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since 2007.5.21 ハーバード大学 白熱教室 「善き生を追求する」後編 | 戦国カフェ
   
 
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ハーバード大学 白熱教室 「善き生を追求する」後編
Lecture24 正義へのアプローチ

学生たちが白熱討論した、同性結婚問題について、マサチューセッツ州最高裁判所の判決が出ている。

多くの結婚は、男女間に限るべきであり、同性愛行為は道徳的に反すると言う、強い宗教的、道徳的な信念を持っている。
同じに多くの人が、同性愛者には結婚する資格があり、彼らは異性愛者と等しく扱われるべきだと言う。
同性愛に強い宗教・道徳的信念を持っているどちらの見解も我々の前にある問題に答えていない。

 重要なことは、個人の自立性と法の下の平等の尊重である。
重要なことは、個人が2人だけの約束を交わす相手を自由に選ぶことである。


 つまり、選択の道徳的価値ではなく、個人が選択する権利だと言うことだ。
リベラルで、中立的、主意主義的立場で、自立、選択、同意を重視している。

しかし、裁判所も、同性結婚を認めるために、リベラル且つ個人の中立的主張だけでは上手く行かないことに気付いている。
 学生たち同様、同性婚是か非かの間で議論が分かれていたのである。
 そして、自由意志で、親密な道徳価値に政府が本当に中立なら、違う政策を取ったはずである。
 同性婚が、結婚と言う社会制度に合致しているのか?

 CNNを見ていると、マイケル・キンズリー氏と言うジャーナリストが出て来る。
 サンデル先生は、彼の意見を例に挙げる。

 「教会やデパートカジノなどに、自由に結婚式を提供させよう。
カップルに望みどおりの挙式、好きな時に結婚したと考えさせよう。
政府が係わっていなければ、気にすることはない。」

 これは、マサチューセッツ州最高裁判所の判決とは異を唱える。
判決は、結婚の定義を同性を含む所まで、拡大している。
民事婚は、深く個人的な約束である一方、相互関係、貞節、交友、親密さ、家族の理念に対する、公的な称賛である。
判決は、リベラルな中立を遥かに越えている。
公式な承認とし、結婚を名誉あるものとして、祝福し肯定している。


 裁判所は、「結婚は、目的の議論を避けられない。」と気付いたのである。
判事は、結婚の目的は生殖であると言う概念を検討し、却下したのだ。
受胎能力あるなしは条件ではなく、死に瀕した人も結婚するかもしれない。

結婚の目的を、こう結論付ける。
生殖ではなく、パートナーのお互いに対する恒久的な約束が結婚の本質的な点であり、目的である。

サンデル先生の言いたいことは、同性結婚に賛成でも反対でもない。
道徳的宗教的問題に、中立の立場を取りながら、同性結婚を支持あるいは否定できる主張に、反対なのだ。


 私たちの社会で正義と権利をめぐり、激しく争われる議論の幾つかには、ただ同意の選択と自立の問題から、中立であろうとしても上手く行かない。
中立でありたい裁判所でさえ、無理だとわかった。

 善の論じ方の問題は、どうだろうか?
正義と権利の議論において、善を論じることが避けられないのなら、論じる方法はあるのか?
 私たちの正義、権利よき生についての議論は、アリストテレスが指摘したとおり、のやり方で進んで来た。
 個々の事例や出来事の問題、私たちの判断は、行ったり来たりしていた。

 行ったり来たり・・・サンデル先生は、ロールズの「反照的均衡」を挙げる。
反照的均衡とは、個々の事例について、私たちが下した判断とその判断の根拠となる一般原理との間を”行ったり来たり”することである。
ロールズは、言う。
正義の概念は、自明の前提からは導き出されえない。
それは多くの考慮事項が相互に支えあい、すべて1つの首尾一貫した見方にマッチさせることで、正当化させる。

 現代は善についての考え方が、多元的で、論理的に考える良心的な人たちでさえ、道徳的宗教的には意見が合わない。
 善き生と、道徳的宗教的問題の間には、絶えず相違がある。
それが真実だとしたら、正義については正しいと言えるか?
私たちは多元的社会では正義について、合意しないのではないから、
意見の幾つかは、道理にかなった当然の不一致ではないか?

 どちらも意見が合わねば、対話の相手として意見を交える。
他者の見解を聞き、時には自分の見解を見直す事により自分の見解をを強化するよう説得する。

更なる意見。
リベラルな懸念が残っている。
道徳、宗教に関して意見が異なるのと同様、正義の意見が異なるのを当然と考えるようになったら、どうだろう?

 どうしたら、意見の合わない人たちを尊重できる社会になれるだろうか?
私たちが、どのような尊重の観念受け入れるかにあると思う。
 リベラルな観念では、同朋市民の道徳的宗教的信念を尊重することである。
いわば、政治的目的のために無視することである。
道徳、宗教的信念を脇に置いたまま、自分達の政治的議論を進めることである。
 しかし、民主的生活に欠かせない相互尊重理解の唯一の方法でもなく、最も妥当な方法でもない。
 相手を道徳、宗教的に深く学んでも、相手を好きでなくなることはありうる。

 サンデル先生は言う。
他者を深く考え、関与していくことは、私たちの多元的社会に、より適切なふさわしい理念に思える。
 道徳的、宗教的、意見の相違が存在し、人間の善について究極的な多元性が存在する限り、道徳的に関与することで、私たちは様々な善を理解することが出来る。


先生の語る正義や善は、世界中または、私たちの身近で小さなコミュニティーまで、当てはめて考えることが出来る。
 例えば、職場の人間と意見が合わなくても、多くの日本人は、多民族国家から比べれば、比較的付き合いやすい人間と付き合っている。
 世界には、もっと難しく困難な人間関係や社会があることを、海外取引のある仕事及び人間関係、そして少なくともニュースで知らされる。
 正義とは何か、善とは何か。
 永遠に解決できない問題を考えながら、私たちは答えを日々生きている。
答えは出ないと感じながらも、生活しながら、哲学を避けては通れないのである。

毎回、面白い講義をして下さった、サンデル先生に感謝したい。
お付き合い下さった、戦国カフェ読者の皆様にもお礼を申し上げる。
サンデル先生、来日するんですね〜。

【2010.06.23 Wednesday 15:43】 author : いづな薫 
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 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

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