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since 2007.5.21 安土セミナリヨと三木パウロ | 戦国カフェ
   
 
戦国特に上杉家、幕末、古代、歴史を愛する日記です。時事問題も多いです。
 
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安土セミナリヨと三木パウロ
 

安土城跡と共に、安土セミナリヨ(神学校)跡も訪ねた。
1580年五月、信長からオルガンティーノ神父がこの地に土地を賜り、神学校を創設している。
戦国時代、日本にあったキリスト教式の学校である。
(ちなみに、天正遣欧少年使節は、九州の有馬セミナリヨ出身である。信長の死ぬ4ヶ月前、1582年2月にヨーロッパに向けて長崎出港。)
 
安土セミナリヨの3階建ての壮麗な建物は、海外にまで知られたが、信長死去の動乱と共に城下町の火災に遭い、あえなく焼失した。
安土にあったのは、2年間ほどだが優秀な人材を輩出したと言う。
生徒であった阿波士族・三木パウロは、1586年イエズス会に入ったが、1596年12月秀吉のキリシタン弾圧に遭い、大坂で捕らわれ九州に送られた。
大坂、堺、播磨へ、三木パウロが護送された経路には今、教会や碑が建つ。
翌2月5日、長崎、西坂の丘で殉教。
処刑の時、三木パウロが今殺されようとする時に、放った言葉をルイス・フロイスは「日本二十六聖人殉教記」
記している。

「ここにおいでになるすべての人々よ、私の言うことを聞いて下さい。
私はルソンからの者ではなく、れっきとした日本人です。私は何の罪も犯さなかったが、ただ我が主イエス・キリストの教えを説いたから死ぬのである。私はこの理由で死ぬことを喜び、これは神が私に授け給うた大いなる御恵みだと思う。今、この時を前にして貴方達を欺こうとは思わないので、人間の救いのためにキリシタンの道以外に他はないと断言し、説明する。」
「キリシタンの教えが敵及び自分に害を加えた人々を許すように教えている故、私は国王(秀吉)とこの私の死刑に関わったすべての人々を許す。」

それから300年弱、経過した1862年法王ピオ9世が、三木パウロら26人の殉教者の遺徳を称え、聖人の”位”を
授けている。
1981年、三木パウロの遺骨をこの安土セミナリヨに迎えた。
400年を経て、若き日に学んだ安土セミナリヨに三木パウロは帰って来ている。

【2014.03.01 Saturday 08:37】 author : いづな薫 
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