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since 2007.5.21 お屋形さまを追いかけて、堺〜高野山その1 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
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お屋形さまを追いかけて、堺〜高野山その1

この春、関西に出張で出かけ、見たい場所があれこれ出て来たので、さっそく出かけて来た。
その史跡を、時々紹介していきたい。

まずは和歌山県高野山にある、我らのお屋形さまの御霊屋。
謙信公は、天文22年(1553)、永禄2年(1559)の上洛の折、堺(現大阪府堺市)や高野山(和歌山県)に詣でている。

堺には高野山につながる街道がある。
今は電車で1時間半くらいだが、昔は徒歩である。
1447年の「高野山文書」には、高野山で使う大湯釜の原料鉄を堺から買ったことが記されている。
堺は、舶来の鉄砲を見て構造を理解しすぐさま国産鉄砲を作ってしまうような優秀な職人が数多くいた町である。
堺は、こちらで述べているのでご興味のある方はぜひ。

当時、日本の名だたる豪商が集まって自治をしていた堺。
経済人としても成功した、お屋形さまも堺に来た。

1枚目の写真は、高野山奥之院にあるお屋形さまの御霊屋。
建立されたのは、亡くなった翌年の天正7年との説があったが、天正16年(1588)説が有力である。
現存する建造物の少ない時期で、大変貴重な建物。
昭和40年に重要文化財登録、翌年に解体修理された。
中の天井は格天井が張られ、須弥壇(しゅみだん)の上に石碑が2つ収められている。


460年ほど前、お屋形さまがいらした、無量光院。
このお寺の、第三世清胤住職は謙信公の師である。
謙信公は上洛度、清胤和尚を訪ね、後に越後にも招いている。
出逢った時、清胤は32歳、謙信24歳、この時謙信は清胤の弟子となった。
清胤は当時まだ格別高い位の僧侶ではなかったが、無量光院先代住職で空海の再来と言われた覚融(かくゆう)がいた。

謙信公は、自ら「義」と言う言葉は使わず、書状願文には筋目が強調される。
筋目には、王法と仏法回復による秩序を取り戻したいと言う意志があった。
戦国大名の多くがそうであったように、朝廷とのつながりで自分の存在価値を認めようとする。
謙信公の場合、これプラス「仏法回復」が重要になる。

永正18年(1521)に高野山は大火に見舞われる。
寺院より出火した炎は、大塔、金堂そのほか伽藍300余、僧坊含め3900以上を焼き尽くし、全山壊滅状態であった。
再建のために、朝廷の命による寄付が募られる。
しかし30年後、謙信公が高野山に詣でる1553年になっても、再建はかなっていない。

謙信公は登山し、莫大な黄金を寄進する。
無量光院を上杉家の菩提所と定め、その財によって修理が成されている。

無量光院の塔頭
どこの宿坊も大抵英語はOKだが、ここには、5ヶ国語を話すお坊さまがいらっしゃる。ちなみにスイスの方。
昔、僧侶は通訳でもあったのだ。お大師様(空海)も中国語サンスクリット語が堪能。
お屋形さまゆかりの無量光院は、今、高野山で一番グローバルな宿坊である。

【2013.04.23 Tuesday 21:08】 author : いづな薫 
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この記事に関するコメント
高野山行かれましたか〜!
3年前私も無量光院のお朝事に参加して
伝統を守る「筋目」と
外国人僧侶の方の素晴らしさに目を丸くしました!

奥の院の謙信公の御廟は少し荒れてしまっていましたが立派ですね。
歴史上の錚々たる方々のお墓が集うことに感激しすぎて
ディズニーランドではしゃぐ子供みたいになってしまった思い出があります(笑)

ここでも謙信公「筋目」を守り続けてくれている方々がいらっしゃることに感謝ですね!
| かめこ | 2013/04/24 10:58 AM |
かめこ様

コメントありがとうございます。

今回久々でしたが、高野山は何度も詣でております。
いろいろ文献を読んでからでないと文章にせず、且つ最近現世が騒がしいので歴史記事は書くのは遅れまする。
高野山は海外の方が本当に多いですね。
町を歩いていると、6カ国語くらい飛び交っています。
高い教養を伴う日本の伝統文化の領域には、外国の方が多いのが興味深いです。
欧州では特に人気がありますね。
ケーブルカーを使わずに、昔の人のように下から登山して来るオーストリアの方がいらっしゃいました。
昨今、金剛峯寺がお布施を含む資金運用で多額損失を出した記事を興味深く読みました。
現在の価値観だと、批判の対象になりかねないですが、中世の僧侶たちは個人的にも富をたくわえ、高利貸し資本に転化して金貸しまでやっています。
お屋形さまも、高僧で実業家、莫大なお金を貸すバンカーでもありました。笑
| いづな薫 | 2013/04/24 11:51 AM |
 遅ればせながら上杉会馳せ参じました!(笑)
 高野山の謙信公御廟ですね。数年前に訪れましたが、やはり独特のオーラがありますね。きっと昨今の謙信公ブームで訪れる観光客も多いのではないですか。
 お屋形様は、自身の遺骨の一部は高野山へ埋葬してほしいと望むほど敬虔なる真言宗の信者でもありました。高野山はそういう意味でも聖地ですね。
 無量光院は、お屋形様が清胤住職のもとで密教の灌頂を授けていただいた聖なるお寺です。私はまだ訪れてはいないのですが、次回はぜひとも行きたいです。高野山は宿坊によって、位が決まっているのが面白いですよね。
 そうですか、5ヶ国語を話すお坊さんもいらっしゃるのですか?やっぱり、謙信公の精神性は世界グローバルに共通するものなのでしょうね。かえって日本人よりも外国の方のほうが理解しているかも?です。笑

 そうなんです、お屋形様は当初「義」を「筋目」と言っていました。のちになって「聖諦第一義」となっていきました。佐竹義昭へ向けた手紙にも記しています。


 いづな様、先月は関西に出張だったんですか?奇遇です。私も先月下旬に京都に出張で行っていました。ちょうど桜満開の時期でした。京都もほとんど外国の方ばかりで、何ヶ国語も飛び交っていました。

 現代のお坊さんたちは資金運用得意ではないようですね(笑)
それにしても、お屋形様は軍事&経済&仏法&義を、高い次元で同時に両立させた傑出した人物だったということが、現代という鏡を通してあらためて感じますね。
                         義太郎

| 義太郎 | 2013/04/25 4:20 PM |
義太郎さま

ようこそお越しくださいました。
謙信公御廟、庇の朱が良いですよね。
観光や歴史の本にもよく載っています。

<高野山は宿坊によって、位が決まっているのが面白いですよね。

塔頭寺院の格式のことでしょうか。(上皇の御座所があったと皇子が来たとか。)

>謙信公の精神性は世界グローバルに共通するものなのでしょうね。

16ヶ条の御家訓、世界共通ですよね。

>「聖諦第一義」となっていきました。

梁の武帝、達磨大師に問う。「如何なるか聖諦第一義」ですね。
堺市の南宗寺で、「第一義」の石碑を見つけ、思わず「お屋形さま・・・。」とつぶやいてしまった私。笑

>先月は関西に出張だったんですか?

桜満開の時候、京都にいましたよ。見つけたらお声かけて下さい。笑

>それにしても、お屋形様は軍事&経済&仏法&義を、高い次元で同時に両立させた傑出した人物だった

これらの才能が一人の人間に存在したのが、奇跡です。
| いづな薫 | 2013/04/26 2:58 PM |
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時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、野球、音楽、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住→東京→Toronto

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