大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 弟・岩崎弥之助の三菱 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
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弟・岩崎弥之助の三菱
兄・岩崎弥太郎の死後8ヶ月で、弟・岩崎弥之助社長は、三菱を手放す羽目になる。

弥太郎没してなお、三菱は、共同運輸との熾烈なビジネス戦争を続けている。
この日本国内の2社が競り合うことにより、海外の海運会社が日本に勢力伸ばして来るのは目に見えている。(以前もそうだった。)
共同運輸、三菱、共倒れの危機が予測された。
 政府は今まで三菱を潰すため、共同運輸に巨額の投資をしている。
海外企業が日本を席巻すれば、その金も努力も水の泡。

 政府は、宿敵三菱と共同運輸の合併を目論むのである。
新しい会社名は、日本郵船会社、出資比率は三菱5対共同5であった。
そして、三菱は海運業から完全撤退を余儀なくされる。
 三菱は、幹部と職員500人余と1000人ほどの船員を手放す。
社長は、共同運輸から出た森岡昌純である。
 しかし、かねてから共同運輸のの株主には三菱関係者が多く、三菱が実益を取ったと言えなくもない。
 筆頭株主は彌太郎の息子で、三代目となる久弥。
次が大蔵省、3番目は弥之助である。

 しかし、兄・弥太郎が血を吐く思いで築き上げた三菱の社名は、この世から消えてしまった。
 
 弥之助は奮起し、1886年新会社設立した。
新社名、三菱社である。
事業は、弥太郎時代の海運1本ではなく、銅山、水道、炭鉱、造船、銀行と多岐に渡る。

 戦後の財閥解体などあったが、三菱が現在のような多角経営に発展したのは、弥太郎の弟・弥之助からである。
 第一次世界大戦時、世界中の船舶不足から、三菱社の造船部は、空前の好景気を迎える。

 兄弥太郎は、海運業1本に賭け心血を注いだが、共同運輸との争いで、疲弊し弥之助が社長就任まもなくこれを失ってしまう。
 弥之助は、同じ轍を踏むまいと、さまざまな業種に目を向け、三菱を再興したにちがいない。
 弥太郎は、三菱の偉大な創立者だが、弟・弥之助もまた、巨大企業三菱の根幹を創った偉人である。

 現在、東京丸の内大手町界隈は、瀟洒なビル、都会的な美しい街並みが続く。
 私は東京育ちで、ビル街に特に感慨もないが、景観もごみも落ちていないし、この辺りは本当に綺麗だと感心する。

 この一帯を明治期に128万円で買い上げたのが、岩崎弥之助である。
128万円、当時の東京市の1年分予算の3倍にあたる巨額である。
 三菱ヶ原と呼ばれ、そこに、鹿鳴館や岩崎邸(現・・旧岩崎邸庭園洋館、撞球室ビリヤード場)を設計したジョサイア・コンドルによって、三菱一号館が建てられた。
 三菱館は次々に竣工され、明治44年までにその数、13号館になった。
ロンドンのような、街並みだと評されたと言う。

 弥之助は、その晩年欧州アメリカを歴訪する。
イギリスでその国民の気質と、思考に大いに刺激を受けた。
 「英国の中流以上の人は、商業の如何を問わず、品行方正で、厳粛、最も責任を重んじ、最も心を専一し、最も忠実にし、最も信義を尊び、規律を守り・・・。」

 弥之助は、「日本にある会社の重役達はこのような欧米人と同じくするものが、幾人あるだろうか?」と言っている。
 彼は、社の指導的立場にある者に、または一般国民に規律とモラル、品性を求め重んじている。
 数々の教育・文化事業、福祉にも力を注ぎ、1904年54歳の時兄と同じがんに倒れた。
 難しい上顎がんを治療をしながら、4年生き、1908年3月25日逝去した。
物静かで、温厚な三菱2代目は、医師が驚くほど病苦にも忍耐強く、その偉大な生涯を終えている。享年58。

【2010.12.04 Saturday 08:41】 author : いづな薫 
| 龍馬伝 | comments(2) | trackbacks(0)|
この記事に関するコメント
こんばんは〜。
先日はこちらこそ失礼しましたm(_ _)m

うーん、こうしてみると、岩崎家主役でも大河ドラマ作れそうですね。というか、観たい(^_^;) そろそろ侍や姫以外が主役の話もいいんじゃないかと思うんですが。(むか〜しの大河ドラマにはあった筈。)

軽くググってみると、弥之助の後に弥太郎の子久弥、その後に弥之助の子小弥太が嗣いでるんですねえ。弥太郎と弥之助の良好な関係の表れと取るのは、解釈が甘すぎますでしょうか。

龍馬暗殺の検証も面白かったです(^_^;)
京都見廻組が犯人だとしても、誰の指示か、実行者は誰か、最初に事件を察知したのは誰か、といった細かい点で、ズレがあるんですね。本当の事は、やはりその場を見ないと分からないんでしょうか...。

今回はウケ狙いなしです(笑)
| かな | 2010/12/06 9:15 PM |
かな様

お世話になります。今朝方、出張が終わったいづなです。

>岩崎家主役でも大河ドラマ作れそうですね。

明治期の岩崎一家、ドラマティックですよ。

>弥之助の後に弥太郎の子久弥、その後に弥之助の子小弥太が嗣いでるんですねえ。弥太郎と弥之助の良好な関係の表れと取るのは、解釈が甘すぎますでしょうか。

 赤ん坊時、弥之助が具合が悪くなり、兄の弥太郎が必死で看病したとの逸話が残っています。
 兄弥太郎の援助で、教育も受けています。
兄に感謝していたのでしょうね。
 弥太郎は長生き出来ませんでしたが、次々と優秀な後継者が出て、三菱を支えていきます。
いずれの家も仲が良いのは、繁栄の礎となりますね。

>龍馬暗殺の検証も面白かったです(^_^;)

 ありがとうございます。
何分150年近い昔の出来事ですから、不明な点も多いです。
でも、当事者が死亡したことで、公になることもありますね。
かな様、またお越し下さいね〜。
| いづな薫 | 2010/12/07 2:12 PM |
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 仕事(技術・研究系)と人と環境に優しい生活を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、野球、音楽、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住→東京→Toronto

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