大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 龍馬伝感想「海軍を作ろう!」 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
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龍馬伝感想「海軍を作ろう!」
大坂海軍塾塾頭、佐藤先生は、風林火山の伝兵衛ですね。笑
勘助の仲間で、謙信様に鉄砲売りに行ったり、川中島で、勘助の遺体を回収した人。
 家茂、甘い物ばっかり食べていましたね。笑
大の甘党で、芝増上寺から発掘された遺骨は、30本が虫歯。
その上エナメル質が薄い体質です。穴だらけでした。死因は脚気だったが、歯もかなりの重症。

 海軍塾生は、胸の名札が可愛いです〜。
活気に満ち溢れ、楽しそうだ。新しい学問に出会った好奇心と喜びで満ち溢れている。
 みんな勘違いして、攘夷のために学んでいるのが、可笑しい。

平井収二郎、武市に師事していたはずなのに、簡単に離れましたな。
いつの間にやら、妖怪容堂に踊らされ、仲たがいしている。

勝を斬りに来た以蔵を叱る、龍馬、
「コイツも一生懸命仕事(暗殺)やってんだよ。」と言う勝が、面白い。
地球儀に感心する以蔵、彼にも教育の機会を与えてあげたかったなと思う。

 勝の語る、海軍塾の生徒たちが実に楽しい。
諸国から集まって来た方言丸出しの生徒、身分の上下なく本当に学問を楽しんでいる。
 本来、学問とはこう言うものだ。わくわくするような好奇心と探究心が源だ。
 番組の最後「龍馬伝紀行」でも紹介されていたが、大阪の緒方洪庵の適塾や、勝の海軍塾跡あたりを私は何度か歩いたことがある。
 当時最高の蘭学塾だった適塾には、大村益次郎や、福沢諭吉らが学んでいる。
 しかし、たくさんの塾生が使うオランダ語辞書「ヅーフ・ハルマ」は、適塾に1冊しかなかった。
 貴重な「ヅーフ・ハルマ」を閲覧する部屋が設けられている。
 私も、この辞書を何度か拝見した。
 奪い合うように、昼も夜も学んだ熱気が今も感じられ、感慨深い。
ちなみに勝海舟も、貧乏だった20代頃、電話帳の様に厚い、ヅーフ・ハルマを年10両で借り、写本を作っている。

話をドラマに戻す。
「何でああいう奴(龍馬)と付き合わないのかい?」と、以蔵に言った勝が印象的だった。

 今日は、勝の大坂の私塾の話だったが、この塾は、まもなく神戸村に移転することになる。
 文久三年(1863)9月、勝は、神戸に地元の庄屋生島四郎の尽力で購入した土地に、塾校舎と屋敷を建てる。
 松平春嶽が自分の越前藩の年間予算と同等の5000千両もの金を貸してくれたが、この金も一部使われている。
 勝はこの屋敷には泊まらず生島四郎邸に滞在、その家が今も残っている(非公開)。 
 
 さてこの文久三年と言うのは、ある意味幕末動乱の皮切りの年と言って良い。
 高杉晋作の騎兵隊が結成されたのもこの年6月、薩英戦争、そして武市半平太が投獄されている。
 攘夷決行を定めた5月10日には、下関で外国船を長州藩が砲撃する。
長州藩は、5回もの外国艦船と戦を交え、翌1864年には、英仏オランダ米、四国連合艦隊の下関砲撃で惨敗する。
 ここから、攘夷をあきらめ、倒幕戦に切り替えるのである。
その頃、薩摩は幕府と手を組み、反長州の立場を取っている。

 対立する薩摩と長州、歴史が坂本龍馬を必要とする時が、刻々と近付いている。

【2010.05.03 Monday 00:20】 author : いづな薫 
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 仕事(技術・研究系)と人と環境に優しい生活を愛する普通の人。
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かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住→東京→Toronto

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