大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 八重の桜感想「ままならぬ思い」 | 戦国カフェ
   
 
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八重の桜感想「ままならぬ思い」
 会津国家老・西郷頼母は、江戸で、藩主・松平容保に京都守護職辞退を求めたのに続き、京都に向かった容保の元へ参じ、守護職辞職を求める。

容保は、愚直なまでに生真面目な人物である。
孝明天皇は、松平容保が守護職になったことを大いに喜び「枢機を依頼すべき愛臣」とまで言っている。
孝明帝は親幕派で、倒幕派の多くいる殺伐とした京都の政情を嫌う。
容保は、浪士集団である新選組を支配下に置き、徹底した過激な尊皇攘夷派、倒幕派の取締りを行う。
これが、大いに恨みを買うことになった。

容保は、西郷頼母の意見を受け入れることはなく、逆に頼母を罷免に追い込む。(頼母が家老を辞したとも。)
頼母は5年に及ぶ蟄居生活を余儀なくされる。
今は信頼されても、容保はいずれ多く敵を作るとの、頼母の指摘は当たる。
5年後、頼母は家老に復職するが、時は慶応4年(1868)旧幕軍が鳥羽伏見で惨敗し、容保が会津に帰国した頃である。
この時も、恭順と謝罪を進言、登城禁止、蟄居になってしまう。

鳥羽伏見の戦いの時、会津藩は朝廷の敵(朝敵)として戦い、多くの死傷者を出すのである。
京都黒谷、金戒光明寺〜真如堂の間にある会津藩殉難者墓地には、京都守護職就任から鳥羽伏見の戦いまでの死者352名が眠っている。

西郷頼母と言う人物、会津の国家老にして非常に先見の明ある人物である。
主張しては退けられ、しかし頼母の言うことは予言のように現実になって行く。
今の政治においても、真っ当な意見を言うがため退けられ、中枢から葬り去られて行く人物があまたいる。
それを私たちは見逃してはならない。
歴史は、過去のことであって過去ではないのだ。

【2013.02.25 Monday 20:52】 author : いづな薫 
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時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、野球、音楽、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
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