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since 2007.5.21 坂の上の雲感想 「二〇三高地」 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
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坂の上の雲感想 「二〇三高地」
 クラブワールドカップも見るつもりだったのに、旅順戦のあまりのすごさにサッカーを見損ねてしまった。
その「坂の上の雲」感想行きます。

旅順の乃木軍が動き出すのは、毎月26日と決まっている。
もちろんそれをロシアは知っていて、大量破壊兵器で待ち構えていれば、日本兵を虫けらのごとく殺傷できる。
なぜ、26日かと言えば、
1)南山の戦で勝利したのが、26日だった。
2)前の戦争から火薬の準備するのに1ヶ月かかる。
3)26と言う数字は偶数で割れる。要塞を二つに割ることが出来ると考え縁起が良い。

この程度の頭が、何万もの兵士の命を左右しているのである。
彼らに、旅順攻撃3度目で送り出されてしまったのが、白襷隊(しろだすきたい)である。
各師団から選抜された決死部隊である。彼らの夜襲をロシア軍のライトが照らし、白襷がはっきりと見え砲撃されて、大損害を受けた。
奇襲は、本来なら敵の手薄の箇所を狙って攻めるのが正しい。
これを敵の正面、防御の最も分厚い所へ目立つ白襷をつけて、しかも兵士を小出しに出撃させたのだから、自殺行為に等しい。
最もやってはいけない戦法である。戦法ですらない。
日本の命運が、これらの無能司令部に握られていたのだからぞっとする。
その点まだ海軍は、海上から要塞に向けて攻撃しその堅固さを身にしみて知っている。

明治政府は、これまで戦闘員ではなかった国民を兵隊として戦地で死ぬことを強要した。
戦国時代の兵たちは職業軍人であり(半農もいるが)、仕えるあるじが無能であれば、幾度でもあるじを換えた。
無能のあるじは容赦なく見放され、名門であっても滅びる。
領国を守り生き残るためには、武将は常に有能でなければならなかった。
しかし明治期の徴兵によって駆り出された一般庶民は、あるじがどんなに無能でも換えることは許されず、服従以外にない。
命令に反したり脱走すれば、軍法会議にかけられ死刑を含む厳罰が処せられたのである。
ドラマ中、旅順に駆けつけた児玉源太郎が、乃木の参謀副長大庭を「作戦には何万もの命がかかっている。」と叱っていた。
この大庭は責任を問われ後に左遷されるが、その後結局大将に出世している。
かれは、1万人以上の凄まじい損害を出した第一回旅順総攻撃の立案者である。
長州出身の大庭は、長州閥と言う生まれのためにその地位を保証されているのである。
乃木も同じくだ。
彼は2人の息子を戦死させている。
当時、乃木の指揮官としての評価は決して高くない。
失敗続きの作戦に、わざと病気になり軍から逃れる者もいた。
多大な死傷者を出してしまった乃木、彼の息子の死も同情どころか当然と言う意見さえあった。
(ドラマでは伝令に走る保典がんばれ!と思ったが。)
その作戦・指揮能力がないにもかからず、その地位と体面を児玉にしろ大山巌にしろ守ってやっている。
伊地知に至っては、戦後の論功行賞で何と男爵になる。
旅順で、信じられないような愚策を司令部が行った結果、死傷者なんと6万人に及んだ。
世界戦史上、これほど多大な損害出したのは稀である。

例えば、信長や秀吉は戦の天才ではない。
それが天下人に成り得たのは、軍事的観点から言えば、敵の倍もの軍勢を集め、補給を十分にし、敵を殲滅させるのに都合のいい場所におびき出し、優位に戦を進める戦法に他ならない。
織田信長の偉いところは、一か八かの桶狭間のような戦を、その生涯ただ1度にとどめたことである。
個々の侍の能力を言えば、武田や上杉の方がはるかに上である。
特に越後武者は上方武者の4〜5人分に匹敵すると言われた。
たくさんの有能な武将を抱える、または奇襲戦により勝利できるのは、よほど出来た武将または一部の天才のみである。

江戸時代、幕府が取り入れたのは、信長や秀吉の物量勝る合理的な戦法ではなく、武田流軍学のような個々の能力頼った軍学であった。
現に、日露戦争の日本兵は世界の兵士の中でも最も勇敢な部類で、武道の個人技は大柄なロシア兵士の上を行く。

