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since 2007.5.21 平清盛感想「前夜の決断」 | 戦国カフェ
   
 
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平清盛感想「前夜の決断」
1156年(保元元年)7月2日、鳥羽法皇が崩御した。
父の死に駆けつけた崇徳上皇は追い返され、崇徳が頼長と呼応し謀反を企てているとの噂が流れる。
御所に危険が及んだとして、源氏と平氏に禁中警護が申し付けられる。
崇徳と頼長に、謀反の疑いありは本当か?これが何ともでっち上げの疑いが強い。
では誰が。
おそらくは信西である。
信西は後白河の乳父である。
鳥羽法皇は当初、後白河の子守仁親王を天皇に望んだ。
後白河は中継ぎ的な天皇であり、その地位を絶対にするためには、ライバルである崇徳と頼長を
追い落とし権力を誇示しておく必要がある。
後白河は、「忠実・頼長親子が各地荘園から兵隊を募っているとの噂があるので、
これを禁ず」と、綸旨(天皇の命令)を出す。鳥羽の死後6日のことである。
忠実・頼長のいる摂関家に源義朝が派遣され、氏の長者(一族のトップ)の権限を剥奪する。
邸内にいた平等院の僧が祈祷をしており、謀反の確たる証拠とされてしまった。
崇徳と頼長は、謀反の意志は当初なかったであろう。しかし挙兵せざるを得ない状況
が出来上がってしまった。
崇徳・頼長側に付いた武士は、源為義と義朝以外の息子、平忠正(清盛叔父)
その息子長盛、一族の平家弘と勢力としてはけっして大きくない。

ドラマで描いていたが、清盛は最初鳥羽、美福門院、後白河側に付き宮中警護武士団の署名を拒んでいた。
「保元物語」にも、美福門院が鳥羽の遺言だと清盛を説得し清盛の参加を促した、との記録がある。
感想
後白河が清盛を呼び清盛が恩賞を吊り上げようとしていることを見抜く。
戦に勝っても清盛の思い通りにならないと告げる。
清盛の軍事力が必要なのに高飛車な後白河の物言い、う〜ん清盛よく我慢したな〜。笑
確かに公卿以上にならなければ国政に参加できないわけで、清盛の恩賞へのこだわりも分かる。
保元の次の平治の乱後にならないと、清盛の願いはかなえられない。
あと、清盛の黒房の甲冑が素敵。

PS.昨晩は、サッカーアゼルバイジャン戦を見ました。
香川選手の鮮やかゴールも、代表初デビューの宮市くんも見られて良かったです。

【2012.05.24 Thursday 18:38】 author : いづな薫 
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 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

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