち出しは禁止です。
◆ 著作権はすべて、
いづな薫に属します。
 過去のページへ


   にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
   にほんブログ村。
   ランキングはお休み中