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since 2007.5.21 義の後継者 上杉鷹山 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
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義の後継者 上杉鷹山
昨夜のNHKヒストリア「ただ、人を助けたい〜直江兼続と「義」の後継者たち〜」で、上杉鷹山公に触れていたので、書く。
 
 このブログでも触れてきたが、直江兼続は、上杉家を衰退させたとして、奸臣(悪い家臣)と言われた時期があった。
 150年前に生きた兼続を再評価し、財政難の上杉家を立て直したのが、
米沢藩第9代藩主・上杉鷹山である。

 日本の近世史上、屈指の名君である。



 ジョン・F・ケネディが、尊敬した人物としても知られている。
ケネディ元大統領の就任演説は、上杉鷹山の精神に似通うものがある。
国が成り立つために、構成員である国民と国との自助と互助が必要との精神を表している

 ケネディの後で申し訳ないが、私も歴史上尊敬する人は誰か?と尋ねられたら、上杉鷹山公を挙げる。
謙信公も尊敬しているが、いろいろな面で好きなので、尊敬するとひとこと言ったら、鷹山公である。

 鷹山公は、江戸の高鍋藩邸(九州の大名)で生まれ、10歳で上杉家に養子に来ている。
その頃、米沢藩は大変な貧乏で、重税に農民は逃亡し、上杉家に金を貸してくれる商人はおらず、
幕府に藩を返してしまおうかと言ったくらいであった。
 殿様以下家臣すべて、浪人になろうと言うのである。

 この鷹山公からさかのぼること100年前、上杉家では一大事がしゅったいしていた。
 3代藩主綱勝(景勝の孫)が後継ぎを決めないで急死し、末期養子(死んでから決めた養子)を認められたが、
石高を30万石→15万石に半減にされてしまったのである。

 それだけでも大変なのに、迎えた養子の実父がなんと、吉良上野介。最悪。
 幕府高家として大いばりな吉良上野介、上杉家藩政にことごとく口出しし、膨大な出費をさせるのである。

 高家とは何か?
高家とは、江戸幕府で儀式を司り、礼儀作法を諸大名に教える。
 当然、高額な授業料が支払われる。
 平和な時代になると、ヒマなので、儀式がどんどん入り組んでうるさくなる。

この吉良上野介、謙信公の遺産を使ってしまった人物でもある。
謙信公の莫大な遺産は、吉良の時代まで一部残っていたのである。
 
 上杉家家臣の中には、鷹山公を、どうせ養子殿様だと侮る者も多かった。
しかし、鷹山公は、
「謙信公時代の大国でなく、今は小藩なのだ。」
と言い、自ら城の庭に畑を作り食用の鯉を飼い、木綿を着て、一汁一菜で暮らしていた。
 家来の中には、田畑を耕す鷹山を見てバカにしたり、畑を壊すものまでいたと言う。
 
 作家の童門氏も解説で仰ってたが、鷹山公は、格式に価値を見出さない人物である。
 禄を幕府に返上しなければならないほどなのに、
「大国であった謙信公以来の高い格式を持つのは、分不相応だ。」だと、鷹山公は説いている。

 米沢藩は海がなく魚が取れず、蛋白源が不足する。
だから鯉を飼う。
 台所の洗い水が庭の池に入るようにし、野菜くずなどが流れ込むよう設計する。
 そこで育った鯉を、人間が食べるのである。
そして、市場に出回る魚も買う権利に順番が決められており、妊婦など弱者が優先されたと言う。
 改革目標はただひとつ、藩内の病人、お年寄り、妊婦、子供、身体障害者、社会的弱者を労わるまつりごとを行うこと。
 民を富ませることを、至上命題に掲げたのである。
 
 天明2年(1782)から5年間にも渡って、日本列島が冷害と凶作に見舞われる、天明の大飢饉が起こる。
 みな自藩の食料だけでは足りないので、近隣の藩に救いを求めることになる。
しかし、近隣諸国みな凶作なので、どうにもならない。
 日本中に餓死者が大勢出る中、
持ちこたえられる食料備蓄があったのは、300藩中わずか4藩に過ぎない。

