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since 2007.5.21 上杉鷹山公 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
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上杉鷹山公
ヒストリア「上杉鷹山」の感想を書こうとしたが、番組で紹介されなかった史料も書きたくなった。
上杉鷹山公、日本近世史上屈指の名君である。
10歳で九州の高鍋藩の次男から名門上杉家の世子(世継ぎ)になり、米沢藩第9代藩主となった。
その頃、東北では凶作が続き農民は逃げ出し米沢藩は膨大な借金を抱え、藩を幕府に返上しようかと言うほどだった。

鷹山の強い指導力、深い学識、謙虚で愛情ある人格・思想形成は、藁科松伯(わらしなしょうはく)と細井平洲(ほそいへいしゅう)のふたりの儒学者を除いては語れない。
藁科松伯は、藩主重定の侍医であり、のちに鷹山の侍医にもなった人物である。
この松柏が江戸で名高い学者細井平洲を、鷹山の師として招くことを成功させた。
良き師を得たとは言え、鷹山が藩主になり藩政改革に乗り出したのはわずか17歳である。

かつて、戦国一お金持ちだった上杉家、謙信公の莫大な遺産は吉良上野介の頃まであった。
この吉良上野介の妻が、なんと景勝(兼続の殿)の孫。上杉家のお姫様である。
そして、吉良夫妻の息子・綱憲(つなのり)が世子のいない上杉家に養子に入ったのである。
この綱憲(つなのり)が、米沢城に豪華な建物や舞台、江戸の麻布御殿など好き勝手に作り、ただでさえ金のかかる参勤交代をよけい派手にした。さすが吉良の息子。
しかし、この頃は散財する金がまだあったのである。
鷹山が藩主になる40年前のことである。
その間、幕府の軍役、天候不順による大凶作で財政事情は極度に悪化。
上杉家には囲い金とか、御貯え金と呼ばれる、いざと言う時のために貯めておくお金があった。
それも使い果たし、借金せねばならない状態となったのである。
謙信公が豊かな富と審美眼で集めた、超一級品ぞろいの美術品、刀剣も質草になってしまった。泣
8代藩主重定の宝暦8年(1758)、借り入れ金は2229両にも及んだと言うから、備前長船派の太刀をはじめいかに豪華な美術品があったかが窺い知れる。

鷹山は自らの生活費を7分の1に削り、一汁一菜、木綿ばかりを着ていた。質素なことは下士以上であったと言う。
奥女中も50人から9人に削減。
身を切る覚悟なく既得権益を守り増税を叫ぶ、現代政治家のバカ共とは余りに違いすぎる。

江戸で島津家の馬行事に招きにあずかり、諸家は近習でさえ美麗な着物を着ているのに、鷹山だけが木綿の袴で見苦しかったと言う記録まで残る。
鷹山は、およそ格式に価値を見出さない人物である。
上杉家が、栄華を誇っていたのは昔の話である。
番組でも言っていたが、鷹山は、「米沢藩はかつてのような格式ではなく、小藩である。」
景勝の頃は120万石あった石高は、いまや15万石。なのに家臣は以前のまま5000人もいた。

鷹山は必要とあらば改革を断行し、どんな困難な状況でも覆す不屈の闘志の持ち主であった。
鷹山は、寒冷な東北でも育つ桑の木を育て養蚕業を盛んに、京都から機織職人を招き、材料から製品化までを藩内で行うシステムを作り上げる。
多過ぎる家臣は田畑に労働に行き、武家の妻女は機を織る。
城内の庭に鷹山が自ら田畑を作り、側室お豊の方らも機織を勤めたことが知られている。
これは米沢織と呼ばれ、今でも米沢市議会3月定例会初日には米沢織の着物で議員たちが登庁する。

藩を返上を考えたほどの莫大な借金は、鷹山が亡くなる頃、返済し終わり、財政は黒字に転じた。

最後に、鷹山の家族について触れる。
正室は先代藩主重定の息女幸姫(よしひめ)だが、30歳で病没した時、10歳ほどの体格しかなく心身発育に障害のある人だった。
鷹山は幸姫(よしひめ)をとても大事にし、人形遊びにも心良く付き合った。
幸姫(よしひめ)が亡くなった時米沢にいる実父重定のもとに、10歳くらいの体格の着物が遺品として送られて来た。
それを見て、父・重定が驚いたと言う。
どうして、実父が知らなかったのかこちらが驚くような話である。
この重定、凶荒で農民も藩財政も甚大な被害を受けているのに、豪華な新御殿南山館を建設し
あろうことか火災で焼失、2万両が灰燼に帰した。

