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since 2007.5.21 軍師官兵衛「命の使い道」 | 戦国カフェ
   
 
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軍師官兵衛「命の使い道」
 東京は都知事選挙運動期間真っ只中で、官兵衛の記事を書く間が取れないでいる。
安倍政権の暴走を止められるか否かの大一番なだけに、現代がまさに戦国時代のよう。笑

さて、この回の官兵衛で、私の関心は堺を再現映像で見られたことである。
中世、摂津に存在した自由都市堺だが、大坂夏の陣の延焼で灰燼に帰し史料も多く失われてしまった。
南蛮寺(教会)があったり、珍しい舶来品を扱う商店が並び、活気溢れる様子が活写されていて面白い。

中世まだ民衆による自治が当たり前でなかった時代、堺は会合衆(えごうしゅう・かいごうしゅうとも)と言う
豪商たちによって自治が行われている。

泉州(大阪)堺は、町の三方を濠(ほり)で囲み、残り一方は海に向かって開けている。
東アジア、日明貿易などでまれに見る富を形成した町である。

かつて平清盛の頃から兵庫の港が栄えていたが、応仁の乱で衰退。
代わって、海外貿易拠点として発展したのが、堺である。
イエズス会宣教師・ガスパルヴィレラはこの町を、詳細に描写する。

「堺の町は甚だ広大にして、大なる商人が多数あり。この町はベニスの如く執政官により治められる。
〜この町は住民多数にして富み、且つ好地位を占有せる為、常に平和にして侵すべからず。」

この町は、ヨーロッパから来日したバテレンたちに自由都市・堺と呼ばれ、15世紀後半〜17世紀初頭まで南蛮貿易で繁栄を極めていた。

官兵衛は後に熱心なキリスト教徒になるが、入信を勧めたのは高山右近である。
播磨(兵庫)〜堺(大阪)と言う近さから、若い時堺に遊びに行ったりしたかもしれない。ドラマでは鉄砲を買いに行くことになっていたが。

荒木村重が浪人で出て来たが、この人が後に官兵衛を有岡城に閉じ込める人物である。
画家の岩佐又兵衛は村重の子で、有岡城の戦いの時信長軍に一族皆殺しに遭う中、奇跡的に生き残っている。

秀吉にお城を上げるくらい気前の良い官兵衛、ドラマでも荒木村重にお礼金を沢山あげていた。
官兵衛は倹約家だが、それは家臣に分け与えるためであり、人の良い人物だったのであろう。

竹中半兵衛の名を高めた稲葉山城のクーデターも出て来た。
半兵衛は後に、官兵衛・長政父子の命運に大きくかかわって来る人物である。
永禄7年(1564)、たった16人で白昼堂々城を奪うと言う物だった。
半兵衛は美濃の斉藤龍興(たつおき)に仕え、菩提山城を居城にしていた。
そして、龍興のいる稲葉山城には弟・久作を人質に出してある。
ちなみに稲葉城は織田が攻め取った後、縄張りが取り壊され同地に岐阜城が建てられる。

永禄7年2月6日、半兵衛は病気の弟久作のお見舞いに家臣16名と共に行く。
もちろん、弟とは事前に示し合わせてあり仮病である。
斉藤龍興(たつおき)の側近6名を殺害、城を奪取。
なぜクーデターに及んだかと言うと、龍興とその周りの良くない家臣を諌めるためだったとか言われているが、
真相は不明。
龍興は逃走、後に半兵衛は龍興に城を返すが、齋藤氏はこの事件により衰退が顕著になった。

【2014.01.24 Friday 10:58】 author : いづな薫 
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 仕事(技術・研究系)と人と環境に優しい生活を愛する普通の人。
時事問題、歴史、環境、料理、欧州サッカー、野球、音楽、登山、茶道、語学、刀剣鑑賞。
かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住→東京→Toronto

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