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since 2007.5.21 未明の伊予沖地震 | 戦国カフェ
   
 
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未明の伊予沖地震
 未明の伊予沖の地震で、西日本にお住まいの方はびっくりされたのではないかと思う。
心よりお見舞い申し上げたい。
東京に住む私がこの地震を知ったのは午前2時台。
地震発生から数十分経過した頃だ。
夜中に偶然目が覚めて、スマホをみたら防災メールが来ていた。
 
震源地は、九州と愛媛県山口県の間の伊予灘。
最大震度5強である。
愛媛には伊方原発があり、反対の山口県には上関原発予定地がある。
気象庁は、今回の地震南海トラフ地震との関連性を早くも否定している。
しかし、地震予知は出来ない。
 
震度7を記録した、3年前の東日本大震災の2日前も震度5の地震があった。
 
慶長年間(1596-1615年)にも、伊予(愛媛)で大地震が起きている。
慶長大地震(けいちょうおおじしん)と言われるものだ。
1596年9月1日伊予国(いよのくに・愛媛)で地震が起きた。
M7.0と推定され寺社が倒壊。
その3日後の、9月4日今度は豊後国(ぶんごのくに・大分)でM7.0〜7.8の地震発生。死者710人。

その翌日の9月5日また大地震が発生。
慶長伏見地震でM 7.0〜7.1。
京都や堺で死者1,000人以上。
伏見城の天守や石垣が破壊された。豊臣政権崩壊の序章になった地震である。
これら3つの地震が起きたのは、文禄年間であり天変地異を恐れ元号が刷新し慶長になった。
 
文禄慶長でお分かりのように、当時は秀吉による朝鮮出兵の時期である。
自費で文禄の役に出兵させられた諸大名は、軍費がかさみ兵士も失う羽目になった。
当然、秀吉&三成中心の豊臣政権に不満を持ち始める。
当時、秀吉の甥・関白秀次がおり、秀次の政治的求心力が増し始める。
これを恐れた秀吉&三成は、難癖をつけ秀次とその家族を処刑。
しかし、秀次には側室が大勢いたため、姉妹娘を殺された諸大名が大勢出たのである。
そこへ起きたのが、慶長伏見地震である。
秀吉は、朝鮮派兵と秀次事件で疲弊した諸大名に自分の居城伏見城の再建を命じた。
しかも、壊れた元の城よりも堅固に豪華な城を建てよと。
そして、明との和平交渉がまとまりかけたのに再度の朝鮮出兵・慶長の役を命じたのである。

大名も一般の人々も、豊臣家の滅亡を願い、徳川家康の台頭を待ち望むようになる。
しかし家康は、秀吉や前田利家存命中に無理に戦を起こして天下を狙うより、老いぼれた秀吉の死を待った。
家康は秀吉より若く、かつ健康維持に最善を尽くしている。
秀吉が自ら墓穴を掘る朝鮮出兵を行った。その秀吉も前田利家も死んだ。
そして、豊臣家から人心が離れる慶長大地震が起きる。
天変地異は、政権を交代させる。

現代の、次回政権交代が大地震がきっかけでないことを祈る。
原発がある現代、巨大地震が起きれば、人命はもとより日本がなくなりかねない。

【2014.03.14 Friday 16:27】 author : いづな薫 
| 地震、原発 | comments(0) | trackbacks(0)|
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かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住→東京→Toronto

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