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since 2007.5.21 高野山金剛峰寺 | 戦国カフェ
   
 
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高野山金剛峰寺

高野山・真言宗総本山・金剛峰寺主殿である。
国内海外末寺4000寺を統べる、大師信仰の中心である。
高野山の金剛峰寺は、現在ひとつの寺を言うが以前は弘法大師が命名した高野山全体を表すものだった。
「金剛峰寺」の名前の由来は、お大師様(空海)が、「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経・
こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう」と言うお経から名づけたと言う。

中世、高野山は大規模荘園を所有し権勢を誇ったが、16世紀後半豊臣秀吉の支配下に組することになった。
秀吉は、紀州攻めに当たり、高野山が持つ寺院組織と権益を全面的に否定させ、実質上全面降伏を条件に出した。
僧は武器を放棄し、仏事学問を専らとし、謀反人を山内にかくまわないことが条件に挙げたのである。

この時、秀吉と高野山の和睦を仲介した僧がいる。
青巌寺(現・金剛峰寺)の開山で高野山中興の祖となった、木食応其上人(もくじきおうごしょうにん 1536-1608)である。
目食上人は、近江の人で元武士、高野山では客僧であったが、交渉人として豊臣軍の待つ粉河(和歌山)に派遣した。
目食上人は結果、高野山焼き討ちを回避に成功する。
秀吉は、目食上人を高野山を代表する地位に付け、「高野山の木食と思ってはいけない。木食の高野山と思うように。」と述べている。
秀吉による、高野山支配の始まりである。

金剛峰寺は明治2年になるまで、青厳寺(せいがんじ)と呼ばれていた。
秀吉は文禄二年(1593)、青厳寺を母大政所の菩提を弔うため建立する。現在の本殿は文久三年(1863)に再建。
秀吉は、破損していた金堂なども修復するため米や所領で多額の寄進をしている。
しかしこの時、与えられた所領3000石は、中世高野山の領地であり、検地により羽柴秀長の所有になり、再び高野山に戻ったものである。

さて金剛峰寺(上写真)の左奥に、柳の間という部屋がある。
柳の間は、秀吉の甥・関白秀次が切腹した部屋である。
秀次は、家臣不破万作(小姓)らとともに、高野山に入り謹慎していた。
しかし、わずか1週間後に切腹を申し付けられる。

秀吉の信任厚い木食上人の助命嘆願も叶わず、文禄4年(1595)7月15日家臣らとともに切腹した。
遺骸は、高野山光台院の裏山に葬られた。
秀次の妻妾、子ら39名も、三条河原で死罪。

高野山、慶長6年には新たな天下人となった徳川家康が所領安堵している。

【2013.04.25 Thursday 20:24】 author : いづな薫 
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この記事に関するコメント
ブッタの時代も精舎や衣服・食べ物を寄進した大富豪がいました。その人達を大黒天と言った訳です。ブッタの説法に感動したのです。何せ当時のバラモン教の指導者が今まで拝んでいたアグニーの神を捨て、多くの弟子達と共にブッタに帰依したんですから世間に衝撃を与えました。弟子の数も数千人に及び、皆が修行する雨風をしのげる建物が必要になったのです。またトイレは外で穴を掘って用を足していましたが、大人数となると衛生上や匂いが問題になりますから、このような寄進はブッタとしてもありがたかったでしょう。ブッタ教団は自分の反省にありますから、八正道の実践にありますから、そうすれば心の窓が開くと、そうすれば頭から後光が出てくると教えているのです。本物のアポロキティ・シュバラーに苦しみから解放してもらいたい、説法を聞きたい、ブッタなら自分の息子を生き返らせてくれると、やっと授かった子供が病気で亡くなり、納得できず亡骸を抱きかかえ、遥々ブッタに会いにくるかわいそうな女性もいたそうです。百歳を越える高齢の修行者が、やっとシュバラーに会えると遠い道のりを歩いてたどり着き、ブッタの説法を末席で聞き大粒の涙を流し、先に浄土に参りますといって往生したそうです。感動、空海さんもこんな感じだったんですよ。
| 串かつ | 2013/04/28 7:58 AM |
串かつ先生

連投嬉しいです。

>ブッタの時代も精舎や衣服・食べ物を寄進した大富豪がいました。その人達を大黒天と言った訳です。

なるほど。仏教活動支援のため財を惜しまないというわけですね。
戦闘の神様であったけれども、台所の神様にもなっていますね。
うちにも古い大黒様像があります。

>ブッタ教団は自分の反省にありますから、八正道の実践にありますから、そうすれば心の窓が開くと、そうすれば頭から後光が出てくる

良い言葉ですね。
現代は、罪を犯して自己反省がない人が多すぎます。

>感動、空海さんもこんな感じだったんですよ。

お大師様も仏教の教えに感銘を受け、日本に持ち帰り民を救いたいと思ったのでしょうね。
良いお話でした、ありがとうございます。
| いづな薫 | 2013/04/28 10:43 AM |
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