大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 春日山城計画書 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
<< 追記 | main | 龍馬伝感想 「故郷の友よ」 >>
春日山城計画書
国指定史跡春日山城跡保存管理計画書を、拝見した。
熟慮の末、考えを述べたい。

国、文化庁が協力する史跡整備事業は、どれくらいの規模の公共事業だろうか。
予定の20ヵ年経てば、春日山は、憩い、植物の季節感を楽しみ、史跡を学ぶ、エコミュージアムに姿を変えるかもしれない。

 私は、歴史を愛する観点から、やはり史跡保護について述べたい。
皆が、利用できる史跡になるのは良いと思う。
 例えば奈良県の平城宮遺跡を例に挙げると、史跡見学より公園として利用する人が多い。
が、公園はあくまで2次的利用である。
史跡を保存し、活かす主目的は、来訪する皆様に史跡と歴史の価値を理解していただくことである。
 そのために文化庁が係わり、市および国の予算が組まれるのである。
 計画が、史実に基づき最低限の史跡保護に留まることを望む。
そして、多くの人に春日山城の歴史的価値を理解していただきたいと思う。

 史跡も文化財には違いないが、博物館などで保管される品と違う点がある。
史跡は、大きく、例えば春日山城は2km四方400haにも及ぶ。
行政だけでは守りきれず、地域の皆様の手をお借りしなければならない。
 
 整備するからには、この先も発掘が続くだろう。
今まで所在が確定されていない、謙信公御屋敷の位置も特定できるかもしれない。
 現在、御屋敷とされている所は、城の北東に当たり日照が少なく、城遺構の中でも低位置にある。
城主の館としては、疑問が残るのである。
 頂上近くの柿崎屋敷とされる土地は、周りを空堀に囲まれ、桑取り道への抜け道もあり、主の住居にふさわしいと言えば言える。
 これらの答えが、出て来るかもしれない。

 戦国期山城で発掘整備された、一乗谷朝倉氏遺跡を私は思い出した。
農地区画整理で、ブルドーザーが未発見遺跡を壊し、発見、発掘に至っている。
 最初は掘れども掘れども、何も見つからず、ぶ厚い堆積土を更に1m掘り下げ、発掘された礎石、溝石。
 屋敷、庭園、湯殿跡、そして朝倉氏滅亡の折、激しい火炎に焼かれた痕跡の黒色土を出土している。
 地下に埋まった史跡はまるでポンペイに似ていて、興味引かれる発掘記録だ。

 しかし、私は、春日山城の、発掘箇所が極力狭く浅いことを切に願っている。
 史跡を破壊しない、非破壊検査を望む。
皆さまは、非破壊検査の会社CM、ご記憶にあるだろうか。
レーダーや放射線、磁気などで品物を壊さず中を調べられる検査方法である。
 航空機、鉄橋などの劣化検査ほか、史跡、考古学でも、盛んに使われている。
非破壊検査がない時代は、史跡をとにかく掘ってしまっている。
 MRIやCTスキャンなしで、外科手術するようなものだ。
 
しかし、現代でもレーダーや磁気探査で的を絞った後は、実際の発掘が始まる。

 滝沢様及び計画書、そして上越市担当者様の直接メールで、建造物は建立しないと伺い、安心している。
 市からは、「将来的に復元が可能となる資料が発見された場合でも、復元の可否を含め慎重に議論を積み重ねる」とお答えをいただいた。

 私が、城復元を強く反対する理由を書いておきたい。
春日山は、築城年代がいまだはっきりしない。
 これを特定することは、おそらく困難であろう。
 城が大きくなったのは、謙信公からだが、その前も城はあった。
謙信公が1548年、城主として入城してからも、たびたび城普請をしたと記録にある。
 景勝公も、普請したかもしれない。
 謙信公入城前からの遺構があり、その後も普請を繰り返した場合、謙信公時代の遺構のみを特定することは
現代の技術では極めて難しい。
 
 発掘は、遺構の損傷を伴なう。
長い年月で埋蔵物と一体化した埋土も、遺物である。
 復元はレプリカに過ぎないが、地下遺構は、埋土一握り、みな本物なのである。

 屋形復元のため発掘でもしようものなら、遺構の配置を知るため全面発掘されかねない。
 それで何かわかっても、同じ遺構の図面を見ながら、専門家によって地上造形物の形が全く異なることもある。
 構造の他にも、部屋の配置、使われ方などで、識者の意見は割れる。
 予算が組まれても、城復元が難航することになりかねない。これは、実際あった話である。
 史料不足のまま、大きな建物復元することは、困難を極める。
妥協し、何か出来てもそれは不確かで、”本物の価値を伝える”と言う、史跡本来の理念にそぐわない。
   
