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since 2007.5.21 八重の桜「鉄砲と花嫁」 | 戦国カフェ
   
 
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八重の桜「鉄砲と花嫁」
勝海舟と西郷隆盛が、幕府の行く末を予言するかのような会話をしていた。
このふたりは、いずれ江戸無血開城の直接の当事者となる。

勝海舟は、旗本幕臣である。
幕府の軍艦奉行並に就任、幕府海軍の創設に当たった。
摂海(大阪湾)において絶大な権限が与えられ、神戸に海軍操練所を開く。
塾生には坂本龍馬や、陸奥宗光などそうそうたるメンバーがいる。
塾生に、池田屋事件や禁門の変にかかわった長州藩士がいたことから、勝も責任を問われ塾長を罷免され操練所も閉鎖された。

長州は、対会津・幕府との戦の他に、1863年に下関を通過する米仏商船を爆撃していた。
攘夷の決行である。
その報復が、禁門の変直後の1864年8月頭に起きた。
英米仏蘭の四国艦隊により砲撃を受けたのである。
この一件で、長州藩は攘夷がとんでもないことを知る。
長州藩内では、幕府寄りの周布政之助(すふまさのすけ)が実権を掌握、幕府に恭順。
攘夷派の3家老は切腹させられる。
禁門の変でも戦った1番若い家老・国司信濃(くにししなの)は、他家から養子に来て、23歳で潔く割腹して果てた。

3家老の命と引きかえではあるが、長州は領地を削られてはいない。
この判断を下したのは、薩摩の西郷隆盛である。
この次期、西郷は勝海舟と会っている。
勝は西郷に、公武合体は無理があり幕府に味方すべきではないことを諭し、西郷は来るべき時のために長州を温存したと考えられる。

幕府・会津、四国艦隊との戦いで満身創痍の長州ではあったが、長州の歯車は逆戻らない。
1863年、長州がやらかした外国船砲撃事件の賠償金を、幕府に支払わせることに成功するのである。
四国連合艦隊側と、直接交渉したのは高杉晋作。
これを期に長州藩は、政策を180度転換してイギリスに急接近するのである。
新しい学問や技術を積極的に導入、軍備を近代化するのである。
これらの事件を収めてまもなく、高杉晋作が、クーデターを起こし、長州藩を倒幕派に覆し、倒幕への道を進んで行くのである。

文久三年(1863年)長州が、下関を通過する外国船を攘夷のために砲撃していた頃の話である。
長州藩士の伊藤俊輔(しゅんすけ、後の伊藤博文)と井上聞多は、横浜から英国に留学のため密航した。
攘夷決行の一方で、藩士を留学させるのが長州藩のすごい所である。

彼らは、ロンドン留学中、ロンドンタイムズに長州藩が度々下関で外国船を砲撃している記事を目にする。
そして、被害を受けた各国は長州に賠償させようとしているのを知る。
西洋の進んだ文明を目にした彼らは、攘夷の無謀さを良く知っており、藩論を攘夷から開国に説得するため、
伊藤と井上は急遽帰国する。
列強軍備の物理的破壊力の凄さ、幕府による第一次長州征伐と、伊藤博文は、長州藩存亡の危機を幾度も経験している。
しかし、坂本龍馬が仲介者となり、薩長同盟が締結され、長州藩は起死回生、難局をかろうじて乗り切った。

短く感想
目の前の敵だけ見ていると失敗する。会津藩もだが、現代の日本人もそう。
アジアの中で対立し、誰が漁夫の利を得るか、大局を見ないと損をするのは日本である。

【2013.04.02 Tuesday 20:36】 author : いづな薫 
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 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
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かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

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