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since 2007.5.21 八重の桜感想「八月の動乱」 | 戦国カフェ
   
 
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八重の桜感想「八月の動乱」
孝明天皇の御宸翰(ごしんかん、天皇の直筆の手紙)が出て来た。 
会津藩主、松平容保が終生肌身離さず竹筒に入れ首から提げていた品である。 
容保は、それを死のその時まで誰にも言わず誰にも見せなかった。

容保は、孝明天皇から絶大な信頼を受けたが、戊辰戦争では朝敵として戦うこととなるのである。

 文久3年(1863)松平容保が孝明天皇から下賜されたご 宸翰(ごしんかん:天皇直筆の手紙)と
御製 (ぎょせい:天皇の和歌)とは以下である。 

《御宸翰》 「堂上以下、暴論をつらね、不正の処置増長 につき、痛心堪え難く、内命を下せしところ、 速やかに領掌し、憂患をはらってくれ、朕の 存念貫徹の段、全くその方の忠誠、深く感悦の 余り、右一箱これを遣わすものなり」 
文久三年十月九日

 訳: 公家たちは暴論を重ね増長していることは耐えがたい。  私を理解してくれ忠誠を尽してくれるそなたに感悦し、
右一箱を遣わすものである。

 《御製》 たやすからざる世に 武士(もののふ)の忠 誠の心をよろこびてよめる 「和(やわ)らくも たけきも相生の 
ま つの落葉の あらす栄へん」 「武士(もののふ)と心あはしていはほをも 貫きてまし 世々の思ひて」 

訳: 大変な世の中に武士の忠誠心に会い喜んで詠んでいる。 「穏やかな心も猛き心も一本の根の相生の松のように栄えて欲しい。 武士と心を合わせればどんな困難も乗り越えられる。


 八月十八日の政変について書く。
長州藩をはじめとする尊皇攘夷派は攘夷祈願として孝明天皇を大和と伊勢神宮に行幸させる計画を練っていた。
これは天皇が大和国の神武天皇陵・春日大社に行幸して、自ら討伐軍を率いて軍議をなし、伊勢神宮にも行幸するという
計画である。
立案者の真木和泉らは、倒幕実行を視野に入れていたと言われている。
これに驚いた会津藩と薩摩藩は譜代、外様の関係を乗り越え公武合体はとして手を組み、
長州藩を京都から追い出すのである。
文久三年(1863)8月18日未明、長州藩寄りの公家・三条実美ら7人が京都から追放、官位は剥奪された。
これを八月十八日の政変と言う。
大和行幸立案者の真木和泉も、七卿と共に長州へ落ち延びていく。
そこで、「出師三策」を表し、軍事力で京都奪還を主張した。

都では、勝ちを収めた会津、薩摩の勢力が強くなる。
会津藩の支配下にあった新撰組により、尊皇攘夷派、倒幕派の弾圧が厳しくなって行く。
しかし、長州も京都に潜入を謀り、巻き返しの機会を狙い続けるのである。
次には池田屋事件、禁門の変と幕長戦争へ発展していく。

【2013.03.04 Monday 09:11】 author : いづな薫 
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