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since 2007.5.21 「武神の階(きざはし)」感想 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
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「武神の階(きざはし)」感想
「武神の階・きざはし」を読んでの感想を書く。
主人公は、謙信公である。
これを読んで、謙信公を小説の題材にする難しさをまた感じた。
上杉謙信・吉川英治武神の階・津本陽天と地と・海音寺潮五郎、と言うところか。

小説は、主人公が大いに失敗し葛藤し七転八倒する方が、筆者も書きやすいし、読者にも印象的だ。
謙信公と言うと、とかく戦争芸術家のように書かれがちだが、当時一流の経済人でもあり、そして高僧で、才能が実に多岐に渡っている。
謙信公の思想と切っても切り離せない、仏教の深い精神性が描かれないと物足りない。
これが書けている小説は、皆無と言っていい。

合戦方法についてだが、ナポレオン、織田信長、豊臣秀吉など、相手より多い軍勢を用意して優位に戦を展開させるのが、
常套手段である。
大軍団を組み、大将は軍団を運営して行きさえすれば良い。
織田信長が、一か八かの戦をしたのは、桶狭間だけだ。
数少ない兵士を、高度な戦術で動かすタイプではないのである。
一方、謙信公のように、兵を自在に動かすためにはあまり大勢はいらないと考えるタイプがいる。
これは、よほど高度な戦術と、勇敢さがないと成り立たない。
味方の死など不運に動じない、強靭な精神力ももちろん必要だ。
難しい戦を何度も緻密な戦術で切り抜けた謙信公の脳には、特別な思考回路があるのでは?と思うほどだ。
謙信公と対峙した武田信玄も戦が上手い。
信玄やアレキサンドロス大王、謙信公は世界史を見ても名将中の名将である。

坂の上の雲がもうすぐ始まるが、日露戦争の時も日本は数を揃えて勝とうとしている。(ただし乃木希典以外。)
それをなぜか、40年後の太平洋戦争の時は、数を揃えず敵の優位さをないがしろにし、奇襲作戦、精神論のみ先行し、日本に壊滅的打撃を与えるに至っている。

謙信公は、あれだけ戦に出て大将であるのにもかかわらず白兵戦に参加し、しかも傷を負ったことがない。
戦国武将で怪我したことがないのは、謙信公と本多忠勝くらいだ。
本多は、孫に梨をむいたら怪我したとか、小刀で指切ったら、まもなく死んだとか、そんな逸話が残る。

この「武神の階(きざはし)」、第4回川中島の戦いや、七尾城・手取川の戦いを詳細に書くわけでもない。
小説の終盤、ある冬の昼下がり、謙信公が後継者に決めた景勝に、合戦法を伝授するシーンがある。
これが、全編通じて、1番詳しい合戦描写だ。
武田信玄との戦を語るではなく、リアルタイムの合戦で読ませた方が、臨場感がある。
この小説の特徴として、史料出典を盛んに記述している。
謙信公がとある行動を取った、その根拠は以下。また否定意見があると、その理由は以下、と言うように記述される。
残念ながら、その史料の信憑性の等級を知っている者としては、江戸時代の読み物である軍記物を根拠に挙げてしまっては元も子もなく感じる。
史料は書かずに、フィクションとして話を進めた方が良い。
戦国時代は史料が少ないため、史料でお話を紡ぐにはとてもではないが無理である。

小説は、フィクションが当たり前である。
信憑性の高さを要求するなら、歴史史料を読めばいいのだ。

戦国武将で人気ランキング上位にいつも入る謙信公、その人生を小説に書くのは本当に難しい。

酷評になってしまったが、印象に残った所を挙げる。
謙信公と、戦死した家臣の魂魄の対話が良い。
亡き家臣が今も城に留まるのを知り、
「そなたは川中島でわしのために身を捨てて戦い、矢を受けてみまかったのじゃ。成仏し霊の世界へ向かうが良い。」と教え諭す。
家臣は初めて肉体がないこと覚り(さとり)、名残惜しげに旧主を振り返りながら天上へ向かって行く。
僧侶としての力量が出ていて、主従の対話が、悲しくそして暖かい。

交易に金山に、越後は繁栄を極めている。
戦国随一の経済力を持ち、織田信長でさえその富と力に瞠目した。
しかし、修羅の世に生きる謙信公の心は晴れない。
小説内の謙信公は、先に世を去った肉親、家臣を思いながら孤独な壮年期を過ごしていく。
が、実際はどうなのだろうか。
ある意味孤独かもしれないが、長命だった母、姉、景勝、景虎らに囲まれ、戦国武将としては家族に恵まれたと思う。

毘沙門堂で武田信玄を調伏し、己の運命もまた薄運なのことに気付く謙信公。
春日山の偉大なあるじがこの世を去ろうとする時、化け物が人目をさらし、騒ぎ始める。
髪を逆立てた大男が現れ城内を踏み鳴らし、2,3尺ほどの小さな男が裸馬に乗って城内を走り回り、消える。
天正6年3月初には男女の叫び声が響き、家臣らが駆けつけると何もない。
同年3月13日、不識庵様(謙信公)入滅。
武神の階を上って行った。享年49。

武神ではなく、高僧としての人生を歩みたかったのだろうと思う。
母や姉が長命なので、謙信公も戦に行かず、穏やかな暮らしがあれば、長生き出来たはずと思う。
いずれの人も、生まれる時代場所を選べず、人生は難しい。
その困難な一生の中で、大概の人間は死ぬまで葛藤し、またある人は未練をこの世に残す。

謙信公の、有名な辞世の句がある。
「四十九年一睡夢 一期栄華一盃酒」
四十九年のわが生涯は、一杯の美味しい酒のようだった。
未練が感じられず、なんと潔く、美しいことか。

【2011.12.03 Saturday 09:20】 author : いづな薫 
| 上杉謙信 | comments(4) | trackbacks(0)|
この記事に関するコメント
 いづな先生、失礼致します^^!


