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since 2007.5.21 後藤象二郎あて、坂本龍馬の手紙草案を発見! | 戦国カフェ
   
 
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後藤象二郎あて、坂本龍馬の手紙草案を発見!


坂本龍馬の第一級史料が、出て来た。
慶応3年10月13日付け、後藤象二郎に宛てた書簡である。書簡は縦20cm、横78cm。
 見つかった場所は、高知県の民家である。

慶応3年(1867)10月3日 後藤は龍馬の大政奉還の考えで構成した、建白書を15代将軍徳川慶喜に提出する。
 手紙日付の10月13日、慶喜は40藩の代表を京都二条城に集めて、意見を聞いた。
 15日、大政奉還が正式に成る。朝廷に政権が返却されたのである。
(この間、13日には薩摩、14日には長州に倒幕の密勅が降りている。)

まさに、息を呑むような政治折衝が行われた時期である。
 
 二条城で、政権奉還案を聞いた土佐藩代表は、後藤象二郎である。
今回の手紙は、二条城に向かう後藤を、龍馬が、叱咤激励している内容である。
私は、この手紙を今まで写真で見て来たが、実物が出て来たことに、大変驚いている。
 
 手紙の内容は、以下に要約する。

 建白した大政奉還が行われない場合、後藤は殺されるかもしれない。
その時は、海援隊を率いて、二条城から出て来た将軍を殺す。
後藤先生とは、墓の下で会おう。
 万が一、後藤先生が失策のため、このチャンスを逃せば(大政奉還に失敗すれば)、薩長から責められるだろう。

10月13日 龍馬
 後藤先生 


 温厚な龍馬が、後藤の襟首つかんで、死ぬ気でやれ!と、厳命する気迫が伺える。
 もちろん手紙なので、襟首つかんでいないが、維新回天に向けて、龍馬の必死の覚悟と緊迫感が伝わって来る。

 一方薩長は、慶喜が大政奉還を受け入れるとは信じていなかったので、倒幕の密勅を願い出て、手にしている。
 しかし、薩長も、大政奉還により平和的に政権が返され、新政府樹立できるならそれを望んでいる。
 (この時点で武力倒幕か大政奉還かは、AorBでなく、選択肢の一つと考えるべきだと存ずる。)
 大政奉還は、最後の将軍・徳川慶喜の英断にかかっていると薩長は認知しており、龍馬も文面でそれを気にしていると見える。

 重圧からか、龍馬は手紙の中で、先生(後藤のこと)を”生生”と書き損じ、横っちょに小さく””と書き直している。笑
 この書簡は、草案で控えである。
「後藤が登城する時に渡した手紙の草案なので、見て下さい。」と文中に龍馬が書いている。
 親しい他の誰かに、見せた物らしい。


赤い旗青い旗毎晩、ワールドカップにウツツを抜かしているいづなですが、目の覚めるような龍馬の手紙発見でした。
 死のグループ、ポルトガル×コートジボアール、イマイチな試合でしたな。
 C・ロナウド、厳しいマークで、唯一彼の見せ場だった前半11分のシュートも決まらず。。次回に期待。

【2010.06.16 Wednesday 20:19】 author : いづな薫 
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 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
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かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

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