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since 2007.5.21 軍師官兵衛「人質松寿丸」 松永久秀 | 戦国カフェ
   
 
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軍師官兵衛「人質松寿丸」 松永久秀
官兵衛に、興味深い人物が出て来た。
戦国の梟雄(きょうゆう)松永久秀(まつながひさひで)。
この前出て来た宇喜多直家に輪をかけて、悪行、悪名で知られる人物である。

国宝・上杉本洛中洛外図屏風(米沢市上杉博物館所蔵)の中に、松永弾正邸が描き込まれている。
 16世紀に、織田信長が狩野永徳に描かせ、上杉謙信に贈った品である。
六曲一双の紙本金地著色の屏風には、室町幕府の三管領の一家として権勢を誇った細川家や、
摂津国半国守護代の薬師寺備後守と、同半国の守護代三好筑前守ら政治的地位や権力に相応して屋敷が描かれている。
そこへ、三好家の家来の松永弾正邸が描きこまれている。
これは、松永が京都で大きな権力を振るっていたことが考えられる。

ある時、織田信長が徳川家康に、松永久秀のことを紹介している。

「徳川殿に紹介する。これが松永弾正である。
この老人は、今まで人がやらぬことを三つまでやりおった。
一つめは、将軍殺し。
二つめは、主君三好家への謀反。
三つめは、奈良東大寺の大仏を焼いたこと。
並みの者ではその一つでも出来ぬ。それを三つやってのけた。
油断のならぬ物騒な老人である。」

信長、家康、松永久秀がいつ面会したかは書かれていない。
この史料は江戸時代中期に書かれた「常山紀談」という逸話集で、信憑性は高くない。
主従関係のしっかり出来上がった江戸時代中期に書かれたものなので、松永久秀にはことさら厳しいのかもしれない。

松永の悪行一つめ、”将軍殺し”だが、殺されたのは室町幕府13代将軍・足利義輝(あしかがよしてる)である。
この将軍、畿内を牛耳る三好家とその家臣の松永久秀と対立が激化していた。
将軍足利義輝は、関白近衛前嗣(このえさきつぐ)と共に、越後の上杉謙信に接触を図りその軍事力により、三好松永を一掃しようと考えていた。
(義輝、近衛、謙信の接触を散々邪魔したのも松永。上洛した謙信の接待役だった松永は、近江国坂本に謙信を留まらせ、なかなか入洛させなかった。)

松永久秀の主君・三好長慶(みよしながよし)の弟実休(じっきゅう)を、将軍足利義輝が殺害させている。
三好、松永にしてみれば、足利義輝は仇である。

松永の悪行二つめは、将軍殺しを一緒やってのけた主君三好家への謀反である。
ただ、本当に謀反に当たるか真相は不明。
主君・三好長慶の嫡男が、22歳で突如亡くなったので、毒殺の噂が流れたがよくは分からない。
嫡男の死後翌年、父の三好長慶も死去。
長慶の没後、力を持った3人の三好一族(三好三人衆)と松永久秀は争いを繰り広げる。

三つめの、奈良の大仏焼き討ち。
松永と同じ、大和国(奈良県)を本拠地とする筒井順慶は、松永の積年のライバルである。
三好三人衆が、筒井順慶と結託し、松永と戦になった。
永禄10年(1567)決戦の場所は、奈良東大寺界隈。
奈良町に三好三人衆が陣を敷き、松永が東大寺戒壇院に立てこもった。
ドンパチやった結果、鉄砲火薬に火が付き
大仏殿や、ほか伽藍が炎上してしまったのである。

その十年後、飛ぶ鳥を落とす勢いの織田信長が最大のピンチを迎えていた。
強大な勢力を誇る越後の上杉謙信が、京に向けて北陸路を進軍して来たのである。
能登、北陸辺りまで上杉軍で充満し、織田軍は手取川の戦いで大敗を喫する。
その時、松永久秀が信長に謀反を起こした。

松永が謀反を起こしたのは、初めてではない。
武田信玄がやはり今日に向けて進軍した時も、謀反に転じた。
その時は、居城で壮麗な多聞城(奈良)を信長に差し出し許された。

今回、謙信が京に迫り、しかも加賀の手取川で織田軍を撃破した時は、松永久秀も信長から離反するのは今!と踏んだであろう。
しかし、松永の読みは外れた。
謙信は、大勝したのにもかかわらず、越後に帰ってしまう。
謙信の留守中、関東で北条氏が動き始めたからである。

謀反を起こした松永久秀に、信長が持ちかける。

「名物・平蜘蛛の茶釜を差し出せば一命を助けてやる。」

永は、断った。
爆薬で、おのれの首も茶釜も吹き飛ばしてしまったのである。

織田信長が、浅井長政の謀反に遭い、九死に一生を得た退却戦に「金ヶ崎の退き口」がある。
信長の退却路賭して確保したい場所に、朽木谷の領主・朽木元綱(くつきもとつな)と言う人物がいた。
彼は、もとは浅井方の武将で、松永久秀が危険を覚悟で説得し信長を無事逃したことがあったのである。

苛烈で非情な信長が、2回までも松永久秀を許そうとしたのは、絶体絶命「金ヶ崎の退き口」のことがあったのかもしれない。

【2014.03.27 Thursday 22:04】 author : いづな薫 
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 仕事(技術・研究系)と人と環境に優しい生活を愛する普通の人。
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かつてはドイツ黒い森地方に学究のため在住→東京→Toronto

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