 近世の城とは違い、中世の春日山城は、文献も絵地図も少ない。
 全国を見ても、中世・山城建造物は皆無で、石垣ですらそう多くない。

 私は、今年3月に謙信公ゆかりの能登・七尾城を訪ねた。
偶然この時期に行くことになったが、今考えると貴重な体験になった。 
 2007年3月25日、七尾市は震度6強の激震に見舞われた。能登半島地震である。
 資料館で、大きく崩落した石垣の写真に目を奪われた。
 七尾城跡の石垣は戦国時代の工法野面(のづら)積みで、石一つ一つが国の貴重な文化財である。
 
 崩落石とその周りの崩れていない石にも、みな墨で番号がふられた。
 崩れた2ヶ箇所の石垣のうちひとつ、「桜馬場」では崩落した95石中、破損した8石を除き補填している。
 崩落前の写真やレーザーによる計測を元に、正確に積み直されたのである。
 先進技術を駆使し、石の向きまで再現した修復に、大変感銘を受けた。

 文化財は、長い年月の中で、災害、戦争など人災を回避して、先人達の努力によって奇跡的に今日、見ることが出来るのである。
 
 保護されるべき史跡は、最小限の発掘範囲で、整備に必要な情報を得ねばならないだろう。
 新たな発見があれば、途中で計画変更になるかもしれない。
発掘・調査記録は終わってからでなく、進行中から公開していただきたい。
インターネットで、公開していただけるとなお嬉しい。

 現在の春日山は、廃城後、生えた樹木、植えた樹木がほとんどである。
史跡保護のために伐採する地域、または現在の環境保全のためそのまま維持しなければならない地域があるだろう。
 伐採により、遺構が壊れることもあるので、慎重にお願いしたい。
 
 既に発掘した地層の中から、植物遺体(植物の種や花粉、枝)が出ているはずだ。
 これと同じ種子を、山に植えてはどうか。
謙信公がご覧になった、花々が見られるかもしれない。
 ただし、計画書にもあるよう、生態系を壊さないよう、国産種子でなければならない。
 このように植生復元ひとつとっても、気の遠くなるような作業と年月そしてお金が必要なのである。

 私はこれまで、春日山の深い森に入る度、謙信公の気配を感じてきた。
木々のざわめき、鳥の声に、ふと、とうの昔に亡くなった城の主の声を聞くのである。
 植物にも、生物にも、万物にはすべて、命が宿る。
謙信公の遺した春日山ではぐくまれた命を、幾度なく繰り返し、繰り返し、今に伝えてきている。
人も生まれ、また土に帰る。

春日山の豊かな自然に守られ、いつまでも、謙信公の御霊が安寧であられますよう、願ってやまない。

いづな薫                            下記に追記。

【2010.05.21 Friday 09:50】 author : いづな薫 
| 春日山問題 | comments(12) | trackbacks(0)|
この記事に関するコメント
読ませていただきました。
いずれ私の思いも書いてみようと思います。
感想も含めて。
| 滝沢いっせい | 2010/05/21 9:09 PM |
滝沢さま

いつもお世話になりありがとうございます。
お読みくださり、お礼申し上げます。

| いづな薫 | 2010/05/22 9:46 PM |
最後の一文を拝見し、私自身、春日山へ行った時のことを思い出しました。
人気の少ない山道を下るときに感じた、辺りに漂う謙信公の気配・・・。
御霊に護られた山里は、いつまでもそこに居たくなる雰囲気に満ちていました。

謙信公の愛されたこの地が、これからもお屋形さまの志を受け継いで、いつまでも続いていくことを願っています。
| 優璃 | 2010/05/23 1:09 AM |
>植物にも、生物にも、万物にはすべて、命が宿る。
そうですね。言霊が幸わっていて、感動しました。
| 晋作 | 2010/05/23 10:45 AM |
優璃さま

コメント、心より感謝申し上げます。
春日山の木々に囲まれた山道、良いですよね。
私も大好きです。

>謙信公の愛されたこの地が、これからもお屋形さまの志を受け継いで、いつまでも続いていくことを願っています。

 ”謙信公がここで生まれ、生涯を終えた”と言う、かけがえのない土地ですものね。

 
| いづな薫 | 2010/05/24 9:16 PM |
晋作さま

感慨深いコメントをいただき、感謝申し上げます。
万葉の昔から、日本は、言霊の幸(さき)い幸せがもたらされる国ですね。
森羅万象、みな意味がありこの世に存在している。
それを身近に感じられる森と言う存在に、人は惹かれるのかもしれません。
| いづな薫 | 2010/05/24 9:26 PM |
『「春日山の木を伐るべからず」謙信公の書状〜そしてシンポジュームの提案』