 …謙信公の余りに美しく潔い歌にて、下拙、只今総毛立ちおり申し候TT!
お酒を愛された謙信公らしく、人生を一杯の酒に例えており、誠に美しく、且つ粋な歌ですよね。
…先生の仰る通り、公は世が江戸の世の如くに平穏なれば、恐らく目立つことなく静かに質素に人生を送られたことと思います…^^
…戦の世に生まれたのは、いかに神憑り的な才と強運を持っていたとはいえ、果たせるかな、公にとっては喜ばしいことだったのでしょうか…?

 その小説の‥今は亡き家臣の御霊を公の言葉で成仏せしめるシーン、何とも泣け申し候!

因みに、下拙の家はこの下拙の日々用いたる"次郎左右衛門"という名を代々当主が襲名して受け継いで参りました。(浅右衛門殿と同様ですね^^)
公の北陸遠征の折には付き従いて戦い手柄を上げたそうです。
日露戦争にて金鶏勲章を得た曾曾爺さんは、35代目の次郎左右衛門に御座候。


 いづな先生、今回の御話も大変楽しませて頂きました!
勉強になる御話の数々、誠に有難う御座います^^!


−追伸−
 前回の先生の返信、始まりと終わりに「〜まする」と「〜りんす」が仕掛けてあり、まさにサンドイッチに御座候TT!(笑)
| 次郎左右衛門 | 2011/12/03 10:08 PM |
次郎左右衛門先生

コメント嬉しゅうございまする。

>謙信公の余りに美しく潔い歌にて、下拙、只今総毛立ちおり申し候TT!

秀吉の辞世の句と比べると、秀吉は未練満載で差が歴然ですね。
謙信公の清廉な生き方が句にも出ています。

>戦の世に生まれたのは、いかに神憑り的な才と強運を持っていたとはいえ、果たせるかな、公にとっては喜ばしいことだったのでしょうか…?

夢にも戦が出て来ないことを望んでいましたから、苦悩の連続だったでしょう。
ただ、めい想すること常日頃でしたので、誘惑にも、悲劇にも動じない胆力があったでしょうが。

>今は亡き家臣の御霊を公の言葉で成仏せしめるシーン、何とも泣け申し候!

そうなんです!
謙信公を名残惜しげに振り返る家臣が、生前のふたりの関係を表していますね。

>次郎左右衛門という名を代々当主が襲名して受け継いで参りました。(浅右衛門殿と同様ですね^^)
公の北陸遠征の折には付き従いて戦い手柄を上げたそうです。
日露戦争にて金鶏勲章を得た曾曾爺さんは、35代目の次郎左右衛門に御座候。

よほど、御由緒あるお家柄とお見受けいたしまする。
しかも、上杉御家中ですか。
北陸遠征とは、七尾城か手取り川ですか?
一度お話伺いたく存じ候。
今更ながらに、素晴らしい御方からコメント賜り、感謝申し上げます。
| いづな薫 | 2011/12/04 9:25 AM |
 いづな先生、失礼致しまする^^!

 そんなそんな!今まで通りの"天然野郎・次郎左右衛門"にて御願い致しんす^^!

 御先祖様方が主に手柄を立てたのは先生の御想像通り、七尾城攻略の折に御座候。
かの城を内部分裂にて崩す折の頭脳プレーによる手柄に御座候。

…実は下拙の家は江戸の一時期、理由は存じませぬが幼き三歳の男児只一人となり、別の家の養子となりました…。
そして、成人した折にその家の名字を与えられて無事再出発したらしいのです。
故に我が家において、その子以前の記憶が喪失しておりましたが…、昭和の世になり‥新潟は上越よりある郷土歴史研究家がいらっしゃり、祖父が対応に出ると‥その方は開口一番に‥「この家はすごいんです!!」‥と仰り、滔々と我が家の失われた記憶を再び日の当たる場所に戻して下さいました…^^
故に、下拙共々、我が家は皆その方に心より感謝致しおり申し候TT!
…恐らく、御先祖様方が、その方を我が家に招いて下さったに違いありませぬ…^^

…と、ミョ〜にしんみりした返信、申し訳御座いませぬ、先生^^;(笑)


−次郎左右衛門−
| 次郎左右衛門 | 2011/12/04 4:51 PM |
次郎左右衛門先生

貴重なご解説、感謝いたしまする。
ご先祖様は、七尾城攻略に参加されたのですね。
うちの読者様には、言わずもがな謙信公ファンがたくさんいらっしゃいますが、次郎左右衛門先生のコメントには大注目でしょう。

>かの城を内部分裂にて崩す折の頭脳プレーによる手柄に御座候。

遊佐氏を寝返らせた方ですね。
いづなは、次郎左右衛門先生のご先祖様と遊佐氏の顛末について調べたことがあります。笑
すごいご縁ですね。
もちろん七尾城にも参りました。遊佐氏お屋敷の石垣が残っていました。
まだまだ、貴重なお話が伺えそうですね。
これからもよろしくお願いいたします。
七尾城攻略は、謙信公戦術が凝縮した戦でもあるので、また調べたくなりました。
次郎左右衛門先生に、改めて感謝いたします。
| いづな薫 | 2011/12/06 9:46 PM |
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