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since 2007.5.21 馬塚古跡(うまづかこせき)〜謙信公愛馬の墓〜 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
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馬塚古跡(うまづかこせき)〜謙信公愛馬の墓〜


謙信公祭の翌日、春日山と林泉寺に詣で、さらに南高田にある、謙信公愛馬のお墓にお参りした。
愛馬の名前は、放生月毛(ほうしょうつきげ)、1561年激戦だった第4回川中島に謙信公とともに出陣した馬である。

信玄との戦いの時、敵方の槍がお尻に刺さり驚いて、謙信公を乗せたまま走り去ったと言われている。
川中島から76km離れたこの地に謙信公と共にたどり着き、力尽きて倒れ、軍馬としての使命を終えた。
春日山城まで、あと8kmあまりの場所である。
このあたりは昔、馬塚町と呼ばれ、馬塚がその名の由来だ。
放生月毛が亡くなって今年でちょうど、450年。

450年も語り継がれる名馬、「放生月毛(ほうしょうつきげ)」は、謙信公にとって特別な馬だったに違いない。
戦国武将は馬をとても大事にし、武田信玄の館跡からも北枕にして大切に葬られた馬の遺骨が見つかっている。
信玄公の愛馬、「黒雲」かもしれない。

「甲越信戦録」と言う文書に謙信公が第4回川中島合戦の後、お供と共に春日山に命がけで戻る様子が記されている。
(江戸時代の読み物なので、そのつもりでご解釈を。)
お供は和田喜兵衛(わだきへい)、宇野左馬之介(うのさまのすけ)、和田兵部(わだひょうぶ)の3人と、愛馬・放生月毛(ほうしょうつきげ)。

 川中島から3km離れ、千曲川の「馬場ヶ瀬」と言う所で、謙信公主従に悲劇が起こった。
以下がその馬場ヶ瀬。私も訪ねたことがある。
 
 

謙信公らは、謙信公とは知らない大勢の武田軍に囲まれてしまった。
謙信公を守るため、3人の家臣たちは懸命に応戦。
しかし、和田兵部が討ち死に、宇野左馬之介が10箇所の重傷を負ってしまった。
足手まといなるのを恐れ、宇野左馬之介は千曲川に身投げしてしまう。
 
 謙信公がひどく嘆くのを見た、最後の一人の従者・和田喜兵衛は
「主君のため、家臣が討ち死にするのは世の習い。早くここを退きましょう。」
と、諌めたとか。

 その後、謙信公は放生月毛(ほうしょうつきげ)も失ったことになる、
謙信公と和田喜兵衛は、野武士に襲われながらも斬り伏せ、春日山城に帰還。
和田は、疲労か安全な食べ物もないゆえの食中毒からか、吐血する。
謙信公手ずからの看病を受けたが、絶命してしまったと言う。


南高田の放生月毛のお墓へ向かう時、道を間違えないように必死だったので、気が回らなかったのですが、お供え物を持って行けば良かったと思いました。
近くのイチコスーパーで、にんじん買えるし。
あ、でも、にんじんは16世紀に日本伝来。馬が、食べていたかは微妙。


こちらは高田にある、有名なポストの上の謙信公。馬は、放生月毛か?!
一緒に行ったミルキーさんが、美味しいお肉の当たる葉書を、ご利益ありげなこのポストから投函。
でも謙信公、ベジタリアンだからなぁ・・・。笑

【2011.08.26 Friday 21:44】 author : いづな薫 
| 謙信公祭り見参! | comments(8) | trackbacks(0)|
この記事に関するコメント
謙信公祭りのレポート、ありがとうございます。
私も少しでも体力のあるうちに行きたいです。

当時、馬の優劣は勝敗に直結していたから、名馬は大切にされたんですね。

私の故郷の辺りはかつて小規模な牧場が多く、今でも道端に馬頭観音が沢山残っています。先日訪問した仙台城跡にも、出征した軍馬を記念した立派な碑がありました。
第二次世界大戦までは、馬は騎兵や輸送手段など、現実の軍事力として機能していたんですね。
人間より大切にされていたかも。
| じゃいらーん | 2011/08/26 10:20 PM |
じゃいらーん様

レポートをお読み下さり、ありがとうございます。
戦国武将の愛馬、歴史に残る名馬がたくさんいますね。

>私の故郷の辺りはかつて小規模な牧場が多く、今でも道端に馬頭観音が沢山残っています。
先日訪問した仙台城跡にも、出征した軍馬を記念した立派な碑がありました。

馬牧場の多い地域にお育ちとは、素敵です。
馬は造形的にも綺麗な動物です。
伊達政宗像の馬も主と共に、戦争に供出されましたね。主の方は頭部と胸は残りましたが。

>人間より大切にされていたかも。

余談ですが、タレント馬のギャラは大抵の俳優さんより高いです。笑
| いづな薫 | 2011/08/27 11:23 AM |
愛馬のお墓、立派ですね!!
今も大事に保存されている様子に感心しました。
当時の軍馬はどんな食料がエサだったのでしょう。。。謎★

