大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 龍馬と後藤象二郎 | 戦国カフェ
   
 
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龍馬と後藤象二郎
 坂本龍馬の華々しさに隠れて、いまいちぱっとしない人ですが、
今日は、後藤象二郎について書く。

 史実、龍馬と後藤が初めて会ったのは、慶応三年(1867)1月長崎の清風亭という料亭でのことである。
土佐藩士で明治政府の高官となった佐々木高行が、日記に幾度かこの料亭名を記している。
 慶応三年(1867)、この年の11月、龍馬は暗殺される。

が、今は話を、後藤の叔父吉田東洋が暗殺された頃に戻す。
土佐では、東洋が暗殺され後藤は失脚し、土佐勤皇党が勢力拡大していた。
 1863年、後藤は江戸にて、海運術、蘭学、英学(英語圏の色々な学問)を学んでいる。
が、この後、山内容堂による土佐勤皇党の弾圧が始まり、後藤も土佐に帰国し、弾圧に乗り出すのである。
 岡田以蔵は拷問の末、斬首、武市半平太は切腹に負い込まれる。
東洋が暗殺された時、後藤は龍馬を犯人だと疑い憎んでおり、龍馬にしても後藤は武市らを死に追いやった存在であった。

 坂本龍馬と後藤象二郎、血を見そうな仇敵関係だが、ふたりは過去の恨みにとらわれることはなかったのである。
 龍馬は当時、亀山社中を経営していたが、これが経営難で左巻き状態であった。
 藩の重職にある後藤も、土佐藩が、薩長同盟を結んだ薩摩と長州より立ち遅れ、近代化の波に乗り切れていない焦りを感じていた。
 薩長らが主体となった中央政界で、良いポジションに着くのは、龍馬を頼るしかない。
 上士が土佐藩が、一介の浪人坂本龍馬を頼ることになったのである。
龍馬が持つ広い人脈、海援隊士の持つ蒸気船運転技術、語学、科学、みな後藤や土佐藩が欲しがる
ものばかりであった。
 土佐藩は龍馬のおかげで中央政界へ乗り出し、経営が行き詰まっていた亀山社中は土佐藩の力を借り、海援隊へと発展を遂げる。

 さて、維新の奇跡と言われた坂本龍馬の最大の偉業は、薩長同盟、船中八策、大政奉還、である。
これらの政策の協力者として、後藤象二郎がいたのである。 
龍馬のアイディア船中八策に基づき、徳川慶喜に大政奉還を提案。

 仇敵関係にあった坂本龍馬と後藤象二郎は、ともに明治維新へと大きく歩んだ。 
 
 坂本龍馬が、1867年11月15日に先立つ。
後藤は、1897年まで生き、自由民権運動に手を染めたが、挫折。
大臣を歴任し伯爵の位を授与されるが、今で言う官民接待で非難を受け辞職。病没した。享年60歳。

【2010.09.30 Thursday 22:29】 author : いづな薫 
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時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、野球、音楽、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住→東京→Toronto

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