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since 2007.5.21 清浄心院 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
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清浄心院


お屋形さまを追いかける旅、今日は高野山の清浄心院(しょうじょうしんいん)。

関東管領上杉家の菩提寺である。

謙信が亡くなった後、景勝が上杉家を相続するが、その頃の、謙信公供養記録は景勝関連史料には見当たらない。
清浄心院(しょうじょうしんいん)に残る天正7年4月(謙信没後1年余)、上杉家家臣・飯田長家の書状に、謙信公の供養を
お願いする旨と金子(きんす)が送られたことが記されている。
年号のわからない景勝の書状が3通あり、高野山金堂や、御廟前での供養を依頼している。
(御廟の前でと書いているからには、御廟が建てられたと思われる天正16年・1588後〜景勝没年までの間である。)

高野山には上記の清浄心院(しょうじょうしんいん)ほか50を超える宿坊があり、誰でも泊めていただける。
宿坊制度の歴史は、古い。
高野山では、すでに室町時代初期にはあった。
足利歴代将軍が自ら参詣し、師壇関係を結ぶ。
師壇(しだん)の、”師”は参詣した時、祈祷をしてくれる仏道上の師であり、宿泊の面倒も見てくれる。
”檀”は檀那(だんな)、参詣者を表し、庇護と経済的援助をする
平安時代は、参詣ごとに結ばれていた契約だが、次第に恒常的なシステムになった。

戦国時代になると、各地に高野聖(こうやひじり)が旅して諸国をめぐる。
高野聖(こうやひじり)とは、中世、高野山から募金活動のため諸国を回り、民を救い、納骨などを行った僧侶である。
これが諸国に行くのでスパイ活動もしちゃったりする。
そのためか否か・・・、織田信長が高野聖をいっぱい捕まえて殺害するなんてことも起きている。

それはともあれ、
戦国大名たちは領国単位で次々と高野山と師壇関係を結び、援助し供養や納骨をするようになるのである。

上杉謙信は無量光院と師檀関係を結んでいる。
佐竹氏、結城氏、那須氏と親交深かった清浄心院(しょうじょうしんいん)も、謙信と交流を深めた。
現在でも、謙信公霊屋は清浄心院が管理している。

他には、足利将軍家と安養院、武田家・大内家と成慶院、伊達家・武田家・京極家・大村家を檀家に持つ持明院などがある。

【2013.05.02 Thursday 20:53】 author : いづな薫 
| | comments(4) | trackbacks(0)|
この記事に関するコメント
 お屋形様ファンならみなご存知の「清浄心院」ですね。当時の文献資料に何度もこの清浄心院の名称が出てきますよね。昔、高野山に行った折、行けなかったことが悔やまれます。次回は是非いづな様のお供に加えていただき行きたいですね。笑
 
 「宿坊」は室町時代からあったのですね。歴史が古いんですね〜 私は以前、持明院さんの宿坊に宿泊しました。
 高野山に司馬遼太郎の「高野山だけはどこにもない聖域だ」という句碑がありましたね。ここは本当にどこにも似ていない唯一無比の聖域で、とても魅かれます。何度も行きたくなる場所ですね。お屋形様も戦国武将としては珍しく何度も参詣しています。
いづな様のお屋形様をめぐる旅、楽しみにしておりまする。
                 南無大師遍照金剛 合掌
                         義太郎
| 義太郎 | 2013/05/03 11:48 AM |
古代インドのコーサラ国のマーハーラージャンであるビンビサラ大王は大変慈悲深く、これだと思う修行者やバラモン教の指導者を宿泊させたり援助したりしていました。同じクシャトリア(武士)であるシャキャ族のパピラバーストの王子であるゴーダマ・シッタルダが出家したと聞いて、これは是非話をしてみたいと、なので一度出家したばかりのブッタ(ゴーダマ・シッタルダ)と城で話をしたことがあります。ゴーダマがアラハンの境地に到達しシュバラーになって、再び大王と再会し、大王がゴーダマの説法に感動し大伽藍を寄進したのです。弘法大師の高野山の大伽藍も、おそらく空海さんの説法や奇跡(病気を治す。未来を見透す。人の心の中がわかる。遠くの出来事が手にとるようにわかる。)など超能力(観自在)を目の当たりにして、これは本物だと言うことで名だたる大物の皆さんが寄進したのでしょう。海千山千の切った張ったの、生きるか死ぬかをやっている、人の上に立つ超大物武将達が人をそう簡単に信じませんよ、しかし空海さんを信じたわけですから、そらそうとうの何かがあったのでしょう。
| 串かつ | 2013/05/03 9:46 PM |
義太郎さま

コメント嬉しいです。
お返事遅れごめんなさい。
清浄心院に景勝公の御遺骨と御位牌がありますよね。
上杉会in高野山、良いなあ〜。
皆働き盛りなので、いつも日程に四苦八苦ですが何とかしたいですね。笑

>持明院さんの宿坊に宿泊しました。

伊達家ですね。

>本当にどこにも似ていない唯一無比の聖域で、とても魅かれます。

杉の大木と20万基の石塔が林立する聖域・奥の院、人の世界ではないと言われていますよね。

>お屋形様も戦国武将としては珍しく何度も参詣しています。

楽に行ける時代なら、本当にもっと行かれるのでしょうね。
平和な時代なら、高野山のお坊様におなりになっていたかも。
                 
>南無大師遍照金剛 
         
↑義太郎さまに書いていただくと、高野山で聞いた声明が響いて来るような気がいたします。
| いづな薫 | 2013/05/04 7:41 PM |
串かつ先生

コメントお礼申し上げます。
お返事遅れましてごめんなさい。

>ビンビサラ大王は大変慈悲深く、これだと思う修行者やバラモン教の指導者を宿泊させたり援助したりしていました。

これは、古代インドの師壇契約と宿坊にあたる制度かしら。
ずいぶん以前からあるのですね。

>海千山千の切った張ったの、生きるか死ぬかをやっている、人の上に立つ超大物武将達が人をそう簡単に信じませんよ、しかし空海さんを信じたわけですから、そらそうとうの何かがあったのでしょう。

なるほど。とても興味深いご高察です。
お大師様同様、密教の行者であったお屋形さま、当然ですが八正道をはじめ仏教思想や哲学の上で共通するものが多々ありますよね。
大名家の4割が高野山に供養等などを建てましたが、謙信公のように仏の教えの真髄まで到達した人は稀ですね。
| いづな薫 | 2013/05/04 8:23 PM |
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 仕事(技術・研究系)と人と環境に優しい生活を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、野球、音楽、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住→東京→Toronto

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