 その中に、31歳の鷹山が治める米沢藩が入っていたのである。

 上杉鷹山、その肖像画は、柔和で優しげな人物にしか見えない。
 この線の細い人物の中に、どんな絶望的状況にも負けない、熱いエネルギーがたぎっていたかと思うと、何とも不思議な感じがする。

 閉塞状況の中、わずかなチャンスを見逃さない確かな眼力。
果敢な行動力。
 彼の政治理念は、「藩主は、領民の父母である。」と言う、民を愛する心から発しているのである。

 上杉神社稽照殿に残る鷹山公の鎧は、とっても大きい。
 江戸時代に生きた鷹山公は、これを着て戦うことはなかったが、彼の愛と志の大きさなのかもしれない。

 上杉鷹山は、20万両もあった借財を、晩年にはほとんど返済する。
17歳で藩主となり改革を始め、72歳で没するまで、民を愛し民のために奔走する生涯であった。

 なせば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり

鷹山公の言葉を含む「上杉家文書」は、国宝。我々の宝である。




【2009.11.26 Thursday 22:48】 author : いづな薫 
| 米沢 | comments(4) | trackbacks(0)|
この記事に関するコメント
うっかり番組を見逃し再放送まで〜(ToT)/~~~
などと…すっかり肩を落としていましたら、
おぉ〜☆いづな様が鷹山公を取り上げていらっしゃる!!
涙・涙でありがたく拝見させて頂きました<(_ _)>

10代後半まで出羽の地で育った私にとって、鷹山公の偉業のお話は
学校や米沢近隣の置賜エリアに訪れる度に触れることが出来、身近でした。

特に「自助」「互助」「扶助」の精神に感銘を受けたことは大きく
表現しようの無いほど格別な…尊敬せずにはいられぬ有難いお方です。

「鷹山公」の文字や肖像画などを拝見すると胸が熱くなります。
愛蔵のDVD“上杉鷹山 〜二百年前の行政改革〜”は何度見たことか☆

家督に際して17歳で詠んだ
「受け次ぎて国の司の身となれば、忘れまじきは民の父母」
この和歌に鷹山公の強き愛を感じ、ウルウルと涙腺が。。。
古今東西、これほどの慈愛をもって治世を成した方は少ないかと★
また、このような優れた方の師であった細井平洲氏や、
鷹山公に再評価され、改革の手本となった直江兼続公のことも
もっと知りたいと思うようになりました。

鷹山公の教えの一つ「見切り千両」も心に留め置いております。

・働き       一両
・考え       五両
・知恵借り    十両
・コツ借り    五十両
・ひらめき     百両
・人知り     三百両
・歴史に学ぶ  五百両
・見切り      千両
*無欲       万両

なんとなく倹約家で堅苦しい印象に表現されかねない鷹山公ですが、
この見切り千両の教えに、なんとな〜くユーモアというか、、
ウィットに富んだ方でもあったのかな〜?と感じております。
嬉しさの余り、長文失礼しました((+_+))
| ともも | 2009/11/27 11:43 AM |
 藩主には女の子しか生まれず娘婿を取る事になった。
鷹山は四代目藩主(吉良家からの養子)の娘の孫、つまり外そう孫にあたる。
この娘が、早くに亡くなった自分の娘(孫の母親)に代わって、孫の竹松(後の鷹山)を慈しみ育てた。
そして賢く聡明な資質を花開かせて成長する。
その時、米沢藩で藩主娘・幸姫の婿を探していた。そこで白羽の矢が竹松に立った。
米沢藩とこの育ての親で重ね相談し、娘婿に迎える。
 「愛情深く育てる」
この上杉謙信以来の伝統が花開かせたと思う。
たとえ良い資質を持っていようとも、愛情深く育てなければ資質も埋もれてしまう。
 よく鷹山は『上杉には関係なく、ふって沸いたように上杉家に来て、全く関係のない上杉家を救った』と思われたり言われたりしがちだが、その度にじくじたる想いがする。
 上杉家も「名家、大家であった頃の誇りから鷹山に反発」と言われるのも心が痛む。
そのようなおかしなプライドを持っていただろうか。度重なる不幸で荒んだ、と言われる方がまし。。しかし謙信公以来、もう何代経つか…
かつて清和源氏の流れを汲む名門の武将でも、喜んで格下の謙信や景勝の下でも「義」の為に働いたものである。変なプライドで農作業をしないものだろうか?
 かつて徳川に反抗した上杉家は、それ以後、徳川史観で悪く語られている書が多く、驚く事が多い。
竹松の養子を決めた米沢藩士さえ、佞臣と書かれている。
 これからも地元民として、専門家による書物を読んでいきたいと思う。

