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since 2007.5.21 平清盛感想「鳥羽院の遺言」 | 戦国カフェ
   
 
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平清盛感想「鳥羽院の遺言」
亡くなった近衛帝を、頼長が呪詛していたと言う噂が立つ。
頼長の日記「台記」の久寿3年7月27日に、この記述がある。
頼長の家司(家政をつかさどる人)藤原親隆(ふじわらのちかたか)が呪詛の噂を語ったと言う。
そして頼長自身も、既に家司・藤原成隆(ふじわらのなりたか)から同内容の噂を耳にしていた。
朝廷内で流布していた噂であったようだ。

近衛帝崩御後、巫女の口寄せで聞くには、「自分が眼病を患って死んだのは、先年誰かが自分を呪詛して愛宕山天公像の目に釘を打ったからだ。」と言う。
鳥羽法皇が使者を遣わし調べさせたところ、その通りであった。
仏像がある寺の住職に尋ねたら、5〜6年前から目に釘があったと言う。(なぜ5〜6年も放置してあるのか。)
美福門院と関白忠通は、忠実・頼長親子の仕業だと信じたと言う。
頼長は弁明したが、受け入れられるはずもない。
子の近衛帝を失った美福門院は、頼長の敵であり頼長を追い落とす理由はいくらでも考えただろう。
おそらくは美福門院にかどわかされた鳥羽法皇が、忠実・頼長親子を信用しなくなり忠実・頼長は政権中枢から転落する。
頼長には高陽院泰子(かやのいん・たいし/やすこ)と言う姉がおり、彼女も鳥羽法皇の后であった。
姉にとりなしを頼むが、この姉が今度は死去してしまう。

崇徳上皇は鳥羽時代、不遇を余儀なくされていたがいつかはわが子重仁親王が天皇になり、
院政を行う復権を夢見ていたかもしれない。
しかし、弟の雅仁が後白河天皇になってしまい、その夢は永久に途絶えたと言って良い。
後白河帝を中心とする新朝廷から完全に疎外されたのである。

久寿3年7月2日、鳥羽法皇は54歳で崩御。
三つ月ほど前から食事が喉を通らなくなり、危篤に陥った。
鳥羽法皇崩御前から、後白河天皇側は御所の警備を固め、政敵追い落としの準備を着々と固めている。
そして、天皇方の挑発行為とも取れる方法で保元の乱に向かうことになる。

感想。
後白河の后となる滋子が出て来た。後白河と面白い夫婦になるかもしれない。笑
家族仲の悪い鳥羽法皇一家と源氏。平家の仲の良さが象徴的。
終盤、清盛が太刀を上皇に向け「遅うございましたな。」と言う。
長編ドラマなので反則ではないのだが、ドラマの視点が主人公以外(上皇)に移り、急に清盛が「遅うございましたな。」と言うのが唐突。
視聴者は主人公に感情移入するので、主人公の行動・心中はいつも明かして欲しい。

ともあれ、保元の乱へ向かうスリル感が出て来た。次回も楽しみである。

【2012.05.15 Tuesday 20:03】 author : いづな薫 
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時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、野球、音楽、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
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