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since 2007.5.21 戦国最強武将は誰か。 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
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戦国最強武将は誰か。
TVや雑誌の特集で、よく戦国武将ランキングを行っている。
今や人気テーマだが、1月末に出た別冊宝島で我らのお屋形さまが1位になったと上杉会義太郎様から伺い
私も買ってみた。笑

1位 上杉謙信
2位 織田信長
3位 武田信玄
4位 豊臣秀吉
5位 徳川家康
6位 毛利元就
7位 北条早雲
8位 島津義弘
9位 今川義元
10位 立花道雪 

ずうっ〜と続いて36位にエントリーされている太原崇孚雪斎(たいげんそうふせっさい)は、私が大きく評価している人物。
今川家の家臣および臨済宗の僧で、今川義元の教育や政治、軍事に秀で外交僧として活躍した。
人質時代の家康を教育したとの説もある。

さてその今川、武田、北条、一つの家でも強力な戦国大名である。
この三家が束になって(三国同盟)かかった敵が、上杉謙信である。

謙信公の軍事的才能はあまた語られて来たが、僧や人としての慈悲深さを持ち、青苧で巨万の富を築いた
一流のビジネスマンでもある。
この本も挙げていたが、謙信公といえば深い信仰心でも知られている。
今回、戦国武将と僧侶の関係について少し書きたい。

謙信の人生は深い仏教への憧れと共にあった。
当時の僧侶とは、単なる宗教従事者ではない。
諸国との間を取り持つ外交官であり、軍師であり、医者、学者、通訳でもあった。
今川氏には、政治、軍事、外交に巧みな手腕を発揮した太原雪斎がいたと述べた。
謙信の元にも有能な僧がひしめいている。

謙信がその名の一字をいただいた益翁宗謙(やくおうしゅうけん)と言う僧がいる。
謙信の師であった天室光育の高弟で、天室の次に林泉寺住職になった。
益翁が林泉寺入山当時、謙信と”梁の武帝と達磨大師の禅問答”を交わしたことで有名である。
軍事にも知識深く、時に謙信と軍事について話を交わしたと言う。
雲洞庵にいた北高全祝(ほっこうぜんしゅく)も、謙信や信玄に深い影響を与えた傑僧である。

謙信は川中島に赴く時、恐れと迷いがあり師である北高全祝に問いかけた。
その時の答えが、「生中に生なし、死中に生あり。」である。
弟子の謙信は「死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり。」と悟った。
後に、北高全祝は武田信玄に甲府に招かれ信玄から大変な尊敬を受ける。
信玄は北高を「曹洞宗の正統な後継者であり、来世のリーダーである。」と文書に書いている。
謙信、信玄とも当代一流の僧侶たちと交わり、時に同じ師についていたのである。

江戸時代大名家で上杉家以外全てが禅宗を宗派としたのは、武家の精神に見合うものだったからであろう。
謙信が子供の頃、教育を受けた林泉寺は曹洞宗の寺院だが、謙信はその後、真言宗に深く帰依する。
春日山城内北の丸にあった大乗寺の僧・長海から密法を授かった。
24歳の時には高野山金剛峰寺に参詣し、無量光院の清胤(せいいん)に真言の真諦(しんたい、絶対不変の真理)を探求している。
永禄5年には、清胤を越後に迎える。
後には清胤の仲立ちにより法印大和尚になる。
天正4年にはまた清胤を越後に迎え、真言の秘密をことごとく伝授され、謙信は真言宗の僧同然であった。
しかし、陣僧や使僧には曹洞宗の僧を用いており、謙信の傍にはいくつかの宗派の僧侶が仕えていた。

興味深い記録がある。
「上杉家文書」によると、比叡山東谷正覚坊で同時期に、信玄と謙信が調伏で鉢合わせをしたことがある。
もちろん調伏していたのは本人ではなくて依頼された僧侶である。
正覚坊は謙信の父の代から長尾家(謙信のもとの苗字は長尾)の祈祷所に定められた塔頭である。
怒ったのは、謙信である。
正覚坊の重盛法師の言い訳は、「くずかごから信玄の願文を拾い出し謙信公に送ります。改めてあなたの武運長久を祈願しました。
謙信の怒りをかわすために弁明したと思われるが、平然と二股をかける比叡山もまったくもって食えない存在である。

戦国時代とは、足利幕府が弱体化し、強い者が侵略簒奪を欲しいままにする群雄割拠の世紀である。
外交は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す外交である。
これは今も変わらない。
昨今、アルジェリア事件でも尖閣問題でも外務省の影が薄いのが今の日本の外交能力のなさを露呈している。
防衛省が出て来る幕ではないのだが。
有事の多い時代および国には優れた外交官が存在する。
日常が有事だらけだった戦国時代、武将を支えた僧たちがいたのである。

