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since 2007.5.21 白露 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
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白露


猛暑も衰えて、朝晩めっきり秋めいて参りました。
今日は、二十四節気のひとつで白露。
盛夏の露と違い、秋口の露は小さくなり夜間に葉や草に降りた露が白く見えることから、白露の名前が付きました。
写真は、お屋形さまの青苧に降りた、白露。

白露が見られると、昔は朝晩そぞろ寒く本格的な秋の訪れを迎えましたが、温暖化、気象異常の今日です。
来週は、夏が戻りそうです。

【2013.09.07 Saturday 16:19】 author : いづな薫 
| 歳時記 | comments(4) | trackbacks(0)|
この記事に関するコメント
久々に歴史(´∀`*)、本庄繁長公没後400年、熱狂的なファンが多い上杉軍の武将です。なんでも記念講演会が繁長公の墓所である福島県の長楽寺で開かれるそうです。最上軍との戦い(これも庄内の武藤氏からの応援依頼)で勝利し、武藤氏側は15万石を手にしたが、秀吉の私戦禁止令に反したとして、一手に責任を負った繁長公は秀吉により先祖伝来の地村上を追われ、その後今の奈良県に蟄居させられた。蟄居中には元上杉軍の大物武将を獲得しようと、徳川家康や前田利家から召し抱えたいとの誘いがありましたが、繁長公は全て断りました(私なら行くな(^ω^)。その後秀吉に朝鮮出兵を願い出て、上杉景勝軍に参陣し復帰を果たした。よかったね(´;ω;`)。そして上杉家が会津に国替えになった時に福島城主になったのです。徳川方の伊達軍3万に対し本庄繁長軍はたったの3千500、その戦いで本庄軍は勝利。その時の戦法はのちの陸軍の戦い方の手本になったのです。上杉家が取りつぶしにならず、米沢に減封になったのも、和議の第一使者として本庄繁長公が交渉に行ったからでしょう。親方様である上杉謙信の教えを生涯通した本庄繁長公こそ武将の中の武将でしょう。
| 串かつ | 2013/09/08 9:22 AM |
串かつ先生

今日は歴史ですね。
コメントありがとうございます。

>記念講演会が繁長公の墓所である福島県の長楽寺で開かれるそうです。

HPを見つけたのですが、本庄繁長公の会と言うのがあるのですね。
私も作っております、上杉会。笑
本庄繁長公、誕生時から凄いですよね。
父は病死、母が戦で戦い重傷を負いつつも繁長が誕生、と言う波乱の幕開けです。
謙信公に仕え、大物大名からの仕官の誘いは断り、景勝公の代になった上杉家帰陣。
前田慶次郎さん(米沢では慶次郎さんって呼ばれていました)もそうですが、高禄を断っても仕えたい魅力が上杉家にはあったのでしょう。
幾度も主君を変えるのが当たり前の、戦国時代にあってです。
お屋形さまの教えは、時代が変わった今も価値を失っていません。
| いづな薫 | 2013/09/08 8:06 PM |
HP見つけてもらい有難うございました。本庄繁長公の会の発起人、HPの作成者です。先日の公開討論会で使ったPP資料をHPに掲載しましたので見てください。繁長は29歳の時、訳あって謙信に対し一度だけ反旗を翻しましたが、反省し、その後は死ぬまで、頑なまでに上杉(景勝)に忠誠を尽くしました。上杉の筋の通った、ブレない考え方が繁長の生き方に合ったのだと思っています。魅力ある武将です。今後ともよろしくお願いします。
| 雨順斎 | 2013/12/20 5:55 PM |
雨順斎さま

こちらこそ、当サイトを見つけていただき感謝申し上げます。
管理人のいづな薫です。
本庄繁長公の会、PP資料を拝見いたしました。
本庄城東側遺構地形立体図が興味深いです。

>上杉の筋の通った、ブレない考え方が繁長の生き方に合ったのだと思っています。魅力ある武将です。

仰る通りです。
ぶれずしかも、家臣団の中でも独特の存在感と強大な軍事力を持っていましたね。
| いづな薫 | 2013/12/21 2:53 PM |
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 仕事(技術・研究系)と人と環境に優しい生活を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、野球、音楽、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住→東京→Toronto

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