大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 八重の桜「守護職を討て!」 | 戦国カフェ
   
 
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八重の桜「守護職を討て!」
開国派で蘭学の大家であったであった佐久間象山は、元治元年(1864)7月11日京都三条木屋町で、
熊本藩士・河上彦斎(かわかみげんさい)らに暗殺される。
殺された時、後ろから斬られたため、武士として卑怯な振る舞いがあったとされ、所属する松代藩からお取り潰しにあう。

佐久間象山には、三浦啓之助(みうらけいのすけ)と言う実子がいる。
父の非業の死を聞いた三浦は、八重の兄山本覚馬の勧めで新選組近藤勇に会い、入隊し仇討ちを
しようとする。
三浦と言う姓は、義理の母順子が再婚して名乗った姓である。
三浦啓之助の実母お蝶は、象山の妾で佐久間家を去る。
象山の正妻は順子とは、勝海舟の妹・勝順子である。
勝海舟の「海舟」は、佐久間象山の直筆書「海舟書屋」から取っている
新選組への紹介は、山本覚馬でなく伯父の勝海舟と言う説もあるが、新選組嫌いの勝が書状を出したとは
考えにくい。

三浦啓之助、伯父は勝海舟、親は佐久間象山、家族親族に著名人を持つ彼は、新選組の中でもちょっと変わっていた。
ふんだんにある仕送りでいつもよい着物を着ていたと言う。
親の才能を一切受け継がず、乱暴で問題ばかり起こしているどうしようもない人物。
父象山も傲岸不遜な人物であったが、象山から受け継いだ物と言えば、この傲慢な性格ぐらいか。

佐久間象山の、生前の話を少ししてみたい。
象山は、松代藩士佐久間一学の子として生まれている。
一学は剣術使いで、流派は卜伝流である。
上杉謙信の信頼厚い家臣に斉藤朝信と言う人物がいる。
真偽の程は定かではないが、朝信から7代目にあたるのが、象山だと言う。

象山が20代の頃、藩主真田幸貫が海防掛老中になり、象山は海外事情の研究を命ぜられたのである。
象山の研究は、カメラを作ったり、養豚、ぶどう酒、薬用にんじん、馬鈴薯栽培、ガラス製造、洋式兵法、砲術と
当時の自然科学の多岐に渡る。

象山が蘭学を志すもうひとつのきっかけは、清(昔の中国)がイギリスに負けたことにある。
もちろん清がイギリスに軍事力で劣っていたのだが、西洋の学問が清の上を行っていたことを
理由に挙げている。
日本も西洋学問により、国内の充実を目指さねばならないとしている。
国防、国家的課題に取り組み、日本の近代化を目指した象山。
これは当時の学者としては珍しい。
そして彼は、当時の武士階級に西洋自然科学を普及させた。

門人には、吉田松陰、勝海舟、河井継之助、橋下佐内、坂本龍馬、小泉元首相の所信表明演説に使われた
「米百俵」の小林虎三郎もいる。

【2013.03.18 Monday 19:09】 author : いづな薫 
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 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

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