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since 2007.5.21 坂の上の雲、感想 「日露開戦」 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
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坂の上の雲、感想 「日露開戦」
 今回、特に興味ある人物が3人いる。
1人は、対ロシア工作員である、明石元二郎
2人目は、金子堅太郎。伊藤博文が、金子に渡米しルーズベルト大統領に日露戦争終戦を助力してくれるよう頼んでいた。
3人目は、戦費調達した高橋是清である。ドラマにこのシーンは出ていないので、高橋については割愛。

戦争勝利は、実際戦場で戦う軍人たちの作戦行動の他に、裏工作によるところが多大である。
彼らは、地位も身分もあったが、いわば裏工作要員である。

明石元二郎、ペテルブルグのほの暗いトンネルで、ロシアスパイが捨てようとしたタバコをくれ、と言った人物である。
彼は、れっきとしたペテルブルグ日本公使館の駐在武官である。
「ポーランドの若者が、戦争に駆りだされ、ロシア政府への不満が高まっている。」そう、スパイは言う。
実際、徴兵、貧困、民族問題で、当時ロシアは皇帝専制政治への今にも点火しそうな火種を抱えていた。
これらに火をつけ、ロシアに内乱を起こし、対日戦争どころではなくしてしまおうというのが、明石のもくろみである。

忍者などで、日本の戦国時代盛んだった諜報活動は、江戸時代にすたり、明治になり再び必要とされてきた。

戦国時代の話を、例を挙げる。
日本の戦国時代、敵国に忍者が行って、誤った情報をわざと流し、戦力を削ぐのは常套手段である。
これを明治期において、対外的にやるようになった。
幾度も書いているが、希代の戦術家であった上杉謙信公の強さは、正確な情報と情報変化による臨機応変な戦術によるところが大きい。
人よりも早く、多く情報を握り、巡ってくるわずかなチャンスを逃がさない。
勝ちは、早い方が良い。
戦が長引いて、勝つと言うことはあまりない。
長引くと、人が多く死に、戦費が増加し、国が疲弊するからだ。
秋山真之も、信玄や謙信を盛んに研究している。その手紙に謙信の言葉が引用されるくらいだ。

明石元二郎の対ロシア工作は、戦艦1隻、2隻にも匹敵する効果があったに違いない。

2人目の興味深い人物、金子堅太郎について挙げる。
彼は、日露戦争時米国に渡り、日本の戦況が有利なるよう工作した人物である。
ハーバード大学ではセオドア・ルーズベルト大統領と同窓生で、電話王ベルとも友人で、明治期の国際人だった。
アメリカの当時の日本人史料には、今も金子の書簡が多く残る。
明治及び日露戦争を記録した彼の書簡は、スパイ小説よりドラマティックで、私も大変な興味を持って読んだことがある。
日露戦争当時、米カリフォルニア州では日本移民増加が問題になっており、差別的な隔離政策を取るほどまでに至っていた。
日本からの、24万ドルにも及ぶ義捐金が送られたにも係わらずである。
ルーズベルト大統領も、カリフォルニア州に対し、改善を求めている。
金子が渡米したのは、そんな時代であった。

彼は、国務長官ジョン・ヘイの顧問、歴史学者ヘンリー・アダムズに会う。
 この会合が、日本の運命に大きな転換を与えた。
日露戦争勝利の助言として、アダムズは金子に言う。

1、日本は、ユダヤ系金融から金を借り、ロシアにユダヤの金が行かないようにすること。
2、ロシア国内の反政府運動を煽動し、内乱を起こすこと。

2において、明石元二郎が、アドバイスをもらったか、それとも明石のアイディアだったかは、定かではないが、結果的に2の裏工作は行われ、功を奏した可能性が高い。

時代は、帝国主義の真っ只中、列強が弱い国を植民地化するのが当たり前である。
戦争を回避しようとする、伊藤博文、明治帝、ニコライ2世。息を吞む折衝である。そして、与えられた戦場で生死をかけて戦う軍人たち。
日露、個々の人間は仲良くできるのに、国と国とが争うというのが悲しい。

PS. 秋山真之の子供の名前が、面白い。秋山大、秋山中、秋山少子。他にも3人いる。
 兄の、「単純明快」が名前にまで影響したか?笑

【2010.12.20 Monday 11:34】 author : いづな薫 
| 坂の上の雲 | comments(4) | trackbacks(0)|
この記事に関するコメント
いづな先生、失礼致します^^!

