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since 2007.5.21 「八重の桜」感想 ならぬことはならぬ | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
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「八重の桜」感想 ならぬことはならぬ
さて記念すべき1回目の感想参ります。
来た来た、什の掟(じゅうのおきて)。
会津藩指定の集団活動で「什・じゅう」と言うものがある。
6〜9歳までの藩士の子供は町内ごとに「什」と言う集団に編成されていた。
つまりはこれが遊び仲間グループになる。
1番年上の9歳の子供を什長として、身分家柄を問わず活動する。
子供たちにグループ運営は任されているのである。
その集団の掟が「什の掟・じゅうのおきて」である。

1、年長者の言うことにそむいてはなりませぬ。
2、年長者にはお辞儀をせねばなりませぬ。
3、虚言を言ってはなりませぬ。
4、卑怯なふるまいをしてはなりませぬ。
5、弱い者をいじめてはなりませぬ。
6、戸外でものを食べてはなりませぬ。
7、戸外で婦人と言葉を交わしてはなりませぬ。

これを毎日9歳の什長が読み、他の師弟が頭を垂れて聞き入る。
最後に什長が「ならぬことはならぬものです。」とダメ押しする。
 現代人の私には息が詰まる・・・笑。やはり上杉家御家訓の方がいい。

什で6〜9歳まで武士としての下地教育を済ませると、日進館に入学する。
日進館は、敷地面積7200坪、建物面積4000坪の広大な物である。
上士以上の師弟は全員が入学を義務付けられた。
小学校高学年から大学までの教育を、一貫して行うようなものである。
学費は免除、日本最初の給食もあった。大学とある日の給食は、おにぎり、汁、漬
物、時々秋鮭。
履修科目は28科目。飛び級OK。

しかも、会津藩士が行く所には、この日進館の分校があった。
江戸和田倉門内会津藩上屋敷には成章館(せいしょうかん)芝の中屋敷には考興館(こうこうかん)、相州観音崎には養成館(ようせいかん)、相州三崎には集義館(しゅうぎかん)房総にも蝦夷地にも。
藩士が移動する所に藩校を作ったのである。

藩士のうち長男は30歳前後まで、次男は21歳くらいまで藩校での研究が許された。
武芸はもとより、砲術、天文、蘭学、神道、皇学、数学、医学(小児科、痘瘡科、本草科、外科、本道科)などがあった。
水練水馬池(プール)もある。
ここでは甲冑を着けたまま泳ぐ向井流泳法と、激流を乗馬したまま泳ぐ法を教えた。

藩校で特に成績の良い者は、江戸の昌平坂学問所に遊学が許される。
ドラマであったが、日進館に吉田松陰や宮部鼎蔵(池田屋事件で遭難した熊本藩士)、そして佐久間象山も見学に訪れている。

八重の生まれた会津とは、以上のような環境にあった。(什も日進館も男子のみだが)
凄惨を極めた会津戦争では、自身も7連発の新式銃を持って戦う。
そして夫・新島襄が亡くなった直後、日本赤十字社の篤志看護婦として日清、日露戦争の負傷者を看護する。
八重の人生は、戦争と共にある。
会津戦争で、官軍の大山巌(おおやまいわお)を狙撃したのは彼女だと言われている。
後に、大山巌の妻になる山川捨松も会津で育つ。
1回目のドラマで「追鳥狩(おいとりがり)」シーンに、捨松の母が子供たち(八重がいーってやった相手)と少し出ていた。

八重は戊辰戦争後英語を学び、米国帰りの新島襄と2度目の結婚をする。
開国、戊辰戦争、めまぐるしく動く変革期が縁のなかった人同士を結び付けて行く面白さを楽しみたいと思う。

【2013.01.08 Tuesday 21:21】 author : いづな薫 
| 八重の桜 | comments(4) | trackbacks(0)|
この記事に関するコメント
八重の桜、福島復興へ突っ走れと期待したいのだが、しか〜し本日、福島県民全員に(会津地方の一部は除外)2回目の迷惑金が東電より支給されました。子供は8万円、大人は4万円だそうです。1回目は子供がなんと40万円だったそうですよ、県民全員ですよ、すご〜い、どこにそんなお金が東京電力にあったんですかね、関東地方の皆さん及び納税者の皆さん知っていましたか、今現在も、原発の影響で避難している人は、子供で月50万円支給だそうです。避難して初めて貯金ができたそうですよ、仮設住宅には高級新車がズラリと並んでいるそうです。除染を早く進めて帰ってもらったほうが、いいみたいですよ。什の掟の心が廃れる前に。いずな先生の電気料金も福島の迷惑料として使われています。東電から一言ありましたか。
| 串かつ | 2013/01/09 6:51 PM |
串かつ先生

コメントうれしいです!

<電気料金も福島の迷惑料として使われています。東電から一言ありましたか。

ないです。
これ、国の補助金も相当含まれているのではないですか。
県民全体だとかなりの額ですよね。
立地地域ですが、事故間もない頃世帯100万円配っていて、とあるご婦人が預金通帳見せて「東電さんには、まだまだ頑張ってもらわないとね!」と言っていたそうです。
東電は破たん処理にしなかったのが本当にまずいです。
今は大変でも、その内事故なぞなかったかのように蘇りそうです。
手抜き除染の問題、そして経済対策でミサイル防衛なんて絵空事なのにPAC3を買う始末・・・。
本当にこの国は大丈夫か!?と言う気持ちになって参ります。
| いづな薫 | 2013/01/09 10:05 PM |
他の女性と共に飯を炊き、オカズを作り食べさせる。弾丸を作り、けが人の看病をし、夜になると八重はスペンサー銃を手に夜襲に出る。帰ってきて少し眠る、旦那と協力して砲戦にも挑む。一日千発以上の砲弾が降り注ぐ中、硝煙で真っ黒になった顔を見て、女性同士が笑い合ったというo(^▽^)o。大変な苦難にもかかわらず。悲壮感を感じない、八重。木曽義仲の巴御前を彷彿させる。会津戦争後米沢にも住んだ事があるそうです。白虎隊の自刃した少年の中に、八重が銃の撃ち方を教えた少年も多数いたそうですね、風林火山のような女性です。
| 串かつ | 2013/01/12 9:06 PM |
串かつ先生

連投嬉しいです!
八重は白虎隊に銃を指南したと言わていますね。
1回目冒頭八重の周りに少年がいたように思うのですが、白虎隊でしょうか。
八重が米沢にいたお話、今記事で確認して参りました。情報ありがとうございます。

<風林火山のような女性です。

疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動か ざること山の如しな女性?
| いづな薫 | 2013/01/13 3:52 PM |
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 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

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