大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 天地人感想 「大坂城炎上」 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
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天地人感想 「大坂城炎上」
 あろうことか、家康が兼続の手を握った所ハートで、落涙したいづな。爆
 千姫を直江が助けた後のシーンです。
幸村と兼続、同じ義の心を持ちながら、敵味方に別れ、
千姫と秀頼は仲のよい夫婦でありながら生き別れ・・・。
 涙モノのシーンが多い回でした。

以下は、大河で語らなかった歴史を大いに織り込む感想になった。いつものことだが。笑
お読みいただければ幸いです。

 領地召し上げられ、高野山・九度山に蟄居を命ぜられていた真田幸村は、再び徳川に挑むため、
形勢不利な豊臣方に味方する。
 この時、幸村48〜9歳、白髪になり歯も抜けていたと言う。
 ともに謹慎していた父昌幸は、家康側近・本多正信のとりなしによる赦免を待ち続けたが、あえなく没している。
 幸村自身も長年の戦と、九度山の暮らしが老化を早めたに違いない。
 
 天地人の幸村、船カリブ海とかに居そうな幸村だったが、美麗で目の保養でした。

 大坂冬の陣の講和条件は、徳川側が惣構堀(そうかまえぼり・城全体を取り囲む堀)、二の丸三の丸を豊臣側が埋めると言う約束であった。
 豊臣側にしてみれば自分たちで埋めるのだから、テキトーにやれるじゃんと思っていた(-。-)y-゚゚゚
 しかし、惣構堀(そうかまえぼり・城を取り囲む堀)をあっちゅう間に埋めた徳川方、二の丸三の丸もじゃんじゃん埋めてしまう。w(゚o゚)w
 もうここら辺が、淀君チームお間抜け。

 そんな中で迎えた大坂夏の陣、真田幸村は奮戦の末、1615年5月7日討ち死。
ちなみに彼の娘は、大坂城から救出され伊達家に行き、伊達家重臣・片倉小十郎重長(重綱)の妻となっている。
 政宗にいつもくっついている、片倉小十郎景綱の子ね。
ここのうちは代々当主が皆、小十郎。
 ちなみに息子小十郎がすごい美貌で、政宗の恋人だった。
んでもって、「金吾中納言殿、重綱容色の美なるを御覧せられ、御恋慕あり」
金吾中納言こと、小早川秀秋からも追っかけられたりして、大変。笑
  
 大幅に脱線したので、軌道修正する。工具
大坂夏の陣の後、京都〜伏見辺りの道筋に大坂方の首2万を並べたと言うから凄まじい。
 徳川家をはばかり悲惨な記録はないが、当時に日本にいた南蛮人宣教師たちはそう書き残している。
 現実の戦は、悲惨限りない。
兼続も景勝も謙信も、平和を渇望しながら、そういう時代を生きた人である。 
 私の頭の中には、こういう兼続、景勝、謙信がいる。
なので、天地人の愛を語る兼続を見ると、少なからず救われた気分になるのである。 

【2009.11.15 Sunday 22:51】 author : いづな薫 
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 仕事(技術・研究系)と人と環境に優しい生活を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、野球、音楽、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住→東京→Toronto

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