 長文のコメント、大変失礼しました。
| 匿名 | 2009/11/27 11:46 AM |
ともも様

コメントありがとうございます!
初めましてでしょうか?
いづなです。
ぜひ、再放送を御覧下さいませ。
水曜 午後4時05分 〜4時48分(再)
BS2 : 毎週水曜  午前8時15分〜8時58分(再)

>学校や米沢近隣の置賜エリアに訪れる度に触れることが出来、身近でした。

 米沢では、謙信公や鷹山公の遺訓を学校で教えていますよね。
私は米沢や新潟に行くと、現地の友人や初めてお会いする方と良くお話しします。
 その社会的マナーの良さに、皆様の心の中に謙信公や鷹山公が生きていると、感じるんです。

>「鷹山公」の文字や肖像画などを拝見すると胸が熱くなります。
愛蔵のDVD“上杉鷹山 〜二百年前の行政改革〜”は何度見たことか☆

 NHKのお正月ドラマですか?私も大好きです。

>17歳で詠んだ「受け次ぎて国の司の身となれば、忘れまじきは民の父母」この和歌に鷹山公の強き愛を感じ、

 天が使わした神様のような方ですよね。
私も、教育に当たった細井平洲氏に関心が、あります。

>なんとなく倹約家で堅苦しい印象に表現されかねない鷹山公ですが、
この見切り千両の教えに、なんとな〜くユーモアというか、、
ウィットに富んだ方でもあったのかな〜?と感じております。

 私もそう思います。
倹約はしたけれど、心の豊かな方であったと。
  見切り千両は、十分今の経営・経済学で通用する言葉です。
働く報酬が一両とすれば、アイディアを考えるのは5倍の五両、

人様に知恵を借りるのは10倍十両、コツを借りるのは50倍五十両、自分でひらめくのは100倍百両、人脈は300倍の価値三百両、

歴史に学ぶのは500倍五百両、時にはプロジェクトを見切り損害をそれ以上出さないことは千両の価値、
商いの駆け引きより相手に誠意を尽くすは万両の価値となる。

 この経営哲学の真髄を、分かりやすいユーモアでコーティングした鷹山公、屈指の経済家です。
| いづな薫 | 2009/11/27 9:43 PM |
とくめい様

コメントありがとうございます。
 ところで、鷹山は、黒田如水の血も流れているんですよね。
私は、黒田如水が好きです。
 軍師として大変優秀なのに、人間が誠実だからです。
そこがまた、秀吉に怖れられた原因ですが。
 もちろん戦国期に生きた如水とは違う点もありますが、鷹山公の虚飾を取り去り本質を見抜く眼、行動力、そして誠実さに同じ血を感じます。

 米沢藩内には、当初鷹山を理解しない家臣がいましたが、10歳の鷹山に立派なお屋形さまになってもらうため、優れた師を探し出して来た家臣もいました。
 良き人間は、仰る如く愛情深く育てること、そして教育が肝心です。
 私は「上杉家文書」をよく拝見しますが、文書の学術的価値は言うまでもなく、藩の知的レベルは大変なものだと思っています。
 また、文書を見に米沢に参りたいと思っております。
| いづな薫 | 2009/11/28 8:02 PM |
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