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since 2007.5.21 軍師官兵衛「生き残りの掟」 | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
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軍師官兵衛「生き残りの掟」
歴史記事を書くつもりではじめた戦国カフェ、最近現代が戦国さながらで政治話題が多い。
歴史の記録と言う物は、圧倒的に昔の政治経済の記録である。
もてはやされる戦国武将たちは、当時の政治家なのである。

大河とは関係なく、私は黒田官兵衛という人物に以前から強い関心を抱いている。
鬼謀の人で、戦国乱世にあって人柄誠実で慈悲があり、約束を違えない。
しかし、官兵衛が他国と約束して来たことを、上司の秀吉や信長が反故にすることは何度もあった。
それでも、黙って呑みこむ柔軟さは、まさに器によって形を変える”水の如し”。

のちに黒田”如水”と呼ばれた、智謀に長けたキリシタン大名の生涯を追いかけて行きたい。
官兵衛が生まれたのは、天文15年(1546)丙午(ひのえうま)11月29日 辰の刻。

官兵衛の本来の姓は、黒田である。
しかし、30歳半ばくらいまで、小寺と名乗っていたようだ。
ようだ、と述べたのは、30代半ば以前に黒田と書かれた史料が発見されていないからで、
この先見つかれば黒田と名乗ったのは更に以前にと言うことになる。
父・職隆(もとたか)が、播磨の戦国大名小寺政職に仕えその”姓”を授けられている。
姓を譲られるのは、大変信用されている証である。

元来は、近江源氏の末裔で、官兵衛のひいおじいさん高政の時に、近江から播磨に引っ越して来た。
なぜ、父祖伝来の地を去ったか。
その理由を、黒田家に伝わる史料「黒田家譜」に探してみる。
永正8年(1511)、京都船岡山の戦いの時、六角高頼軍に属するひいおじいさん高政が軍律違反を犯し、
10代将軍足利義稙(よしたね)の逆鱗に触れた。
高政は、怒りを恐れ出奔。
備前国邑久(おく)郡福岡に移住した。
現在、北九州にある「福岡」という地名は、官兵衛が付けたものである。
官兵衛が、のちに豊前(現北九州)に領地を拝領し”福崎”に居城を築く時、「福岡」と改称している。
福崎で、故郷福岡を懐かしんで改名したのかもしれない。

高政の息子・重隆(官兵衛の祖父)が姫路で何らかの方法で巨利を得た。
何らかの方法とは何か。
歴史学上あまり信憑性のない史料だが、ドラマでも描いているのが、黒田家伝目薬「玲珠膏・れいしゅこう」の製品化である。
楓の皮を煎じた薬で、目のかゆみ止めである。
当時の目薬は、蛤の貝の片方に薬があり、もう片方に水を入れ水で薬を溶き指で目に塗る。
これを、近くの広峰神社のお札とセット販売し成功した。

これを売り歩いたのが、御師(おし)と呼ばれる人たちで、彼らは諸国を歩いて諜報活動にも従事する。
この御師(おし)を駆使して情報通であった代表的戦国大名がいる。
上杉謙信である。
京都代官・青苧(あおそ)販売担当の、蔵田五郎左衛門は伊勢神宮の御師である。
豪商であったので配下がたくさんおり、彼らが商いで諸国行脚し、越後の謙信に多彩な情報をもたらした。
やはり一次資料にはないが、謙信が使っていた忍び集団・軒猿。
軒猿や御師らは、同様な諜報活動をしていたと推測できる。

気象や地形、敵の動き、敵将心理など情報を制する者は、戦の勝敗をも制す。
官兵衛や謙信の軍才は、神がかり的なものではない。
頭の回転の速さや決断力もあるが、本来情報や根拠に基づくものである。
情報が沢山あるからこそ、決断しなければならない時は、一瞬だと知るのである。
運がめぐって来たら、迷わず女神の裾を掴まねばならない。

番組最後で、信長が今川義元の首を討った者ではなく、今川本陣の場所(情報)をもたらした者に多く恩賞を取らせたと万吉が知った。
この織田の武将は、簗田 政綱(やなだ まさつな)、この功績で沓掛(くつかけ)城を与えられている。
沓掛城とは、今川義元が桶狭間で討たれる直前まで陣があった城である。

信長の論功行賞に関心を示した万吉少年が、将来いかなる方向に進むのか暗示している。

暗示していると言えば、子供の頃敵地に入り込み、拉致監禁されているのが官兵衛の”将来”を暗示していて面白い。
今回のように、父がすぐさま助けに来てくれるわけではない。
家臣がようやく、官兵衛を救出するのは1年後である。
ドラマ冒頭、小田原城攻めの時、官兵衛が足を引きずり、右こめかみに皮膚病の痕らしきケロイドが見えた。
おそらくは、もっと重症であっただろう。
有岡城の暖房もないじめじめした狭い牢に閉じ込められ、生涯膝が曲がらず髪も抜け落ちてしまった。

疑問と感想。
信長が、「三国志演義」に出て来る、武蛮族の王シャマカみたい。
衣装や馬具が色の数多すぎ。カラフルすぎる。笑
桶狭間の戦いの信長の馬は、もしや、新潟・謙信公祭で放生月毛役(ほうしょうつきげ・謙信公の愛馬)のマレーボ君か?
今年の謙信公祭では、別の馬だったが大河ロケに参加のため?笑
オープニングで、官兵衛が魚網に引っかかっているみたいな映像は何?笑
後で、とらわれるから?
小寺政職(まさもと)が、一遍上人絵伝など絵巻物の中の人のようで面白い。来週も政職に期待。

【2014.01.07 Tuesday 14:06】 author : いづな薫 
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 仕事(技術・研究系)と人と環境に優しい生活を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、野球、音楽、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住→東京→Toronto

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