いづなさま

ご存知でしょうか…

(以下、である調ですみません)

春日山に詳しい知り合いから、謙信公が春日山の木々を伐らないように指示した書状があると聞いた。「上杉謙信の足跡」鳥羽正雄監修・室岡博著述(昭和44年・日本城郭資料館出版社)に紹介されているという。
複数の書状があり、ひとつには「春日山の立木竹を伐るべからず」いまひとつには「実城(みじょう)はいうに及ばず、二の郭、三の郭にも塀を申付け候」とある。木の伐採を禁じた理由は、敵方が下から見上げた時城の全容を掴ませないためだと考えられているそうだ。推測するに、春日山を離れた謙信公が、城の部下に命じた書状と思われる。

同じ方から。杉が遺跡を傷つける理由は、「杉は根が浅く、風や大雪によって、容易に倒れる。まずいのはそのとき根が跳ね上がることで、土を掘り起こし、城郭ののり面を破壊するから」だそうだ。根が深い木は逆に遺跡を傷つけにくいとの事。従ってこの方は、杉の伐採に積極的である。

#######################################

先に春日山保存計画でやり取りさせていただいた皆さま、一度シンポジュームを開きませんか。春日山の保存計画と伐採、史跡保存・復元等について。
今ご紹介した方のような地元の推進派の皆さん、歴史家、計画書を作成した市担当者、そして伐採に懸念を表明されている皆さん、一堂に会して。
中と外で異なる視線の持ち主が、思いや考えをぶつけ合ってみる。そこから新しい理解や方向性が生まれるかもしれません。
設定なら、いつでも私がしましょう。いかがですか。
| 滝沢いっせい | 2010/05/26 5:58 PM |
滝沢いっせい様

いつもお世話になり、感謝申し上げます。

 まず、結論から申します。
シンポジウムは、現段階では必要ないと思います。

理由です。
私は、史跡保存が最も重要と考え、史跡破壊する木の伐採は否定しておりません。
歴史を愛する他の皆様も、同意見ではないかと存じます。
 謙信公が伐ってはいけないと450年ほど前に仰ったから、シンポジウムが必要でしょうか。
 再検討が必要な時は、計画書や整備事業に問題があり、内容を変更すべき時だと思います。
 私は、計画書を拝見し、良くないものだとは考えておりません。
 しばらく整備経過を拝見し、意見ある時はまた述べたいと思います。

 より良き史跡保存を、心より願っております。
 滝沢様のご尽力、感謝いたします。
| いづな薫 | 2010/05/27 1:49 PM |
了解しました。
シンポジュームというか、角度の違う意見を持った皆さんが、青空のもと、話し合えたら楽しいかなと思ったまでのことなのです。あまり深く考えずに、提案してしまいました。ごめんなさい。
ま、地元では一度、どう復元保存していくのか、話し合いたいとと思っているところです。お騒がせしました。
またよろしくお願いいたします。
| 滝沢いっせい | 2010/05/27 11:19 PM |
滝沢いっせい様

お返事感謝申し上げます。
しばらくは、良き史跡保存を願いつつ整備を見守らせて下さい。
 もしかしたら、また”登城”するかもしれません。
私は上越に伺った時、その場で知り合った上越または各地の謙信公ファンと談話するのが楽しみです。

>ま、地元では一度、どう復元保存していくのか、話し合いたいと思っているところです。

滝沢様ブログの記事を、楽しみにしております。
いろいろお考え下さり、お礼申し上げます。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
| いづな薫 | 2010/05/28 11:20 PM |
 いづな様、非常に熱く・気高く・真摯な「春日山」への想いを感じいりました。
 私もこの度の春日山保存計画書を拝読させていただきました。この件について一言私なりの意見を述べさていただきたいと思います。

 計画書は、非常に総合的に多角的な面から練られていました。
遺構主義から景観主義、史跡⇔歴史⇔景観の関連性、防災面、植生の調査等々、きわめてロジカルに構築されていました。
 端的に言うと、「フィジカル」「合理的」に編成されているといった感がありました。行政官庁が行うものであれば至極当然でしょう。
 ただ、「春日山城史跡」が全国の他の史跡と決定的に異なっているという観点が抜けていました。他の史跡と決定的に異なる点とは、何でしょう?
 それは、2つ

