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since 2007.5.21 謙信公が越えた雪の三国峠 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
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謙信公が越えた雪の三国峠
上杉謙信公が13回通ったと言われる関東進出、三国街道界隈を今回訪ねることにした。
昔は到底困難だと言われた”雪の三国峠”を、謙信公は越えたと言われている。
それをほんのわずかながら歩いてみたい、と言うことで雪山ハイキングをして来た。

東京は桜が終わったが、越後湯沢から近い三国街道あたりは積雪量1m。桜は5月中旬だそうだ。
同行したのは、登山上級者の友人K子ちゃん。ちなみに上杉軍ではない。

東京で計画は立てていたが、地元で危険の少ない経路を教えていただき、綿密に確認。
幸い、熊はまだ寝ている。
スノーシューを装着し、兵糧、サーモ水筒、地図などを背負い、ストックを持っていざ出陣。
心の中では、毘の上り旗が背中に立っている。笑 


道すがら、お地蔵様に道中の無事を祈る。



雪解けでどんどん川幅が広がる川。
陽が当たり空気が澄み、水のせせらぎの音に癒される。


上杉謙信と敵対関係にあったのは甲斐武田信玄だけではなく、相模の北条氏康もまたそうである。
謙信の好敵手であった北条氏康は謙信に感じ入り、「信玄と信長に表裏つねなく、頼むに足らぬ。 ただ謙信だけは、請け合った以上、骨になるまで義理を通す人物である。 だからその肌着を分けて、若い大将の守り袋にさせたいと思う。」と言った人物である。
そうは言っても北条氏康、もとより謀(はかりごと)巧みな戦国武将である。
彼は、謙信が雪で動けない冬になると、その勢力拡大を図った。

埼玉県比企郡吉見町に、松山城址がある。
ここは、北条と上杉が覇権を争った地点である。
謙信が越中出陣制圧にかまけている永禄5年(1562)、上杉方の拠点となっていた松山城を北条&武田計5万が包囲する。
松山城を守る上杉軍は少なく、越中出陣から春日山に帰ったばかりの謙信に、松山城の城代・太田資正(おおたすけまさ)から救援要請が届く。
謙信は人馬を休めた後、救援に向かうと約束する。
謙信は11月9日、姉婿である長尾政景に府内越後を任せ、同月24日越後を発った。
時は、冬である。
春日山城から、松山城に行くには雪の山越えをしなければならない。

豪雪の三国峠が、謙信軍の行く手を阻む。
他の武将なら、この計画は立てなかっただろう。
一体どのように、大勢の兵士を雪の中動かしたのか。仔細は謎である。
現在のように、整備された道路もなく人の力に頼って雪山を越えねばならない。滑落者も出ただろう。
川中島でもそうだが、謙信という人物は常人にはおよそ考えも付かないことを考え、成し遂げる。
12月16日には、上州沼田に着陣している。


450年後の私は、スノーシュー(洋式かんじき)を履き、歩きやすい道を探し、雪を踏み固め道を開いて慎重に登って行く。
柔らかい雪を踏み抜き、自分の体がすっぽり落下したことも。
目印の標識や案内板の上の方が雪から出ていたり、地形図と周囲の地形を比べたりし、樹木間隔や自分の勘も頼りにして歩く。

三国街道途中には貝掛温泉や、猿ヶ京温泉がある。
貝掛温泉は謙信の隠し湯と言われたところである。
猿ヶ京は、謙信公が、今日は猿の日か?「申が今日」で猿ヶ京と命名されたと言う。
猿ヶ京近くには謙信公逆さ桜もある。謙信公が春日山から持っていらした桜の枝を挿したら根が付き、460年経った今も花を咲かせている。

今回の宿は猿ヶ京より北の、貝掛温泉。謙信公の隠し湯に浸る。
お屋形さまが、将兵の疲れを癒すために立寄ったと伝わる秘湯である。700年の歴史があるそうだ。

美味なる夕食。お米はもちろんのこと、氷頭なます、生麩やふぐ、帆立の鍋物が美味。
海の幸山の幸豊富で、さすが越後。



温泉混合の池に泳ぐ錦鯉。暖かいので早く育つそうな。



翌朝、宿を出て越後湯沢から上越線に乗る。
駅長さんに歓迎される石打駅で下車。向かうは関興寺。
駅構内にプチ座敷とちゃぶ台。何で?と思ったが、関興寺から帰って来たらあって良かった。笑


屋根のない所は、雪に埋もれる石打駅ホーム。



関興寺も雪に埋もれる。関興寺は、御館の乱の時、戦災に遭い、伽藍が焼失。
関興寺に納められていた上杉家寄進の大般若経600巻を兵火から守るため、味噌の中に埋めた。
以来、この味噌をいただく者は大般若経のご利益にあずかることが出来るとされ、「関興寺の味噌なめたか」との言葉が生まれたと伝わる。
 
左:味噌なめたかの看板は「味噌」のみ見える。
右:夏の時期は、味噌なめたか、が全部見える。



左:お屋形さまの信仰を集めた浦佐毘沙門堂。
右:毘沙門堂後ろの浦佐城登山道入り口は、雪に埋もれている。積雪2m50cmくらいか。

【2012.04.16 Monday 16:22】 author : いづな薫 
| 越後・川中島旅日記 | comments(2) | trackbacks(0)|
この記事に関するコメント
上杉軍が上野に向かった道は、三国街道ではありません。「清水越え道」です。六日町から分岐するこの旧道は非常に急峻で、三つのルートがあります。
| kahn | 2012/06/20 2:31 AM |
kahn様

清水峠も存じておりますよ、今年も行こうかと思いましたが、管轄の役所に尋ねた所、3.11の地震で崩落通行禁止だそうです。
それでも入られる方がいらっしゃるそうですが。
上田荘六日町で分かれる、往還道三国峠〜沼田ルートを記載したのです。
| いづな薫 | 2012/06/20 6:59 PM |
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時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、野球、音楽、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住→東京→Toronto

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