大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
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戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
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花下遊楽
春たけなわの東京・隅田川界隈にお花見に出かけました。
桜こそ日本人の心、いや他の花も負けてはいません。
隅田川沿いの桜、近隣の桃、雪柳、椿、どれもこれも見事です。





いづなが10代から心を揺さぶられ続けた和歌がある。

世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし 在原業平
桜がこの世になかったらどんなに心穏やかだろう。
1200年ほど前に詠まれたこの歌は、今なお、心がかき乱されるような花狂いの想いを伝えて来る。

隅田川に架かる橋に、「言問い橋」と言うものがある。
「伊勢物語」東下りの一説に、
「名にしおはば いざ言問わん都鳥 わが思う人はありやなしやと」と言う歌が出て来る。 
伊勢物語の「昔男ありけり」のモデルであると言われる在原業平が、左遷により京を離れ、隅田川まで来た時に、詠んだ歌である。
その時隅田川に白くてクチバシと足の赤い鳥がいた。在原業平が皆に名を尋ねたが知らぬと言う。
舟の渡し守に尋ねたら、「都鳥」と教えてくれた。
業平は、鳥の名にかけて、遠く京に住む恋人を偲んだのである。
歌中の「言問」が、言問い橋の由来になったと言われている。
全国各地に業平橋の名は多いが、隅田川に架かる業平橋もまた在原業平の名から取っている。

西行法師は武士の身分を捨て、桜に魅せられ、花の下にて春死なむと詠った。
桜は散り際の美しさから、武士の生き様に重ねられて来た。

隅田川沿いの桜道を歩いていて、桜のように散った武士たちの史跡を見つける。

彼らは47人、赤穂浪士である。



元禄15年12月14日、吉良邸討ち入りを果たした赤穂浪士はその帰り道に、隅田川に架かる永代橋に差し掛かる。
永代橋のふもとに乳熊屋(ちくまや)味噌店があり、その初代主人竹口作兵衛は、赤穂浪士の一人大高源吾と俳諧を通じての友人だった。
竹口作兵衛は、浪士の労をねぎらい、店内に招きいれ、甘酒粥を振舞った。
甘酒粥とは、米から作る甘酒のことである。
お礼に、大高源吾が店の棟木に「味噌四海遍し( あまねし・広く伝わるの意味)」と看板を書き残し、あるじ浅野内匠頭(たくみのかみ)のお墓のある泉岳寺に向かった。
赤穂浪士は切腹により世を去ったが、大高源吾の残した看板と棟木の文字が江戸市中の評判になったと言う。
惜しいことに、関東大震災により焼失している。

【2012.04.09 Monday 09:29】 author : いづな薫 
| 歳時記 | comments(2) | trackbacks(0)|
この記事に関するコメント
ご無沙汰しています。

桜満開ですね。
お花見、私は家の近所で適当に済ませてしまいましたが、今年は冬が寒かった分、桜が待ち遠しかったです。

赤穂浪士の逸話は初めて知りました。しかも、関東大震災まで残っていたなんて。
この辺の地域、歴史散歩には最適ですよね。
| じゃいらーん | 2012/04/09 2:20 PM |
じゃいらーん様

コメントありがとうございます。
桜、どこもかしこも見事に咲いています。

赤穂浪士史跡は永代橋の近くを通ったので、せっかくなので立寄りました。
赤穂浪士討ち入りコースを歩いている方が、他にもいらっしゃいましたよ。笑
近くに、芭蕉や平賀源内の史跡もあります。
| いづな薫 | 2012/04/10 7:47 PM |
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かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

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