大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 栃尾・浦佐 上杉×伊達ツアー | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
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栃尾・浦佐 上杉×伊達ツアー
さて、先日の上杉×伊達ツアー詳細日記です。

1日目いづな一家は、栃尾城に行くため、新幹線で長岡に降り立つ。
正確にいえば、栃尾城址なのだが、あえて栃尾城と言う。
長岡界隈は、街路樹が皆、ななかまど。
七回かまどにくべても燃えないことから、ななかまどの名が付いた。
 街路樹としては珍しいか?暖かい東京はイチョウが多いかな。
 う〜ん、赤が目にしみる。



栃尾城の秋。
私の心の中には、今も14歳〜の謙信がここにいる。
だから、私は幾度も参る。
 この栃尾城の石柱は、大手道だった所の諏訪神社の前に建つ。石段を登って行く。
 後ろから、少年の謙信が身軽にタンタンッと駆け登り、追い抜いて行く。
そんな幻を見る、栃尾である。
 



 栃尾は江戸時代、長岡藩の管轄になる。
長岡藩とは、河井継之助(かわいつぐのすけ・幕末越後長岡藩家老)を生んだ藩である。
 その長岡藩の家臣が栃尾を治めるため赴任する時、水杯を交わして別れを覚悟したと言う。
 栃尾には、謙信没後も長き間、「お屋形さまは謙信公のみ、長岡藩何するものぞ!」の気概があった。
 それほど、謙信信仰の強い町である。
 栃尾へ行く長岡藩家臣は、死を覚悟せねばならなかったのである。

 長岡藩は、幕府側だったため、新政府軍と激戦になる。
その城は徹底的に破壊され、跡形もなく、わずかに石垣の石があるのみ。
現在のJR長岡駅の場所が、城の本丸である。

 その長岡駅に戻り、いづな一家、次にどこに行こうか迷う。
候補1、関興寺。 候補2、与板城。 候補3、河井継之助のお墓参り

 関興寺に決まり、新幹線で越後湯沢へ。
所が、越後湯沢に行く手前、車内アナウンスで「浦佐〜」と聞いたとたん、
謙信ゆかりの浦佐毘沙門堂に行こうハート」と言い出す。
 謙信と聞けばすぐそっちへ流れる、場当たり的ないづな一家。

 浦佐駅を降りると、この案内板にブロックされた!

 浦佐駅に、直江兼続ハンドソープがあった。キャッチフレーズは、
戦(いくさ)のあとも、しっかり手洗い!



浦佐毘沙門堂は、摩訶不思議なお寺。
クルクルしているギボシ、寺の周りを囲む堀がまるで要塞のようだ。
急に門を閉めて攻撃態勢に入りそう。笑



 謙信公お手植えのケヤキの大木。左が長寿のケヤキ、右が吉祥のケヤキ。樹齢500〜600年?
謙信公が生きてしたのは、450年くらい前。
 どんな大きなケヤキを、お手植えされたの?笑
それでも謙信のオーラを感じる、太い幹である。



のベコニア。



 毘沙門堂の裏には、浦佐城がある。
雨にもかかわらず、登ってみた。滑るので、皆様は晴れの日に行って下さい。

 謙信や景勝に仕えた重臣・水原親憲(すいばらちかのり、生まれた時は大関家)の生まれた城である。
彼は、革籠原で、徳川を追撃してはならぬと考えた家臣である。
 米沢の林泉寺にお墓がある。

水原親憲の出生譚に、不思議な逸話が残る。
浦佐城主・大関親信が、柏崎から居城のある浦佐への帰路、とある村の火葬場近くを通りかかる。
 そこに、火葬の灰でおはぐろを染めている女がいた。
 大関親信は驚き、理由を尋ねると、火葬の灰は、おはぐろがよく染まると言う。
女の肝の太さに感嘆し、妻として娶り、生まれたのが水原親憲だと言う。
 彼が生まれた浦佐城も含め、摩訶不思議で、ぜひまた来たい町である。

【2009.12.01 Tuesday 22:26】 author : いづな薫 
| 春日山城、新潟 | comments(0) | trackbacks(0)|
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 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

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