〜換饂馨觧棒彜儻来訪者数ベストワンでありながら、
               なにも「ない」ということ。
 城跡もなければ、もちろん石垣もない。城下の名残りもない。

△修靴董∨れる方の70%がリピーターだということ。


 この2つの点は、まさに決定的に異なる点であり、どこの史跡にもあてはまらない「異常」な点でもあります。しかし、実はここに「春日山」の秘密を読み解く鍵があるのです。

 私も当然ながら計画書に書かれているように、春日山の史跡保護・保全には賛成です。100年前の春日山の写真を目標に整備を行おうとする「フィジカル」な方向性は残念ながら否めないかもしれません。しかし、肝心なことは、決して「仏像を作って、魂を入れず」になってはいけないということです。
 では「魂」とは、一体何でしょう?

 やはり、春日山城は上杉謙信公が主(あるじ)でした。
 大切なのは城の主が、「何を考え」「何を想い」「何を為そうとしたのか」ということです。名刀が名将を選ぶように、春日山も謙信公を選びました。偶然ではありません。堀秀治は選ばれませんでした。春日山全体はやはり聖地です。
 謙信公が、あの戦国の下剋上の時代に示した「義」というスピリッツ。世界的にみても、とても稀有な精神性を掲げ、そして自らが実践したということ。
 「義」とは旧字体で「我」を「美しく」と書きます。言葉で言うのは簡単ですが、謙信公が己の命を削って壮絶な生涯の中で体現しました。この謙信公が紡いだ「義」という遺産に、

慶次郎が惚れ、信玄が痺れ、信長が嫉妬し、家康が手本とした。


 そうです、謙信公が切望したものは目に見えるハードではなく、目に見えない価値「聖諦第一義」だったということです。
ですから、全国・北海道から九州から来られるファンの方々は、「なにもなくても」、謙信公の「聖地」に来られるのです。
千の風やインディアンの言い伝えのように、その土着の先祖の「心」は、風となり水となり光りとなって、その地に生きている。と。
直江兼続たちが後世に引き継いだ「義の系譜」は、現代でも感受できる方々へバトンが引き継がれているのです。
 イギリスのストーンヘンジも、その意味が分からなければ、ただの石柱にしかすぎません。しかし分かる方には分かるもので、ことさら石に説明書を書いたり、周りにベンチを置いたりはしないでしょう。事実、春日山アンケート調査でも過半数の方が城の復元等は望んでいないと回答されていました。

 春日山の周辺環境(植生・山林・植物)について。
 私の好きな庭園の中に「竜安寺の石庭」があります。ご存知のように中央に大小の石が点在し、周りに油土塀が配されています。植物・緑は一切、排されてシンプルで、なんとも癒される空間です。多くの方々はこの庭園の主役は、大小の石だろうと思われるでしょう。しかし、実は周りの「油土塀」こそが主役だという専門家の見識があります。あの地味で、しみのような空気のような存在があるからこそ、無限のイマジネーションをかきたてられるのです。
 翻って、春日山は城に関する遺構は「なにもない」史跡です。しかし、そこに杉木立や植生が油土塀のように存在しているからこそ、多くの観光者はそこに謙信公の気配や歴史の片鱗をイマジネートしているのではないでしょうか。
 また、神社や仏閣に杉木立や森があるのは、神様や精霊への「鎮魂」と「慰霊」のためといわれています。

 また、春日山を保存管理する上で整理しておかなければならないポイントとして、
(1)戦国時代当時の、前線基地としての城郭として整備するのか、

(2)歴代の武将たちへの、鎮魂と慰霊のために整備するのか

 方向性によっては、大きく分かれるところです。
 謙信公ファンであれば、彼は決して「好戦的な武将ではなかった」ということを知っています。軍神といわれたイメージからは、一般の方々には意外に映るかもしれませんが、何より平和を求めていた武将です。ですので、計画では一般的なイメージが優先されるのでしょうか、複雑な気持ちです。


 以上、長々と書き連ねてしまい恐縮ですが、これだけは計画の関係者の方々・行政関係の方々にお願いしたい旨です。
 それは、城主であった上杉謙信公という武将が、もっとも尊んだ「義」の心を紡いだ聖地として、何より「形」より「正しき心」を切望したということを共通のコンセンサス(共通意識)として持っていただきたいということです。