【2013.02.12 Tuesday 14:48】 author : いづな薫 
| 上杉謙信 | comments(7) | trackbacks(0)|
この記事に関するコメント
 祝「お屋形様 第一位!!」戦国武将ランキング100

 ようやくといいますか、ありそうでなかったのですが、我らがお屋形様・上杉謙信公が、戦国武将最強ランキング100人の頂点に輝きました。いづな様、ご掲載ありがとうございます。
 今までのよくあるランキングでは、信長・秀吉・家康が上位を占めるというのがお約束でしたが、このたびは本当に歴史通の目線で厳選されたランキングだったように思います。これも偏に時代の変遷のあかしなのでしょう。
 いづな様ご推薦の、太原雪齋も歴史ファンからすると相当マニアックな存在ですが36位にランキングするなど、今回の選任に当たった戦国武将審議委員会のみなさまは、かなりの歴史通とお見受けしました。
 例えば、10位に立花道雪、佐竹義重、後藤基次など、ほとんど一般の方々には馴染みのない武将が名を連ねていることからもその審美眼はわかることと思います。なかでも足利義輝の刀に囲まれてるイラストは笑えました〜
 そんな超がつくほどの歴史マニアのみなさまが、100人の武将の中から第1位に選んだのが「上杉謙信」というのは本当にうれしいの一語に尽きます。ようやく謙信公の魅力が全うに評価されたのかと思います。

 いづな様の仰るように今川義元も当時は多くの武将の見本になるなど、大変優れた武将でしたが、この今川・北条・武田というサラブレッド大名たちが束になっても歯が立たなかったのが上杉謙信という武将でした。いづな様ご指摘のように謙信公の真髄はまさに「僧侶」そのものでした。真言&曹洞の教養と、洗練された美意識を備えた稀有な武将だったでしょう。また経営的センスはあまり知られていませんが、青芋を利用した戦略的経営ビジネス手法は画期的で、現在の○○急便のモデルともいわれています。
 雑誌中インタビューでも、大の真田幸村ファンの松村邦洋さんも「三英傑(信長・秀吉・家康)も謙信には手が出せなかった」と述べています。
 長くなりまして恐縮ですが、機会があれば本誌をぜひ一度ご覧になってみる価値があるかと思います。
                        義太郎


 
| 義太郎 | 2013/02/12 7:45 PM |
義太郎さま

掲載が遅くなり大変申し訳ござりませぬ。
繁忙期が長引き、先日の三連休も仕事でなぎ倒してようやく終わりました。笑

お屋形様 第一位!!〜とうとう謙信公の時代が参りましたね。お屋形さまは別格として、私は10位以内でしたら武田信玄、徳川家康、毛利元就、北条早雲を支持します。
一般の方で、太原雪斎をご存知の方多くないでしょうね。笑
イラストで面白いのは義太郎さまお気に入りの足利義輝と、松永久秀です。

<今川・北条・武田というサラブレッド大名たちが束になっても歯が立たなかったのが上杉謙信という武将でした。

織田信長が今川義元を倒し、その後武田が今川を侵略し三国同盟が崩れます。
そこで武田に対する塩の経済封鎖が起き、さすがの信玄も悲鳴を上げます。
助けてあげたのが、なんと三国同盟の敵であった謙信公ですね。
普通なら、もう一生謙信公に頭上がらないはず。笑 

<松村邦洋さんも「三英傑(信長・秀吉・家康)も謙信には手が出せなかった」と述べています。

秀吉が、「信玄、謙信がいくら名将でもわしにはかなわない。早く死んで良かったな。生きていれば皆わしの家臣ぞ。」と言ったとか。
生きていれば、秀吉はおろかボスの信長だってどうなってたかわかりません〜。

PS.パチンコにも謙信公バージョンがあるようですね?笑
| いづな薫 | 2013/02/12 8:25 PM |
そうですか上杉謙信が日本で最強の戦国武将に輝いたのですね、これで日本には、義と慈悲があり、困っている人がいれば敵であろうと助けてくれる、偉大な武将がいたと、堂々と外国の人達に自慢できますね、これが秀吉とか信長とか家康とかでは、ちょっと恥ずかしかった。強い上に慈悲がある、男らしい上に頭もよろしい、日本を代表する武将です。また、褒美が貰えない(これはキツイ)のに文句も言わず謙信に従った、越後の名も無き武将達もお忘れなく。
| 串かつ | 2013/02/14 4:58 PM |
串かつ先生