鷹山は重定が病に倒れた時も米沢に帰り、高鍋藩の実父・秋月種美(あきづき たねみつ)が倒れた時も、鷹山は懸命の介護を行っている。
家族にも、領国の民にも、深い愛情を注いだのが上杉鷹山という人物である。

受けつぎて国の司の身となれば忘るまじきは民の父母

藩主となったからには、領民の父母である気持ちを忘れてはいけない。
鷹山が、17歳の時藩主になる強い決意を詠んだものである。

また、養子の治広に家督を譲る時、贈ったのが「伝国の辞」である。

一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれなく候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれなく候
一、国家人民のために立たる君にし君のために立たる国家人民にはこれなく候

世界に広めたい素晴らしい名言である。
そして、鷹山は引退し大殿様(おおとのさま)と呼ばれた。

米沢の上杉家御廟所、謙信公ほか歴代の藩主が眠っている。
向かって左にある鷹山公の廟所の隣り奥まった位置に、鷹山の実子で治広(10代藩主)養子となった顕孝の廟がある。
藩主として望まれていたが、19歳の時天然痘で他界。
自らを律し続けた鷹山公が、墓地は「自分のそばに」と願った。
両親である鷹山公とお豊の方の深い悲しみがしのばれる。
お豊の方が81歳の長寿で逝き、4ヵ月後の早朝、鷹山公も睡眠中静かに息を引き取った。72歳。

愛情深く果敢な行動力で民を救った、偉大な大殿様(おおとのさま)は、今も藩祖謙信公のおそばで眠っている。

無性に、米沢に行きたくなった。

【2012.03.23 Friday 21:30】 author : いづな薫 
| 米沢 | comments(4) | trackbacks(0)|
この記事に関するコメント
こんにちは、いずな先生。歴史上数少ない本物の政治家ですね、たしかアメリカ合衆国の元大統領ケネディが、一番尊敬する政治家は誰だと聞かれ、それは日本の上杉鷹山だと答えたそうです。私もそれを初めて知り早速、山形の上杉神社に参拝に行きました。その時に神社境内に大きな毘の旗がありました。丁度バスガイドさんが中学生の集団に説明しておられて、私も聞いたんですが、皆さんこれが有名な毘の旗です、と言っておられました。その時風が吹き、誇らしげにたなびいていましたよ。
| 串かつ | 2012/03/24 8:04 PM |
串かつ先生

コメントうれしゅうございます。

>歴史上数少ない本物の政治家ですね

おっしゃる通りです。
鷹山公は政治家なのだと改めて驚きます。
昨今の政治家は狂ったサンプルばかりなので。苦笑
ケネディ元大統領の演説が、伝国の辞に似ているんです。
私も、尊敬する人は誰か?と一言聞かれたら鷹山公です。
謙信公は尊敬の他いろいろな気持ちがありますので。笑
串かつ先生も上杉神社に参拝に行かれたのですね。
かの地に我がお屋形さまや鷹山公が眠ると思うとなんとも崇高な気持ちになります。
| いづな薫 | 2012/03/24 8:44 PM |
はじめまして、いずな先生。いつも楽しく拝読しております。ありがとうございます!
いずな先生の歴史解説?が歴史好きの私には大変勉強になり、また、今の政治に対する考えも私の心中そのまま!という思いで感動すら覚えています。

私は生まれが新潟市(現在は横浜ですが・・・)なので、上杉謙信公をはじめ、今回の上杉鷹山公も尊敬しております。なので、多少の知識はあると思うのですが、今回のブログを読ませてもらい改めて鷹山公の偉大さを痛感しました。と、同時に、会社にいながら少し涙目になっていました。
あまりの感動にて、初めてコメントさせて頂いた次第です。

これからも歴史話にスパイスを加えて頂き、また政治や原子力発電、環境のことなど、ズバッと切り込んで頂けると思っています。
応援しております!
| バーグマンおたけ | 2012/03/26 12:54 PM |
バーグマンおたけ先生

いつもご覧いただき誠に感謝いたします。
歴史、お好きなのですね、私と一緒です!
政治にも関心が高くていらっしゃり素晴らしいです。

新潟ご出身の方なのですね。
新潟では今でも謙信公が大変尊敬を集めていて、旅行する度感激します。
鷹山公の業績を読む度、これほどまでに偉大な人が存在したのだと崇敬の念を禁じえません。

>会社にいながら少し涙目になっていました。
あまりの感動にて、初めてコメントさせて頂いた次第です。

書き手冥利に尽きます。こちらこそ本当にありがとうございます。
恐れながら、良い同志の方を見つけたを思っております(笑)。
これからもよろしくお付き合い下さい。
またお越し下さいね。
| いづな薫 | 2012/03/26 9:22 PM |
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 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

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