乃木と言う人物は責任感が強く真面目で誠実、そして大人しい人物であった。
ドラマにも出て来たように、吉田松陰の叔父・玉木文之進に教育を受けている。
松陰もこの叔父に習い、玉木は厳しい人で叱る時は松陰をひどく殴ったという逸話が残る。
私心をなくし、己のすべてを公のために使う教育を叩き込んだ。
それは、頬に虫が止まり掻くのも私心だと言う程だったと言う。
この玉木が、少年時代の乃木を武士として徹底的に教育した。
精神面の教育はしたが、如何にすれば戦に勝てるかの実践教育はしなかったのであろう。
乃木が司令官になり、旅順の近代要塞を前にしてもその見識も、知識を深めようとしたふしもない。
一つ乃木を弁護すれば、軍略に長けた児玉が参謀本部から優秀な人材を引き抜いてしまい、無能な人間が乃木の元に残った。
それを黙って受け入れるのが、いかにも乃木である。

最初秋山真之が、「2階から石を落とすごとく、旅順港にいるロシア艦隊を砲撃してくれればいいんです。」と言った頃とは比べ物にならないほど、二〇三高地は堅固に要塞化している。
ロシアは、乃木が二〇三高地のみに焦点を絞って来たことに気付き、衛生兵をも駆りだして軍備を固め始めた。
二〇三高地を攻める時を遅くしたのが、より被害を拡大させた一因でもある。
チャンスと利点をことごとく無駄にしたこの司令部の戦術を語ってもしょうがないが、戦術は本来、時、天候、地の利、運のすべてを無駄なく駆使しなければならない。
一瞬のチャンスをモノに出来るか否かが、名将と凡将の分かれ目である。

当時、指揮官は兵士が束で死んでもいちいち感情を交えてはいない。
指揮官自身も、己を戦略の駒の一つとして見ていただろう。
個々の人間の幸せを考えれば、明治期は重税、徴兵、戦争と極めて厳しい時代である。
しかし、身分制度を固定した幕府が倒れ、学問すれば誰もが出世出来、その開放感と楽天的な国民感情が戦争の悲劇さえも受け入れたのかもしれない。

さて、クラブワールドカップ柏レイソルが世界の4強に残ったので、14日は必ず見ることにします〜。

【2011.12.13 Tuesday 11:09】 author : いづな薫 
| 坂の上の雲 | comments(2) | trackbacks(0)|
この記事に関するコメント
 いづな先生、失礼致します^^!


 今週の"坂の上の雲"に於ける203高地攻略戦、凄まじい迫力に御座候…!
下拙、劇中の突撃する最前列の兵の中に、若かりし日の曾曾爺さんを見つけ申し候!(ってドラマだぞ・笑)

中でも、最も下拙の脳髄が痺れたシーンはやはり、203高地を制圧した兵士が旅順港をはっきり確認致し、本部に伝えるシーンに御座候…!
…かつての曾曾爺さんも、彼らと同じ様に凄まじい感慨を持って旅順港を眺めていたのかと思うと‥下拙、涙が止まらなくり申し候…TT!!

下拙の実家(加賀藩)には、一枚だけ曾曾爺さんのモノクロ写真が残っています…。
写真は晩年の80を過ぎた頃のものに御座いますが、その姿は‥かつての帝国陸軍の軍服に身を包み、手に軍帽を持って直立不動にてたたずむ極めて凛としたものに御座候…!
…胸部には多くの勲章が付いておりますが、やはり最も輝きを放つのは‥203にて汗と涙で得た左胸の金鶏勲章に御座候TT!

 いづな先生、今週の坂の上の雲も誠に素晴らしいものに御座いましたね^^
次はいよいよ海戦!
秋山殿の活躍が楽しみに御座候^^!

ではでは!


−次郎左右衛門−
| 次郎左右衛門 | 2011/12/13 10:20 PM |
次郎左右衛門先生

コメント嬉しいです〜。

>若かりし日の曾曾爺さんを見つけ申し候!(ってドラマだぞ・笑)

ええっー!?

>203高地を制圧した兵士が旅順港をはっきり確認致し、本部に伝えるシーンに御座候…!

児玉の有名な言葉、「そこから旅順港は見えるか!?」に続き、「見えます!!」ですね。
次郎左右衛門先生の曾曾爺様も、言葉に尽くしがたいご苦労があったのですね。
長生きされたとのことなので、胸を撫で下ろしております。

>下拙の実家(加賀藩)には、

曾曾爺様は、金沢から旅順攻囲戦にご参加だとすると第9師団ですか??
貴重なお写真が残っているんですね。
金沢城の石垣には、弾薬庫に続く大きなトンネルが掘られていますね。

>秋山殿の活躍が楽しみに御座候^^!

ようやく戦術が見られます。笑
| いづな薫 | 2011/12/14 11:01 AM |
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 仕事(技術・研究系)と人と環境に優しい生活を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、野球、音楽、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住→東京→Toronto

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