コメント嬉しいです。
以前は変わり者扱いでしたが(笑)、謙信公の評価が最近ことに上がっていますね。

<偉大な武将がいたと、堂々と外国の人達に自慢できますね、

オーストリアのとある武道道場に「UesugiKenshin」と言う看板がかかっていました。
お屋形さまは、戦国時代珍しいくらいの高い教養の武将ですね。
お屋形さまの命のもと頑張った越後の武将達、肝に銘じて覚えておきまする。
所で、ちょうど今NHKで放送中の「塚原ト伝」が謙信公に近い時代でちょっと見ています。
塚原ト伝は室町13代将軍足利義輝の剣の先生で、義輝の輝の字を謙信公が輝虎時代にいただいていますね。
| いづな薫 | 2013/02/14 8:07 PM |
 結構、各分野でこの「謙信第1位」の反響が大きかったので少し分析させてください。(芸能界でも謙信ファンが結構いらっしゃるのには驚きました。)

 やはり、「弱き者の声に耳をかたむけた」唯一の戦国武将、それが上杉謙信だからでしょう。下剋上時代では有り得ない存在です。(現在の世でもいないでしょう)
 最強とは何か? 本当の強さとは何か? 武力が強ければ最強なのか?… 人間の真の強さとは何か?! これらの問いに答えを出すのは簡単ではありません。
 かつて「天下布武」を掲げた織田信長は、あっさりと家臣に討たれました。信長だけではありません、他の多くの武将たちは理想をかかげ、武をもって天下を目指し勢力を拡大していきました。それはそれで彼らのポリシーですので認めますし、私も信玄・北条は高く評価してます。
 ただ、その勢力の陰で虐げられた弱き者たちへの慈悲・慈愛の心を持たなければ、真の為政者ではありません。このあたりは現在の原発問題・福島の方々のお姿と重なってしまいます。

 強く・正しく・潔く生きるということは、大変難しいものがあります。なぜなら、常に自分で自分を「律して」行かなければならないからです。相手が誰であろうとも、もし間違いを犯したならきちんと謝り方向転換をする。目先の利益だけでなく、たとえお金にならないことでも将来のためであれば、是正を促す。これらの上杉スピリットは後の上杉鷹山へ継承されていますね。

 上杉は「かぶき者」が多かったといわれています。前田慶次郎利益、鬼小島八太郎、志田修里之介など、彼らは金や物では絶対に動かない漢たちでした。しかし、上杉の「義」の姿に理想を求めて集まってきたのです。

 人間の真の強さとは、ここにあるように思います。宿敵・武田信玄が臨終の際に息子:勝頼に「オレが死んだら謙信を頼るのだぞ」と言い残したのも、謙信の人間的スケールの大きさを認めていたからに他ならないでしょう。
 他の優れた武将もたくさんいますが、やはり謙信公だけは「別格」だと思いますね。真似ができない。

 世界はグローバルになってきましたが、オーストリアにもケンシン道場があるのには驚きました。世界に誇れる日本の戦国武将ですね。最近の謙信人気は、現代の混迷した殺伐とした世情に、清冽な謙信の姿が求められてきたということですね。
 現在、北陸新幹線の列車の名称を募集していますが、やっぱり「けんしん号」で決まりでしょう(笑)
                        義太郎


| 義太郎 | 2013/02/16 1:39 PM |
義太郎さま

コメント嬉しいです。
世の中右肩上がりで発展してた頃は秀吉とかが人気だったのでしょうけれど、現代のように人間として如何に生きるか、と言う時代は謙信公が人気が出ますね。
哲学も好きな方が増えているように思います。
大地震を経験し、人々の価値観に変化が見られて来たのも事実です。

織田信長は相変わらずの人気ですね。
既得権を壊して欲しい人も多いのでしょう。
現代は、多種多様な価値観の混在する成熟した社会です。
この状態で革命のようにぶち壊して行くのはなかなか難しいです。

戦国武将が地震の救援に向かった記録があります。
1498年の明応地震の時、北条早雲が戦を中断して領民の救援に自軍と向かいました。
今で言う東海地震、東南海地震です。
明応地震はM8.2〜8.6の大地震で、浜名湖が海に繋がったのもこの時です。
復興には50年余もかかっています。
1553年の今川氏真の書状に、浜名湖付近の住民が移住し新たな水運の拠点を形成したことが記されています。
中世において、戦や天変地異の被災民たちの多くは、第三者から救援されることは稀で大変な苦難を強いられています。

塩止めで死を待つ敵の甲斐領民に塩を送るも、珍しい救援風景ですね。

所で今、NHKで「塚原卜伝」放送していますね。
名刀のお話出て来るかなと思い見だしたら、面白いんです。
足利義輝に剣を教えた卜伝の若き日のお話ですが、”癒し系卜伝”がめちゃくちゃ強いです。笑
| いづな薫 | 2013/02/16 4:18 PM |
応仁の乱からが戦国時代なら元祖鬼吉川こと吉川経基を推す、山名宗全、畠山義就の二大猛将を打ち破り、圧倒的不利な状態だった東軍を逆転勝利に導いた名将。
| 元祖鬼吉川推し | 2017/01/19 4:44 AM |
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