私が通っていた田舎の学校近く(更地)で終業時間に怪しい牛柄の動物が
よく散歩?運動?していたんですけど、、、
卒業間近になってようやく接近出来たら、牛柄の「馬」さんだったことに
気がつき凄く驚いた時を想い出しました(低次元話ですみません>>汗)
お散歩途中で機嫌が悪くなった時に、御主人がおやつの人参与えてたのが
キッカケで気づいた鈍い自分。(モーじゃなく、ヒヒーンと泣いてた)
後で飼い主さんを知ってる人に聞いたら趣味で飼っている農耕馬
だったそうです。
牛柄でちょっと太め、たてがみがやけにフッサフッサで可愛いので
卒業式まで散歩時間に合わせて逢いに行った人生初の身近なお馬さん。
牛もそうだけど、あのつぶらで濡れた漆黒の目がなんとも可愛い!
今も昔も道楽で買えるペットじゃないだけに、飼い主の想い入れは
相当のものでしょうね〜走る宝石?…でもエサは質素(^_^;)
| ともも | 2011/08/27 2:28 PM |
ともも様

コメントさんきゅ〜。
馬塚、最初は謙信公が建てたのかな・・・と感慨しきりです。
当時の軍馬のえさは、藁や草かしら。
ここんとこ毎年、放生月毛役はマレーボ君(そう言う名前)なんですが、草を食べていた時、撫でました。

怪しい牛柄動物って、ともも様は面白過ぎ。爆

>卒業間近になってようやく接近出来たら、牛柄の「馬」さんだったことに気がつき凄く驚いた

笑笑笑。
ホルスタインみたいな柄なんですかね。
以前、北海道の柄の付いた牛がCMか広告に使われてませんでしたか。

>機嫌が悪くなった時に、御主人がおやつの人参与えてたのが
キッカケで気づいた鈍い自分。(モーじゃなく、ヒヒーンと泣いてた)

笑笑笑。機嫌が悪くなると人参。笑
牛柄でちょっと太め・・・、何だか分かりませんよね。そーなのか?!
座敷犬と言う言葉ありますが、TVで座敷馬を見たことあります。
家の中で夏布団?タオルケット?かけて寝てました。笑

>走る宝石?

たぶん、世界で1台しかない高級車持っている感覚でしょうね。
| いづな薫 | 2011/08/27 2:45 PM |
連投失礼します(^_^;)\
そ〜なのです、ホルスタイン柄(笑)
動物に詳しい友人が、、、
「ウチのじいちゃんは昔、牛柄の羊(メェ〜)を飼っていたから
あれは羊だ!」と言い、別の友人は「あれはロバに違いない!
牛にしては小さい!」などと、怪しい牛柄動物の正体について長く
論じていたのです。(早く飼い主に聞けば良いのに…遠巻きに見てたので)
雪まつりで道産子馬の小馬やポニーちゃんは散々見てたに、、、
足も短めで太く足毛もフッサフサで…まさがあれが馬だとは衝撃でした<爆>
くだらない想い出追加ですみません<汗>
ぜひ!どこぞで牛柄の動物を見たら羊かロバか馬か…ホントの牛か
疑って御覧下さいませ(笑)
| ともも | 2011/08/27 3:42 PM |
ともも様

連投嬉しいです!ホルスタイン柄(笑)
牛柄の羊ってのもいるんですか。
ロバとシマウマのハーフはいますが、ホルスタイン柄じゃないですよね。笑

>足も短めで太く足毛もフッサフサで…まさがあれが馬だとは衝撃でした<爆>

足の短い小型の馬で、フッサフサの茶色なら見たことあります。
遠目で見ると熊みたいでしたが。顔が長いってーの。笑

あ、先ほどお送りいただいた武将隊映像に爆笑です。
どうもありがとうございます。
織田と伊達PK戦と、もう一つの映像で秀吉が、「伊達は遅刻するし、前田は猿踊りするし、わしの家来こんなのばっかり。」
各地武将隊、江より面白いですよ。
また、情報お待ちしております!
| いづな薫 | 2011/08/27 3:59 PM |
連投失礼致します~。

前日に動く放生月毛(マレーボ君)を見ているからか、
何だか感慨もひとしおでした。
(マレーボ君は元気なんですけどね…)

「よく頑張ったね、お疲れ様でした」と
心の中で語りかけていました。
きっと謙信公もそう語りかけながら、あのお墓を建てたのでしょうね。
大切なパートナーですものね。

450年も経っているのに、未だにああしてお墓が残っているという事は、
謙信公だけでなく、地域の人たちにも大切にされて来たのでしょうね。

それなのに、私も電車の時間とかで頭がいっぱいで、
お供えの事をすっかり忘れていました…。

あぁ、謙信公に変な神頼みをした事がバレてしまった…。笑
御利益があって、いいご報告が出来るといいのですが…。
謙信公のみぞ知る、ですね。


| ミルキー | 2011/08/28 11:01 PM |
ミルキー様

連投サンキュ〜。
放生月毛、月毛を英訳すると、「ミルキー」ですわな。笑
お肉の葉書、結果は如何に?!笑

>よく頑張ったね、お疲れ様でした」と
心の中で語りかけていました。
きっと謙信公もそう語りかけながら、あのお墓を建てたのでしょうね。

うるうる〜。
放生月毛は戦死と言える死に方ですからね。馬も人同様、大変です。

>450年も経っているのに、未だにああしてお墓が残っているという事は、謙信公だけでなく、地域の人たちにも大切にされて来たのでしょうね。

謙信公をめぐる逸話は、長くその土地に根付いて語り継がれるのが多いです。
私は旅で訪れた土地で、「あなたのお殿様はどなたですか?」と聞くのです。
「知らない」、しばらく考えて1人2人挙げる人もいらっしゃいます。
謙信公ゆかりの土地はその様なことはありません。謙信信仰が非常に強いです。
武田に塩を送る逸話も、信憑性のある文書には残っていません。
でも、私は事実なのではないかと思っています。
上杉家の領地でもない所に、450年も語り継がれているのですから。
| いづな薫 | 2011/08/29 10:39 AM |
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