 最後に、現在「新潟日報」紙面で連載している火坂雅志氏の「真田三代」から先週、印象的な場面を紹介して結びとします。



 直江兼続と真田幸村が酒を酌み交わすシーン。(抜粋要約)
幸村「上杉家の義とは、おのれを満足するための義として唱えているのではないか?」
兼続「わしも以前、不識庵様に同じようなことをたずねたことがある」
幸村「なんと、あの不識庵様にか!」
兼続「そうじゃ。生意気にも、人助けのために無駄に兵力を浪費するよりも、天下を平定するために京に御旗を立てられたらとな」
幸村「して、不識庵様は何と…」
兼続「不識庵様は、そのほう、人助けが無駄ないくさだと思うか。天下を取るだけが道ではない。大きな力を手に入れた者は、弱き者、小さき者の痛みを忘れ、手に入れたものを保つことのみに汲々(きゅうきゅう)とするようになる。わしは、そのようにはなりたくはない。人が人として本来あるべき美しき姿を追い求め、背筋をのばして天に恥じぬ生き方をつらぬきたいものだ、とな…。」
幸村「…さわやかな生き方でございますな。」





| 越後義太郎 | 2010/05/29 7:29 PM |
越後義太郎さま


繁忙期&出張で、お返事大変遅くなり、申し訳ございません。
春日山の件では、多大にお世話になり感謝申し上げます。
これからも共に、活動して参りましょう!

>〜換饂馨觧棒彜儻来訪者数ベストワンでありながら、なにも「ない」ということ。城跡もなければ、もちろん石垣もない。城下の名残りもない。
△修靴董∨れる方の70%がリピーターだということ。

 訪れる人は、形を求めてはいないのですよね。
謙信公の生きた地、そして今もある御霊に会いたくて訪れるのだと思います。

>大切なのは城の主が、「何を考え」「何を想い」「何を為そうとしたのか」ということです。名刀が名将を選ぶように、春日山も謙信公を選びました。偶然ではありません。堀秀治は選ばれませんでした。春日山全体はやはり聖地です。

 謙信公が、春日山城の普請を繰り返し、且つ三方を取り巻く山々に転々と砦を配置しています。
 敵、特に信濃・越中勢の来襲に備えて、謙信公が、命がけで城及び、周辺を整備したのが伺えます。
私は春日山に登城する時、戦略と経済の天才がその頭脳を駆使して築いた縄張りを感じます。
 
>「義」とは旧字体で「我」を「美しく」と書きます。

 いいお言葉です。
義太郎様のお話を伺う度、いつも進むべき道が見えてくる気持ちがいたします。
 仰るとおり、体現するのは難しく、謙信公は身を削っての壮絶な生涯になったと思います。

>慶次郎が惚れ、信玄が痺れ、信長が嫉妬し、家康が手本とした。

 西郷隆盛か上杉謙信と言われるくらい、昔から多くの人を魅了していましたね。

>直江兼続たちが後世に引き継いだ「義の系譜」は、現代でも感受できる方々へバトンが引き継がれているのです。

 引き継いで下さる方が増えるよう、教育に力を入れねばなりませんね。
 整備事業で、春日山城をアピールするより、教育の方が手っ取り早く史跡保存に役立つと思います。
 
「竜安寺の石庭」、私も好きです。
一見抽象的な空間ですが、宇宙があり、想像をかき立てられます。

>神社や仏閣に杉木立や森があるのは、神様や精霊への「鎮魂」と「慰霊」のためといわれています。

 戦が嫌いだったのに、逝去後も、甲冑を着せられてしまった謙信公、もう、静かな杜に包まれて安寧の時を過ごして頂きたいと思います。
 前線基地のような整備は、好みません。

火坂さんの小説も、興味深いです。
上杉家を良くご存知の方だからこその、セリフですね。

 お忙しい中、多方面でお世話になり、且つ貴重なご意見賜り、義太郎様には心より感謝申し上げます。
 これからも、よろしくお願いいたします。
| いづな薫 | 2010/06/05 10:31 AM |
コメントする









過去のページへ
この記事のトラックバックURL
http://cafe.kenshingen.fem.jp/trackback/1373901
トラックバック

戦国カフェオリジナルグッズショップです。 戦国カフェオリジナルグッズショップへ
    いづなへメール

 仕事(技術・研究系)と人と環境に優しい生活を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、野球、音楽、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住→東京→Toronto

   当サイトは、コピー、転載、ダウンロード、直リンク、持ち出しは禁止です。
◆ 著作権はすべて、
いづな薫に属します。
 過去のページへ


   にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
   にほんブログ村。
   ランキングはお休み中