大河ドラマ 龍馬伝 幕末 古代 上杉
since 2007.5.21 犬の伊勢参り | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
<< 豆乳と黒糖のアイスクリーム | main | プラムのパルフェ >>
犬の伊勢参り

伊勢神宮では今年、式年遷宮(20年ごとに宮を建て替える)が行われているが、関連のちょっと面白い本を
読んだ。
江戸時代、”犬が単独で伊勢参りする話”を史料に基づいて検証している本である。

最初の犬の伊勢参りは、明和8年(1771)4月16日昼頃に起きた。
犬が、お参りにやって来たと伊勢の街中が騒いでいる。
毛色は茶と白の斑犬(まだらいぬ)。
茶店でおにぎりをいただき、手水場で水を飲み、広場で伏せ拝礼の姿勢を取った。
宮内に、犬は入れなかったが、この犬の尋常ではない姿にみな犬をいたわり、御祓いを首にくくりつけてやった。
犬はつつがなく帰国する。
帰国先は、山城国(現京都府)で飼い主は高田善兵衛と言う人であった。
犬は高田の名札をつけている。

以後100年の間、目撃談が続く。
江戸時代の人は、伊勢参りに行くのが夢である。
でも、女性や奉公人は行きたくてもなかなか行けない。
行ける環境の人は、男性でしかもかなりの旅費が必要である。

そのため、犬を伊勢神宮へ代参させるのである。
お金を袋に入れたり、穴の空いた銭を紐で通して犬に持たせる。
犬にご飯を上げたり、寝る所を提供した人は、そこからお金をいただいて良いとなっているが、犬の所持金は
どんどん増えていく。
伊勢参りするとは、えらい犬だと言われお金を結びつける人がいて銭でだんだん重くなり、銀の小玉に
両替されたり、同行して銭を運んでくれる人が現れる。

長州藩の、犬の母子が伊勢参りに出かけたことがある。
母犬の首には「御犬」と書かれた札が下がっており、かなり身分の高い人のペットらしい。
殿様の犬かもしれないが飼い主は不明。
長州藩から広島藩に入り、母犬が首から提げていた木札にはこんなことがかかれている。
「周防久米市にて一子誕生つかまつり〜1宿ずつお貸し下さるべく候」
犬が途中で、子連れになったことを記している。

広島藩内の玖波駅(くばえき。駅は宿場)では、破損していた木札が付け替えられ、文章も新たに加わる。
「犬一疋 ただし子連れ 伊勢参宮の由にござ候。寝る時は部屋に上げて、ふとんを出して下さい。」

伊勢参り犬の最長距離は、青森〜伊勢だと言う。
広島は当時鷹狩りをするため、犬が街中におらず、豚が伊勢参りに行った話が残る。

犬の所持金が減るどころか、えらい犬だと寄付が増え、お金を持って同行してくれる人、生まれた子犬を抱いて
同行してくれる人がいた。
江戸時代は、犬は誰か個人に飼われるより、町犬、里犬であった例が多く、迷っている犬がいると、
「伊勢参り犬だ!」と思われ、”伊勢参り代参”の札がつけられ、伊勢に行ったのではないかと著者は記している。
運悪く、道中で命を落とせばそこに碑が建てられ供養された。

明治になり、犬は個人の飼い主に首輪をつけ飼い主の住所氏名が明記された。
これがなければ、処分の対象となったのである。

やがて、犬の伊勢参りは忘れ去られて行ったと言う。
犬が信仰心から伊勢参りには行かないので、習性からご飯の出る所、親切にしてくれる人に付いて行き
結果的に参宮をしたと言うことである。

平和な江戸時代の、おおらかな話である。
蘇らせてくれた著者は仁科邦男氏、「犬の伊勢参り」。

【2013.10.01 Tuesday 08:56】 author : いづな薫 
| 日本史  | comments(0) | trackbacks(0)|
この記事に関するコメント
コメントする









過去のページへ
この記事のトラックバックURL
http://cafe.kenshingen.fem.jp/trackback/1416262
トラックバック

戦国カフェオリジナルグッズショップです。 戦国カフェオリジナルグッズショップへ
    いづなへメール

 仕事(技術・研究系)と環境に優しい生活、家族を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、クラッシック、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住、今東京/Tokyo

   当サイトは、コピー、転載、ダウンロード、直リンク、持ち出しは禁止です。
◆ 著作権はすべて、
いづな薫に属します。
 過去のページへ


   にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
   にほんブログ村。
   ランキングはお休み中