…嗚呼、遂に日本が世界に於いて成し遂げた最大の快挙への戦が始まり申し候!
当時、いわゆる"有色人種"の国で唯一近代化に成功し、更に、当時列強中最強と言われていた大国ロシアに挑み、様々な策を走らせ、勇敢この上無い兵を揃え、その結果、遂に大国ロシアに勝利したのですから。

…実は、帝国陸軍の軍人であった下拙が曾曾祖父さん、この戦に軍曹として出陣致し、二○三高地の戦いに於いて勲功を挙げ、件の高橋是清蔵相殿より金鶏勲章を賜ったのですが‥その折の自らの戦いを幼き日の下拙の祖父にこう語ったらしいのです…

「儂は覚悟をして一番先頭を全速力で走って敵の陣地に突撃したが、不思議と一発も敵の弾は当たらんかった。
…が、後ろをこっそり走っとった連中から先にどんどん弾を食らって倒れて行った…。」

まさにこの戦い方、謙信公が遺されたあの教え‥
"生きんと戦えば必ず死に、死なんと戦えば生きる"
…を‥"上杉魂"を!‥まさに体現したとしか思えませぬ!!
嗚呼…やはり公は神懸かり的にて御座候…TT!


−追伸−
"〜先生"
…嗚呼‥嗚呼…TT(笑)
下拙、恐悦至極にて御座候!!

"〜先生"に
凍えし我が身
温まり…^^
| 次郎左右衛門 | 2010/12/20 3:25 PM |
次郎左右衛門先生

曾曾祖父さまの貴重な記録の数々、心して拝見いたしました。
誠に感謝申し上げます。

>"有色人種"の国で唯一近代化に成功し、

 当時のロシアの対日外交は、日本を明らかに侮って見ていますよね。
 相手が、欧米ならあの様には出なかったはず。
そして戦争は、1年後2年後とおっとり考え準備不足となったわけですが。

>帝国陸軍の軍人であった下拙が曾曾祖父さん、この戦に軍曹として出陣致し、二○三高地の戦いに於いて勲功を挙げ、件の高橋是清蔵相殿より金鶏勲章を賜ったのですが‥

 大変貴重な証言です。もっと詳しく伺いたいです。
しかも、無事戻って来られたのですね。本当に良かったです。

>「儂は覚悟をして一番先頭を全速力で走って敵の陣地に突撃したが、不思議と一発も敵の弾は当たらんかった。
…が、後ろをこっそり走っとった連中から先にどんどん弾を食らって倒れて行った…。」

 敵弾の前に立った謙信公に似ておいでですね。
曾曾祖父さまは神様に守られた方なのでしょう。

>凍えし我が身温まり…^^

どうぞ暖かくしてお過ごし下さいね。風邪引かれるといけませんから。 |
| いづな薫 | 2010/12/20 3:47 PM |
こんばんは。

原作にも、真之が村上水軍の戦術を参考にした、という箇所がございましたね。「白砂糖は、黒砂糖から生まれる」でしたっけ。読んでいて、この言葉を思い出しました。

それにしても、ふりあげた拳を下ろす先と、タイミングを考え抜き、用意周到に手を打って行動を起こす当時の政治家に比べて、自分の立っている足元しか見ていない今の政治家と・・・。比べちゃいかん、と思いながら、やはり比べて見てしまいました。

失礼しましたm(__)m。
| sayuri | 2010/12/21 10:39 PM |
sayuriさま

毎度お世話になっております。コメントありがとうおじゃります。
真之は、古今東西に戦術研究すごいですね。

>考え抜き、用意周到に手を打って行動を起こす当時の政治家に比べて、自分の立っている足元しか見ていない今の政治家と

列強が弱い国を食い物にして当たり前の時代に生きた政治家は、必死に物事を考えるでしょうね。
もし小村寿太郎が今いたら、国連憲章の敵国条項削除しなけりゃ、国連に金出さないとか、尖閣諸島に自衛隊配置とか、言いそうですね。
| いづな薫 | 2010/12/23 9:49 PM |
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 仕事(技術・研究系)と人と環境に優しい生活を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、野球、音楽、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住→東京→Toronto

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