大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 八重の桜感想「妖霊星」 | 戦国カフェ
   
 
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八重の桜感想「妖霊星」
彦根藩主・井伊直弼の屋敷にいた白くて太い猫は、ひこにゃん?
大河はデティールに凝り、遊びの演出が面白い。

彦根藩と猫にはいわれがある。
彦根藩2代藩主井伊直孝が江戸で鷹狩りの帰り、古びた小さなお寺の前を通った。
猫が手招きするので寺に入り、和尚の話を聞いていると急な雨と今来た道に落雷があった。
井伊直孝は猫の手招きのおかげで難を逃れることができたと言うお話。
直孝は、お礼に寺再建を約束し立派なお寺が建った。
直孝の戒名のうちの2字をいただき豪徳寺と名乗ったのである。
こうして、豪徳寺は招き猫発祥の地となった。豪徳寺では特にこの猫を「招福猫児・まねぎねこ」と呼ぶ。
彦根城のひこにゃんは、この猫がモデルである。

昨日の八重の桜、一ツ橋慶喜が適役。篤姫の時も良かったが、今回も合っている。
ドラマにもあった、将軍後継者問題について語る。
篤姫の夫、13代将軍徳川家定は、病弱(脳性麻痺か)で継嗣がない。
で、次の将軍の候補にあがったのが、一橋慶喜と紀州藩主の徳川慶福(よしとみ)である。
一橋慶喜は、水戸藩主徳川斉昭の7男として生まれている。
周知の通り後の15代将軍で、大変英邁な人物で大政奉還を成した。

英邁、年齢、人望を考えて一橋慶喜を推挙していたのは、島津斉彬、松平春嶽、伊達宗城らである。
そこへ井伊大老がごり押ししたのが、紀州の徳川慶福。
徳川宗家に血が最も近いと言った血統主義から選ばれ、”利発”であるなしは関係なしとされた。
理由は他にもある。
内外に革新的政治を執ろうとする一橋派は敵も多かった。
その反対派の頭目が、井伊大老である。
政務に実力を発揮する慶喜が将軍になれば、家定は隠居、慶喜の実父水戸徳川斉昭が公家や朝廷をも動かし強力な政権を作ることは免れない。
表向きだけでなく、大奥の権力者たちにも斉昭は大いに嫌われていたのである。

徳川家の伝統を守り大変な保守派の井伊直弼にしてみれば、西南雄藩の外様大名や譜代、幕臣の改革派が公家に働きかけ、慶喜が如何に利発であろうと将軍に画策すること自体、許せないことであった。
天敵である水戸斉昭を制し、井伊大老の推した徳川慶福が14代将軍になった。
徳川家茂であり、就任時わずか13歳。

井伊直弼の生まれた彦根藩井伊家は、5人もの大老を出した家柄である。
徳川家康の時代には、京都守護職を務め、徳川家安泰と発展のために代々尽くして来た。
直弼にしてみれば、血筋が何より大事である。
そして、将軍が無能でも幕臣たちが政治を行えば良く、幕府はそれが可能なシステムとして完成していた。
ただし、平和な時代であれば。

井伊の行った安政の大獄は、幕末維新激動の始まりとなった。
桜田門外で暗殺され、井伊直弼は自らの死をもってあがない歴史を前に進めることになる。

【2013.01.28 Monday 16:36】 author : いづな薫 
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