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since 2007.5.21 八重の桜感想「池田屋事件」 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
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八重の桜感想「池田屋事件」
 池田屋事件の新選組への恩賞として、会津藩は、近藤に30両、土方に23両、その他に計600両を与えている。

池田屋事件は新選組の名を世に知らしめた事件であり、討幕派の大変な恨みを買った事件でもあった。
有力な志士が殺害されたため、維新が1年遅れたとも言われている。

元治元年(1864)6月5日、京都三条小橋の旅館池田屋で、新選組が攘夷派志士たちを襲撃した。
発端は、四条寺町で道具屋を営む枡屋喜右衛門が新選組に捕まったことから始まる。
その時、武器弾薬と血判書などを押収される。
彼は近江出身の志士で、本名・古高俊太郎と言い、長州藩のスパイ活動と武器調達を担っていた。
古高は逆さ吊りの上、足の裏から五寸釘を打たれる凄惨な拷問を土方歳三らにかけられ、攘夷派の動向を自白する。

自白内容とは、「6月20日頃、京都に放火し混乱に乗じ公武合体派の中川宮、京都守護職の松平容保を殺害し、
天皇を長州へ移す計画である。」

この自白内容には幕府側の記録のみで異説がある。
自白はでっち上げで、長州藩による古高俊太郎救出作戦のための会合との説である。
古高は1ヵ月半後、処刑され口は封じられる。

更には、桝屋喜右衛門(古高俊太郎)の捕縛を知った攘夷派が集会を開くという情報を新選組が入手する。

新選組の局長近藤勇は、集会を襲撃することを決断する。
集会がどこかは、この時点では不明。
新選組を二つにわけ、1つは土方を先頭に縄手通りの四国屋に、近藤らは池田屋を午後10時に襲撃した。
近藤は、池田屋の主人を呼び出し、「旅籠改めである。」と言う。主人は驚いた様子で、建物の奥に逃げ込んだ。
近藤らがその後を追いかけると、部屋の中で志士たちが抜き身を構えていた。
戦闘が開始されてまもなく、土方らも合流した。
戦闘は2時間余とも、明け方と言う説もある。
新選組の沖田総司は、結核のため戦闘中、吐血。
浪士の死亡者は9人、23人逮捕。新選組は1人死亡、2人重傷。囲んでいた諸藩の死亡者も10人を数えた。

さて、次は桂小五郎について。
後の木戸孝允となる彼は、長州藩医和田昌景の子として生まれ、同じく長州藩士・桂家の養子になった。
実父の和田昌景は、蘭学系の眼科、外科の医者で、小五郎はアカデミックな家庭環境に育つ。
長じて、知識欲旺盛で西欧の政治制度、科学技術に関心が高く、維新3傑の中で唯一外国語を理解する。
言葉を勉強すれば、自分の知らない大いなる知識を得られると言う感動は大変な喜びであったに違いない。
彼の貪欲な知識、情報探求、構想力は、めまぐるしく変わる幕末維新の状況判断で遺憾なく発揮される。
温和な性格で、周囲への気配りを忘れず多くの人望を得て、外交にも大いに尽力している。

池田屋事件では、吉田松陰と諸国を見聞した宮部鼎蔵や、吉田稔麿など惜しい人材が死亡している。
桂小五郎は、間一髪難を逃れている。
彼をこの時点で失わなかったことは、歴史の上でも幸いであった。

八月十八日の政変、池田事件、禁門の変と、京都での度重なる長州の敗北は、藩外交を担当していた桂を失意の
どん底に陥れる。
桂は、幕府の追及を避け但馬の出石へ逃亡する。
幕府の詮索が厳しく、名を広江孝助と変え、荒物屋(家庭雑貨店)を営んでいる。

しかし、高杉晋作と言う軍事的天才が藩内勢力を再び討幕派に巻き返すことに成功し、桂を再び政治の舞台へ呼び戻すことになるのである。

ドラマで佐久間象山が、池田屋事件の後「長州は牙を剥いて来るぞ。」と八重の兄に警告する。
しかし長州も、第二次長州征伐で勝つまで、大変な苦難が待ち受ける。
この後第一次長州征伐に遭い三家老切腹、藩内は保守派で固められ、高杉晋作ら討幕派は潜伏せざるを
得なくなる。

新選組は、時代が大きく変わろうと言う時、彼らはあくまで武器は刀にこだわった。
農民、町人を含む浪士で、武士になる夢を持ち、刀により世の中が変わると錯覚したのである。

「長州の反撃」を予告した佐久間象山は、京都三条木屋町で暗殺される。
その高瀬川畔には「佐久間象山遭難之碑」「大村益次郎遭難碑」が建ち、私もお参りした。
すぐ近くにあるホテルオークラは、長州藩邸跡である。桂小五郎の像がある。

桂小五郎は最初ここにいたが手狭になり、近くに屋敷を借り後に妻となる・幾松と暮らした。
幾松は元芸妓で、宴席に出る立場を利用し諜報活動を行い、桂の政治活動のパートナーと言える同志である。
新選組に踏み込まれ時、桂を長持(衣装、寝具を入れる箱)に隠しかくまっている。
長持の中身を疑った近藤勇に、幾松はもし中に桂がいなかった場合は、近藤の切腹を要求した。
あらゆる面で、桂を徹底的に庇護した女傑である。
その寓居跡で現在旅館「幾松」として営業しており、私も泊まったことがある。
桂を隠した長持、抜け穴、飛び穴、のぞき穴、つり天井などが当時に近い状態で保存されている。

PS. 上記の古高俊太郎邸跡の碑も、四条河原町近くの料理屋「志る幸」(利休弁当で有名)敷地にある。

【2013.03.14 Thursday 19:42】 author : いづな薫 
| 八重の桜 | comments(2) | trackbacks(0)|
この記事に関するコメント
いづな先生、週間ポストに「日本史上最強の男」は誰だの大特集やっていますよ、塚原卜伝、宮本武蔵、足利義輝、本多忠勝、千葉周作、岡田以蔵などなど、剣豪、武将、相撲、合気道、柔道の達人が登場します。ドラマの影響でしょうね、なんでも達人は相手と組んだ瞬間にわかるそうですね、勝敗が。将棋は最初の一手でわかるそうですよ、私もアマの6段と将棋を指す機会があったんですが、私の最初の一手で試合終了です(〃ω〃)。柔道は組んだ瞬間に投げられるとわかるそうです。剣の達人はおそらく想像ですが、目や姿や気などの発散するオーラでわかるんでしょうか。
| 串かつ | 2013/03/17 6:51 PM |
串かつ先生

面白い情報ありがとうございます。
週間ポスト「日本史上最強の男」見てみたいです。
明日、書店に行って参ります。
”最強の人探し”は、社会が閉塞感が漂い、打破してくれる人を求めているからでしょうか。
柔道の達人は、嘉納治五郎とかですか。
串かつ先生は将棋を指されるのですね。

>剣の達人はおそらく想像ですが、目や姿や気などの発散するオーラでわかるんでしょうか。

塚原卜伝で、5秒ぐらいで試合が終わっちゃうのがいくつかありましたよね。笑
| いづな薫 | 2013/03/17 7:26 PM |
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 仕事(技術・研究系)と人と環境に優しい生活を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、野球、音楽、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住→東京→Toronto

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